というわけで本日のゲストは石橋茂るさん
ですよろしくお願いいたしますはいどうぞ
よろしく病気みということでそうっすね目
ありますねかなり回ってますねなんか寝て
ないって聞きたんですかまでもまあ寝ない
と人間死ぬからはい2時間か3時間は寝て
ますけどねだいぶとお疲れの中ですけども
うんまあねま開けない夜はないのでそう
ですねもう戦いもかなり境に入ってると
いうことでそうですねま中かねもうはい
最終版なんでしょうな最終晩ですねいや
そんな中あの今日は視聴者の皆さんにです
ね改めて石葉さんのあのヒストリーから
ヒストリーははどんな人だったんだっけ
これ結構若いあの世代も見るメディアに
なっておりますちょっと伝えさせて
いただいてえダイナミックにその後は
ビジョン聞かせてと思っておりますおれは
元々あの東京の生まれでそこからあの父上
の次郎さんのうんうん鳥取兼知事人に
合わせて鳥取にということですよねうん
うんうんうん私生まれたのは昭和32年で
ねはいそん時に父は今の国土交通省昔は
これ建設省と運輸省って2つ役所だったん
ですけどね道路とか鉄道とか飛行機とか
そういうのをやっている建設書って役所の
うんジム型のトップの事務時間ってのやっ
てたんですねうちの千がうんはいだから
生まれたのは東京うんただそのその翌年に
が鳥取県地になったのではい東京の記憶は
全くない生まれてすぐに鳥取ということ
ですもんねこの次郎さんっていう存在が
やっぱり石さんの中でものすごく大きい方
なんですよねやっぱりね一生かかって超え
られない親を持ったってのはねうんそれは
幸せなことでもあり不幸なことでもあるん
でしょうねこの気持ちなかなかあの私
分からないですけどそそう偉大な父親を
持つ幸せとそうじゃないところて具体的に
どういうところなんですか良かったって
いうところはうんまあんまりね自分の血
褒めるってのはね本当に聞き苦しいことで
申ですがうんとにかくね講師の区別は
ものすごい厳格な人でしたね講師今度し
ないうんすごかったですよねそれはね
講師動することは絶対許さんていう人でし
た子供ながらにそれは見てて感じる瞬間
ってのあるんですかうんそれはねはい幼稚
園生だったかな小学校の1年ぐらいだった
かな父親が珍しく早く帰ってきたんですよ
ね県庁からねでそうするとおい坊主私の
こと坊主って言ってましたねそうれたん
ですね一緒に遊びに行こうかつってね近の
山へ連れてってくれたですよねはい子供心
にすんごい嬉しかった中と2人だけでね山
の登るって嬉しかったで楽しいな嬉しいな
と思ってうちへ帰ったんですよでもその後
2度と父親とそんな機会はなかったんです
ね寂しかったなえうんで父が死んだ時私が
24歳でしたかねはい母親と話をしてて
ほらお前子供の頃お父さんと一緒に山に
登ったでしょうんお父さん帰ってきてねと
2度とせがれは連れてあるかんて言ってた
んだよって言うからどうしてって聞いたら
うん
は道でね会う人会う人全てが自分の血に頭
を下げる姿は絶対子供に見せてはならん
はあ言ってたそうですねすごい寂しそうに
ねあそれがあったからその後うんうん連れ
ていかなかったうんだからねそれは地方で
知事てったねそれなりのめちゃくちゃ権力
者ですからねうんよく覚えてますよちさん
とか言ってみんなが頭下げてたのはね
そんな姿は絶対に子供に見せてよならんと
言ってたそうですねこれいわゆる普通の親
だったら誇らしいからもっと子供に見せ
たいなんて思いそうなところですけどあの
人はそう思わなかった逆なんですねでね
その夜ねうちのはね宴会で
あまり遅くまで飲む人じゃなかったんです
ようんで言ってたのはね知事が最後までい
たらみんなねうん飲みにくいだろういず
だろってこと言ってて一通り受けたらもう
さっと帰ってたうんはいで知事お帰りです
とか言ってこう両手とかねそういうとから
知事工程で分かってくるわけ大変だつって
我々家族はねこう中夜が帰ってきて当時は
お手伝いさんてのいっぱいいてねうんで
そういう人たちがまだ自分の部屋に帰って
ない引き取ってないそうすると激怒して
ましたねへえ思たこんな時間まで人を働か
せるとは何事だとお前たちは使われる人の
気持ちが分かってないとか言って激として
怖かったうんうんのですからねその
とにかく人に迷惑をかけるなうんでその
権力というものを傘に切るなうんこれは
すごかったですねでも逆にそういうところ
見るとますます尊敬のね深まりますよね
うんていうかね私にとってあの人ははい
鳥取でありはい参議院議員でありはい自治
大臣でありていねなんかね子供の頃から客
観視するところがあったですよねそれは
それで寂しいことだったう分うんその逆に
超えられない父を持つ辛さっていうのも
あるんですか両方あるとおっしゃっそれは
ねありますよありますけどはい超えよう
なんぞという大それたことを考えたことが
ないええ超えようと思ってやっ
てらっしゃるわけではない超えられない
超えられないと思いながらやるいやそれは
ねうん頭の良さは私の何倍も頭いいよね
ええそあのねこう救世中学救世高校大学
はいはい同級生の人に言わせるとうんうち
の父親が勉強してるのを見たことがない
ええっていうのねだから本当に頭の人って
はい勉強しなくても試験の成績きっと
良かったのね隠してたわけじゃなくてもう
してる雰囲気がない中ですごいいい績と
うんみたいですよはで知事になってから
しか知らないんだけど家に仕事持ち込ん
でるの見たことない
ええだからねすごく頭もいいはいでその
講師の区別はしっかりしてるはい思いやり
もあるうんうんとにかく金源実直絵に書い
たような人でしたがねうーん完璧ですよね
うん完璧ですよ公人としての公人としては
ね完璧だなって思うところがやっぱり
ちょっと自分としては逆立ちて無理ああ
そういう中でやってらっしゃるんですねで
そんな次郎さんの影響を受けて政治家に
なったわけではないですない全然ない元々
なりたくなくて大学からはいま銀行院に
なられてうんそこからなれっていうね
大きな運命の展開があったんですねはい
はいはいですからねその大学3年から4年
になる時はい昭和52年かなおそうですよ
ね52年だで3年生から4年生になる時に
父親からお前政治家になる気あるかって
言われてね全然ありませんとはいそう
だろうなお前みたいな人のいいやつに
つまんねえよなつって言ってましたいや親
はよく見てたんだね言ねうんじゃ何のお前
なりたいんだっていうからね私は電車とか
大好きなんではいはい日本国有鉄道に入り
たいです国鉄ですねうん当時国鉄ってね今
のJRねうんお前なとあれはそのうち
潰れることになっとるのでな潰れる会社に
入っちゃいかんとそうですかあなくなるよ
とうんじゃあ鉄道がダメなら飛行機だつっ
てね全日って言ったんですけどねはいお前
は田英先生にご迷惑かけた会社に入るのか
この馬鹿者はあなるほどロキド事件ってね
そうか田先生飛行機はキクだったんです
そうそうキクですよ全日なんか持っての
持ってですねでこの馬鹿者はいじゃ私文章
書くの好きだったんで朝日新聞かNHK
って言ったらはまずかったんだなああうん
お前は人を批判する仕事になりたいのか
この馬鹿者全部ちょっとイコがあるところ
ね郎さんとじゃあ国鉄だめ全日空だめ
NHK朝新聞だめはいどこ行ったらいいん
ですかて言ったらそれお前銀行だ銀行うん
ほうお前よく聞けと銀行というのは名刺1
枚で大会社の社長から年金暮らしの高齢者
の人まで名刺1枚で誰にも会えるみんなの
人生と変われるこの素晴らしい仕事はない
うんとか銀行院1回もやったことがない人
はそんなこと言っていてねうんうんうんで
素直な石青年としてはですね分かりました
とか言ってで銀行入っちゃったはあで銀行
に入って3年目に千が死んだんですよね私
24歳だったなるほどうんで総議員長が
田中学先生だったこれ遺言だったんですね
うんうんうんうんで総委長やっていただい
た礼にうん今年の正月やけちゃったメジの
屋敷に行ったわけですよはいでありがとう
ございました総議員長までお務めいただい
て父親もさぞ喜んでいるだろうと思います
とか言って緊張しながら行ったらねまきみ
た直たはどうでもいいからうんあの取りの
組織来てくれた人うんうん何人いや
3000人とか聞いてますが3000人来
たんですねうん県民層でしたからねはいで
えこれはね県民各先生は友人代表東京で
やった田中派の葬式が総議長とまこういう
話だったんだけどねで鳥取の葬式に来て
くれた人3000人まっすぐ名刺を持って
1件ずつ回ってあ選挙の今日はず挨拶回り
た何を言っておられるんですか3000人
回れとれ挙選挙の基本は挨拶回れ選挙出る
つもりないです全然ない父は参議議だった
はいはい30になんないと出れないし私
当地24だしんまだ早いですねねうん非
選挙年齢達してないわけですからねうんで
ねいやいや総理その私はまた非選挙年齢に
もたしておりませんしそんなつもりも全く
ありませんしとか言ったらねはい格先生が
ねまいかったいかったうんでバーンと机を
叩いてね怒ってるんですねうん本当に怒り
ましたねはいもう君
ねお父さんはねうん知事15年4期目の
最後の年に辞めましたんでねうん15年3
銀7年途中で死にましたからねうんあれ
だけ長いことといの皆さんにお世話になっ
ておきながらはいそのせがれのお前は銀行
員として平凡に一生送りたいと何事だ
みたいななんでそんなこと言わなきゃ
いかんのかなと思いながらグダグダ言った
んですよたバーンと机いたいてよく聞けと
うんうん日本で起る全てのことはこの明治
で決めるん
だすごいですねいや本当はその覚えてます
その闇将軍田中か先生のこの愛の鞭を20
代で真味から受けるわけですよねすごかっ
たあの人は人間じゃないからねどういう
感覚なんですかあの人は神ですよ神もう
もうそこに荒人神がいるっていう感覚なん
だやっぱりあの人見ちゃうとよくないねあ
そうなんですかあらゆる人が普通の人に
見えるからねあ要するそれ以降もそれほど
のインパクトを与える人にっていうの
なかなか出会えないいや素晴らしい人大勢
いらっしゃいましたよ歴代総理とかねはい
おられるんだけどねどうしても各先生見
ちゃうとねなんか普通の人に見えちゃう
やっぱりこう何度もこう国民から思い出さ
れて覚英ブームって何度もあってで歴史上
のものしかないですけど生でその
エネルギー得た時に最後の議ですよね各
先生と時間にしたあでもやっぱりそのエネ
ルギーってのはとんでもないものがあって
すごいなあもあんな人はもう2度とでん
でしょうねやっぱその人に言われたら
やっぱり出馬しますってなっちゃいますか
そ神に言われるゃ逆らったらバチが当たり
ますそういうそういう感覚なんですね
そんな感覚衆議院で出るんだって言われる
んですかいやだからいや私は衆議院とし
ちゃいますがと私24で衆議院だって25
かしから出れませんしとはい
昭和56年の話ですねうんうんうんうんで
よく聞けと今年は昭和56年そうですねと
さには昭和58年そうですねさは参議院
選挙があるそうですねそれと合わせて衆議
院選挙やろはあと再年は衆3同日選挙だ
うんお前もそん時は26立派に非選挙年齢
達して出ろみたいなそんな感じだったね
すごいですねそっからその田中先生の木曜
クラブの自由局そうですねそうそうだから
いろんな事情があってその昭和58年の
選挙には出れなかったんですよねうん
うんうんでじゃあ何してたかていうとサボ
会館に田中派の事務所木曜クラブって言い
ましたねはいはい派閥華やかしこと頃です
よはいでそこの事務局ってのがあって
うんうんでそこには職員が5人ぐらいいて
ねうんうんでとにかくそのありとある派閥
のジムをっておったですねあで昭和58年
の話ですからはいそん年は7月に参議院
選挙があってうん8月に珍しいことに抽選
局で京都の肉っていうねあの京都市内から
こう単子半島に至るまで京都の肉って選挙
があったんですけどそこで衆議院の補欠
選挙ってすんごい珍しくあってで12月に
はロキド選挙って衆議院選挙があってね
はいもうがその半年の間に3つどら選挙
あったうんうんうんはあ選挙ってこうやっ
てやるんだと派閥ってこんなもんなんだっ
てのはいわゆるこうなんだろうまたて言っ
ちゃいけないけどはいその書もランクが
あってうん1番下でいろんな雑用係り
みたいなものをやっててだからよく見え
たってとこあるでしょうねなるほどそこで
その田中の選挙に向けてのその動きき方
みたいなのもかなり見ることができたん
ですああこういうものなんだと思いました
よ当時は抽選曲制だから何々県大区第2区
で自民党が3人とか4人とか出るわけでで
そのね名前を全部壁に借り出すわけですよ
1つの区から自民党が何人か出るわけ出る
わけです全部書くわけ壁にねそのモでうん
で田中のとこだけ赤で囲えてはいはい
みたい味方に丸するんですね当選すりゃ
いいんだそうですかみたいな話ですよねい
うんでこらを当させそうそうそうでね日本
地図の大きな白地図を貼って選曲ごとに
細分化して田中のとこで赤く塗るはいは
これは全部赤く塗るまでやるんだはあと
思いましたよね国取りが戦そうですまさに
そうだった戦国のうんですからその総合
病院とはよく言ったもんでね田中が11人
以上いましたからねはだから1番上が田中
か先生でしょそれからこう金丸し先生とか
田村は先生とか竹下登先生とも人いっぱい
あるわけはいうんで誰がいつどこの応援に
行くんだっての全部大きな表にしてうん今
と違ってパソコンなんかないですからね
全部それにこう書いて希望を取って偉い
先生方の一点を合わせてみたいなことを
やりうん若い議員さんと会にの若議員さん
はいろんな陳情を受けても処理できない
からうんうんうんうん例えば運輸関係だっ
たら橋本竜太郎先生とかうんうん厚生労働
関係だったら小沢達夫先生とかうん建設
関係だったら金丸し先生とか秘書同士の
ネットワークがあるからそういうので陳情
さっとさばいていくとかねはやっぱり派閥
の心髄て選挙の応援と常処理だからうん常
処理を全てけれるという意味でも総合病院
っていう異名にふさわしいものだったし
はいそのいろんな人がいるから応援演説も
適材適所でいけるそうそうそうそう
ちょっとここの分野弱いなっていうとこに
応援弁償そうですねそいうこの長でした
すごかったですそういう田中派のも流星を
誇った選挙を見ながら出場前に派閥移籍さ
れますそうですねですよねうん渡辺派でし
たそうそう渡辺派鳥取から出馬するために
円満遺跡でしたっけうんまあ円満中かなん
中かねその各先生は当時鳥取県前件1区
定数4だったんですねはいだからその鳥取
だから石の親父がいた鳥取だからいいじゃ
ないか田中2人でもていうね極めて慰霊の
ことなんだけど1つの選挙から田中2人
出そううって思ってらっしゃったんですよ
で私は田中から出るはずだったんだはい
はいでところががそのある先生が引退され
てその後に私が入ることになっていたのだ
がうんある先生は結構ね偉い役人の出身で
ね自分の後に2世なぞ許さんとええ若蔵
なぞダメだとうん国会議員っていうのは
こうなりなげて官僚の道を極めたもので
なければダメなんだというまそれなりの
見識はいで島なんか絶対だめうんという
ことでだから昭和58年の選挙に出れ
なかったわけあなるほどでところが昭和
58年選挙に奇跡のカムバックを果たした
渡辺派の人がはい1回も国会に行かない
まま4ヶ月で死んじゃったうんポーンと
議席が1つ空いちゃった渡辺派の方
なるほどはいそ各先生に呼ばれましたよ
お前どうすると一木席開いたなとあれ渡辺
のとこだなもしお前なと田中と一緒に
ずっとやりたいっていうんだったら今度は
見送れとあいつ渡辺派だったからなだ
あいつはうんだけどなお前よく聞けと国会
議員になれるチャンスって10年に1回
あるかないかだとうん俺は今こんなに権力
があるとみんな思ってるだろう
けど俺もいつまでもこんなに権力がある
わけじゃないうん派閥は永遠じゃないって
私初めて各先生からそんな言葉を聞きまし
たね出馬する前うんはあもしお前にその気
があるんだったら俺が渡辺に話してやる
っていうのでねそれで渡辺派に行ったん
ですなそれはまだまだかさんが力を
バリバリ持ってバリバリ持ってたそれだ
けども永遠じゃないぞっていうこと予見し
てそうチャンスめったにないから口聞いて
やろうかなったですそうねいやこんなこと
各先生が言うんだと思いましたああその時
どういう感覚なんですかすごくびっくりし
ましたね驚きますあのね常に強きの各先生
がはい初めてあんなこと言われたはあでも
があ言われなかったら今の私ないですから
ねなるほどまそれほどの足りないチャンス
だからここから出よ移籍してそこから出る
うんはいそして国会議員人生が始まるわけ
ですよねうんでそこからだから原住所は
ためが本石田中みたいななるほどあそう
いう意識で私の本石は田中になるけどもて
うんはいそこからあの会議になられて2年
後にはユートピア政治研究会あすげえ名前
ですなすごい名前ですねでもこれって
リクルート事件をきっかけに作られたって
うんうんだリクルート事件での若い方は
全然覚えてらっしゃらない知りもしないと
思うがはいあ要はリクルート者ってのはま
今でもありますがねそこの未公開株公開さ
れてない株を有力政治家でみんな配ってで
それが上場されて公開されて巨万の富って
いうのかしらてのかしらその大きな利益を
得ましたとだから実力のある国会がみんな
もらってましたからねいやすごい後範囲に
ま事実所のワイロが送られてま事実上のと
いうかどうか別としてだそういうことあっ
たわけですよでもう大騒ぎになったわけ
ですよはいはいで名のある政治みんな
引っかかりましたからねあの事件で竹下
内閣が追い込まれれたそうですそうです
竹下総理ご自身もそうだったしねはいで
その政治夫がま竹下ないの半ばぐらいから
かな平成元年ぐらいからかな本当に
吹き荒れたんですよねそん時にまた私たち
当選1回だったはいで竹村正義さんってね
もう亡くなったけど30代で滋賀の知事に
なって元々自治長のお役人でしたが30代
で最年少で滋賀の知事になって我々と同じ
昭和61年に衆議議員になった滋賀県のね
大てムーミンみたいなね外見でねあの
すごく穏やかっぽいけどすんごい作詞だっ
た人ですようんうん村山内閣の官房長官
なんかやってましたよねはいで細川内閣か
うんうんでその竹村さんが中心になって
ユートピア政治研究会って逆説的なねうん
うん政治の世界にユートピアなんかないん
だけどでもそれはあえて研究してみよう
じゃないのうんのっていう当選1回の長頭
派の集まりができたんですねあ当選1回の
長頭派当選1回戦に限りましたあじゃ新人
さんが集まってその政治不審に対してうん
まアンチ手勢というか提言していきたいと
いうそうですねそうでしたそうでしただ
からうん竹村正義さんねはいうん今成長
会長やってる都会北郎さんうんうんうん
あるいはこう今はね引退された
うんうんの本当に若い議員ばっかり20人
ぐらい集まってユートピア政治研究会って
のを作って鳩山幸夫さんもいましたよね
うんうんうんそん時においおいと金かかる
金かかるっていうけど一体何にこんで
こんなに金勝ってんだろうねいうこと
みんな調べてみよまさ政治とお金の問題今
も問題になってるようなことをその時に
かなり議論してたうんそうそうみんなね
自分が何にこんなうんんだろうねて一覧表
を出したんですよ活動資金を計算してみた
そうそうそうでね1番かけてる鳩山幸夫
さんからはい1番かけられない私まで
いろんなのがいたんだけど1人平均1年
1億円はあ1億円うん1億円かかるんです
ねうんでその内訳はうん1番施設秘書の
人件費人件費2番事務所の家賃なるほど3
番電話台ガス台水道台熱費と通信費うん
うんとかなんとかでそのとにかく1億円
かかるのだというのでみんなびっっくり
うんうんでだけどなとはい結局この中で
民主的主義に必要なコストって何なん
だろうねていう話になってやっぱりね抽選
局ってま要するに今の都会議員の選挙とか
県会議員の選挙みたいなもんですようん1
つの選挙に自民党が何人も出るとはいいう
ことになると同じ自民党だから政策に違い
があるはずはなくてあったらおかしくて
なるほどで当選するためには他の大義師
よりも自民党大義師もどれだけ地元のため
に働いたかうんどれだけ地元の利益を実現
したかどれだけ東京にいないで選挙区に
帰ったかみたいなうんあるいはそのどれ
だけ事務所の秘書がしょっちゅうてきたか
とかねそれで決まるんだとうんうんうん
そり金かかるわなとなるほどし削っちゃう
からそう労コストのかでま今ほどね公職戦
きつくなかったんでその議員さんたちが
東京来ますとうんうんうんでAという議員
のとこへ行ったらば活動が出たとBという
銀のとこへ行ったら天丼が出たとCという
銀のとこ行ったらウジが出たと接待合戦
はあでAという議員のところ行ったら2次
回は居酒屋だったとうんBという員のとこ
行ったら新宿のクラブだったとうんシと
いう議員のところへ行ったらば2次会は
銀座のクラブだったとかなるほどそそり金
かかりますわ
なで初中見舞年賀場は何ぼ出しても良かっ
たからねうんA議員からは俺に初中民が来
たのにB議員からは来なかったとかね機嫌
悪くしちゃったですもらすごいことですよ
年賀状を出すだけで500万円かったかな
はあ年賀状ではそれかかりますねうんそれ
何前出しますからねは小中見舞でしょう
うんだからね本当にねそボンと正月が来る
とどうやってこの金払おうかなと思って頭
痛かったですすごい時代ですねそれも抽選
局が現況じゃないかっていう議論になって
ただから同じ自民党同士でやるから政策に
違いはありませんな何が違いますかって言
と初中見前来たとか来ないとか秘書さんが
しょっちゅうするとかしないとかうんうん
うんうん
ことになるわけですよどうしてもはいうん
それ金かかるよねやっぱり自民党同士て
やり合うのをやめないと金かかる一方だよ
ねやっぱり自民党からこの人しか出ませ
んってことになったらばそれは必要なお金
はなるべく党が出すよねうんでその
めちゃくちゃ金かかるわけだからはい我々
2世がなんでいっぱい出るかって言うと
名前の売り賃と信用大がただですからね
私たちはこれ各先生はっきり言われました
ようんおおお前なんか大したやじゃないと
うんお父さんのおかげで名前をみんな知っ
ているうんお父さんのおかげであの
お父さんの子供だったらそんなに変なやつ
じゃないうん要するに名前のリチと安心代
がただなのだはあだからお前は出られるの
だたはっきり言われましたからねうん
やっぱり女自民党同士てやってる限りは2
世が多くなるユートピア政治研究会で
さっき言った2世多かったからねはい
やっぱりその例えばうーんうん三原さん
なんか青年会が協力隊にいたんだな都会
さん一級建築士でどっかの建築事務所で
図面書いてたな私銀行院だったし
あの政治家になりたくてなったって人
そんなにいないんですよねうんでも私銀行
によでいましたけど自分よりも頭いいし
自分よりも決断力あるし自分よりも資料
深いし自分より国会議に向いてる人
いっぱい見ましたよ
だけどその人たちは株式会社密銀行の約に
なることあっても絶対国会議になんない
うんそれは私はその人たちはかに劣るのに
親の子供であるが故に国会議員なの変じゃ
ないのと思いましたねへえそう自分で思っ
てたんですねおかしいと思いましたそ
その政治の選挙区のあり方とか接収のあり
方とかに対してそそう疑問を持ち始めてい
うんだから2世じゃなくても出られる
仕組みを作るのが2世の最後の仕事だと
思ってましたねはあそれで小鮮局が導入さ
れていくわけじゃないですかはいはい結果
的に全ては丸く収まったんですかお金は
かかんなくなったですよあメリット明らか
にあったそれお金変わんなくなったほお
1/3ぐらいになったなるほどだっって
そんな年賀状出さなくていいし自筆のもの
しかダメになっじゃ明らかに前進したもの
もあるわけですよはいただ全てが丸く
収まったのかで言うとそうではないところ
もありますか金がかかんなくなったのは
間違なくいいことですはいだけど小選局に
するしないの大激論が自民党であった頃
はい小泉純一郎さんまだ総理になる前うん
うん優勢大臣わったばっかりかなうん小泉
純長さんカカ楽学の議論の時にね
立ち上がってかっこよく言うわけですよ
うんお前たち若いのうん朝選挙とか言って
いるがとはいこんな制度にしてみろとほ
東本部と首相官邸の言うことしか聞かん
つまらん議員ばっかりになるぞうんはあ
小泉純一さん言いましたねだって党が公人
件持ってるわけだはい党が人事権持ってる
わけだからそうすると公認されたいないい
ポストにつきたいなと思うと党の言こと
聞かなきゃいかん東本部の一局集中をもう
言してたんですねや小泉さん予言しました
ねその時聞いて情熱に燃える1回生石さん
はどういう風に思ったんですかだないとね
党のいうことが間違ってたら間違ってると
いうのが国会議員というものだいいですね
いたんですよね映画みたいな話なんだけど
さ小泉がにゃっと笑ってお前は人間を知ら
んな前やってみろ
くどっちが正解でしたかだってそのねそれ
を一番利用したのが小泉さんでしょ
なるほど確かに公認を与える与えないで
だってに反対しこにしないってんだから
まさにそれをうん目にも見せたんですね
こうなるぞとうんこうなるぞああ小泉さん
が言ったのはこういうことだったんだでも
それをそうなったからと言ってそれを利用
しないじゃなくてそれ徹底的に使って自分
のなすことなしたんですねすごかったそれ
間近で見ててしさどう思ったんですかあら
をよっ純郎さんがこんなやり方するんだと
思った時小泉さんはこれはこれでですから
はあそ小泉内閣の隔離を私2年やったんだ
から抜擢されましたもんねや抜擢されたの
だそれはそれでありがたいことですがはい
いや小泉総理の答弁ってのは怖かったよね
ど怖さなんですかいやあの自衛隊イラクに
出したじゃないですか非戦闘地域ってとこ
しか出さないよって法律に書いてあんです
ようんうんうんで野党の銀さんがソリーと
どこが非戦闘地域なんですかどうして
そんなことが分かるんですかかて聞いたん
ですよねま当たり前の質問だうん小さん
答弁に立って何言ってんですかとうんどこ
が非戦登地域が私に分かるわけないじゃ
ないですかえ分かるわけないって言うん
ですかみんなどよめくわけですよ最高式官
の総理がわかんないって言ってるとうん私
防衛長長官だったからはい防衛長長官どう
いうことなんだと今総理は分かるわけな
いって言ったぞうんいやいやいやいこれは
まずいなと思ったですよねず閣から弁まで
はい歩いて10歩ぐらいはいその間考え
ましたよはあどうするてようかなこれ
ちょっと落ち着いて聞いてくださいはい
小泉総理はどこに自衛隊が行くか自衛隊の
行くところは非戦闘地域だとおっしゃい
ましたが正確に申し上げれば自衛隊の行く
ところが非戦闘地域だという意味ではなく
てうん自衛隊の行くところは輪とがの誓い
をよくご認識いただかなければ総理の
おっしゃったことはよくご理解いただけ
ないと思いますがとか何言ってるか全然
わかんないね小泉さんはとにかく自衛隊の
行くところは非戦闘地域なのだどこで行っ
たって自衛隊くところは非戦闘地域なと
取られかねないことおっしゃったもだけど
事前にそこは非戦闘地域であるかどうか
つまり国と国あるいは国と国のようなもの
そういうものが武力をちいて争うんそう
やってますかやってませんかってことを
事前によく調べていくので自衛隊の行く
ところはというのが正しいうんはい自衛隊
の行くところが全て非戦闘地域になるわけ
ではないって見てる人何言ってるか
さっぱりわかんないと思いますがあの
要するに小泉そらバーンと答弁するわけ
ですよはあ大変大変でその大胆な答弁これ
国民の指示を得てるわけですもねそう
すごかったですねこの田中カエさんという
いわゆるその神のような人を見た流れの中
でその小泉さんいわゆる今天才と
おっしゃいましたけどそのインパクトとっ
てもすごかったわけですか方や神はい
かや天才天才まあ普通の人が真似したら
大変のことが起こりますよこれは真似でき
ないなっていうやり方で政治を作っていく
できませんねはあすごかったですねま各
先生は神なのでま置いといてはいあの小泉
純一の総理た天才ってこういうもんなんだ
なと思いながら見てましたねその答弁の
大胆差と先ほどの小鮮局への頸がそれ以外
にあこれは天才だなって思った瞬間りまし
たあ何度もありますよ何度もありますよ何
あかあのね何の時だったかな
うー年金の掛金実能問題ってのがあったん
ですよねはいでそれは私たちは例えば政務
時間とか大臣とかいうこう政府の役職に
つく時はうんうんうんその年金とか健康
保険とか特に健康保険は切り替わるんです
よねうんでその国民健康保険から組合健康
保険に切り替わるわけではいそうすると
国民年金って別に立場が変わったからって
変わらないんだけどもそのそれぞれの町村
役場がん間違えて国民健康保険が組合憲法
に変わったんだから国民年期の駆も払わ
なくていいのかみたいなことになって箕面
機関が生じたんですよなるほどんでその
箕面さ兄弟と言われてえ長南麻生太郎うん
うん先生が何だったかな財務大臣だったか
な総務大臣だったかなで次男は中川正一
農林水産大臣と言って三南石橋防衛長長官
といってま3人が会でガンガンやられる
わけですよねすいませんごめんなさいとか
言って詫びたんですがうん野党が小泉総理
はあなたにも問題があるってんだろうなと
予算委員会でしたからね閣僚石で聞いてて
うんうんあんたはうんなんだってその最初
の選挙に落選してはいまこれまた珍しい話
なんだけどお父さんの友選挙で落選し
たって珍しい人でしたからねうんうんうん
でそん時に落選して小泉家ってのはなんか
商売やってるわけでもないからうん横浜の
ある建設会社の社長がいや小君立派だと君
こそ日本の国を担にふさわしいと僕の会社
の社員になりなさいと会社来なくてもいい
から給料払ってあげるからいい政治家に
なるために勉強しなさいつってある会社に
雇ってもらったんですておおでその間給料
もらってたんですって何も働いてなかった
んだって問題だとあんたは何にも働かない
で給料もらってたんだってうん何にも働か
ないで年金の保険料も払ってもらってたん
だって何にも働いてないのに年金の課金を
払ってもらったと何事だとか言っなんだか
よくわかんないけどそういうことが問題に
なったんですようんうんんでね小泉順総は
殺そと答弁に至ってねうんいやあいい社長
でしたねとうんもうなくなってしまえた
けど私のことを見込んでくれて給料も払っ
てくれたし年金の保険料も払ってくれたん
ですようんいい社長でした
ね会社もう色々人生も色々なくなって
しまえたけど私は総理を辞めたら1番にお
墓前に行こうと思ってんですよつってはあ
みんなへえと思ってシーンとしちゃってね
なんとなくその場終わっちゃったんの会社
も色々人生色々そうそうそうこれは有名な
答弁ですよねはえでその晩テレビ見ててね
私はひっくり返って驚いたねその社長は
死んでなかったんだよね
え生きてたんだよねそうなんですかでまだ
生きていましたみたいなテレビになるわけ
ですよ次の日の国会はただジャスマんです
よなんなんだ総理とはい会社も色々人生も
色々と書て生きてるじゃないかうんあんた
の遠目はこほさに全部いい回なとて言った
んですよねやべえなこれと思ったら小泉
総理またさそと答弁に立ってねうんよかっ
た生きてたんだといい人は長生きするん
ですねもうみんな何も言えなくっちゃ
面白いですね面白いっちゅうのかなん
ちゅうのが天才ですね小泉劇場小泉劇場
はあそのその小劇場の旋風がそのある1個
前の段階から小泉さんの頸がを見てたわけ
ですけどそのリクルートの煽りを受けて
政治不審その後自民党芸しますよねはい
はいはいその時に自民党のその方針に対し
意を唱えて離島されるじゃないですかはい
はいはいその時に行かれたのが小澤一郎
さんの新身党そうそうそうですよねはい
この辺りで小沢一郎さんていう方に出会う
わけじゃないですかまあねここはどういう
感覚だっったかいや私ね小沢さんっていう
よりねはつ友さんが好きだったんですはい
そうだったんですねはいはすごく短く総理
やられましたけどねはいはい私は田中派の
派閥師をやってた時にうん羽津友さんって
人にすごい憧れてた竹下七業の1人ですよ
ねはいはいで言ったらまその先輩なわけ
うん大先輩そのはさんどういうところが
いやとにかく選ぶらないへえね偉い先生
相手でも秘書相手でも全く態度が変わら
ないうん選ぶらないし明るいしうん
とにかく人柄素敵だなあと思って私あの
秘書やってた頃にね田中のはいうんは先生
が鳥取へ来られて私運転手やったことある
んですけどね時にもちっともいらないうん
兄気分みたいな感じでねうんこの人素敵だ
なこの人いつか一度総理にしたいなって
ずっと思ってたからへえ小沢さんとはさん
ある時期まではい新身島を作るところまで
政治行動共にされてたから私小沢さんって
よりはさんが好きではい結果小沢さんと
行動共にしたところありますそうだったん
ですねはいでもそんな中でまその新身島の
方針もだんだんと変化してまご自身の感覚
と違っていたはいはいがゆえに服装され
るっていう道そうだからあのいこれがね私
のその思い込んだらすぐやっちゃうのが
悪いとこなんだけどうんその新身島という
とこへいたはいでその解散総選挙になるで
当然公約を作るそれがファックスでじっと
送られてきてみと消費税は20うん世紀
当時20世紀でしたからね21世紀まで
据置きだ集団的自衛権はこれを認めないの
だと書いてあってちょっと自分が言ってき
たこと全然違うなるほどで世論調査やって
あの当時自民党の人とやって小鮮局です
から1対1ですよねうんうん勝て
るってのは分かってたんですうんうんだ
けどその自分と違う公約の等と出てから出
て当選するとその人気のずずっとそれに
こうなんだろうなその制約されるわけです
よねはいそれやだなと思ってうんそれで
離島して無所属で出たんですよねうんだ
からこう私はあの自民党1回離として新身
党も離としてはい2回生徒は離としてんだ
けどねそういう意味で言うと国民の
イメージしてる政治家さんって受かるため
にこう本いくていうイメージがどこかある
んですけど受かる受からないをリスクに
さらしてでも自分の意思を優先していくっ
ていう政治家さんですよね石さあの嘘言っ
て通るんだったら本当のこと言って落ちた
方がいいと思ってます石さんみたいな人
って多いですかどこでしょうだから少ない
ような印象を受けるんですねだからこそ
すごくこの離島のエピソードって特殊な
エピソードとしてうんこう出てくるのかな
と思うと
うん石葉さんの中ですごく本当のことを
言う思ってないことを言わないここすごく
大きい価値観のように思えるんですよね
うん私にとって当たり前なことなんです
けどねなるほどあの嘘言って当選するって
ゆけし騙すことじゃないですかそうですね
それはま人間としてやっていいことじゃ
ないと思うけどなか私の中で石さんが竹下
さんにうん本当のことを言うってことはて
いうことでうんうんめられた話私それ非常
に印象残ってましてなんて言われたんで
たっけはい当選4回だったかなうん常人長
やってたから当選4会だったかな
のなんかのことで竹下先生の指定にご自身
のおうに行ったことんですよね相談にねで
あれこれ話をしてて話が終わって竹下先生
ね玄関まで見送りに来てくださったんです
よねこの辺が偉いもんではいがなあとお前
は言ってることを正しいと思って言ってん
だろうとはあとよく聞けよと正しいこと
いう時は人を傷つけるってことを忘れるな
よって言われましたね
はあこれ聞いた時に石さんの中でどういう
感情になるですかうだね竹下先生ってのは
はい本当になんでこんなに私みたいな人間
によくしてくれるんだろうてもうほどよく
してくださったんですうん議員に出る時も
そうはいあるいは自民党に戻る時もそう
うんなんでこんなに良くしていただけるん
だろうなと思うほど良くしていただいたの
でごは一生忘れちゃいけないと思ってん
ですけどどうその先生がはいお前なと
正しいことを言う時は大体石本当のこと
ばっかりて嫌なやつみたいな話は聞いてた
んでしょね竹先生もだからそういう時は人
を傷つけるってことを忘れるなよって言わ
れたのはガーンときましたねショックだっ
たんですまそうなんだってところがあっ
たただそんな石葉さんから見て竹下の堀さ
んってのは本当こと言わない人なんですか
分かりませんでも竹下さんのすごさっての
ははいね最初に私が選挙に出る時にうん
鳥取のね町長さんだ村長さんだ町会議さん
だ村会議さんだもう色々あったけど石場を
こでやんなきゃいけないなって人たちを
わざわざ東京まで呼んではいはいうん
みんなさんすまないなあと竹下さ君の面倒
を見てやんなきゃいけないんだけど
いろんな事情があって見てやれなくなった
とここにいる渡辺道男さんが私の代りに
面倒見てくれるよろしく頼むつって1番
下坂原職倉大臣が頭さいましたからね
はあそりみんな感激ですよ
そこまでやる人なんですかうんで私が色々
あって自民党出てまた自民党に戻る時はい
竹下先生が一番なとお前なんか帰ってこ
なくていいってやつがといにも何人もいる
だろうと
うん竹下さんが直接電話してやるからつっ
て電話してくださったですよ
へえそんなすごいことだったその田中か
さんが神だとして純一さんが天才だなうん
したら竹下のさんってどういう人なんです
か今やらないでいつやるんだと自分がやら
ないで誰がやるんだっていう最後の戦い
うんアジア版の名なんでウクライナロシア
に攻められちゃったんですかねはい国防が
あり防災がありはいそして地方創生があり
そなことやって国民を守っていきたい大変
なこと
ですプログレス
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All
I
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Ithe
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人は何者にでもなれるいつからでも次は
あなただ