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というわけで 本日のゲストは茂木敏充 現役
の自民党幹事長でございます よろしく お願いします よろしくお願いします
ありがとうございます よろしくお願いし ます 茂木さん もうすごいタイミングで 実は
これ収録のタイミングで 先ほどですかね あの岸田総理が総裁戦の不出馬を決める
発表がありましたけれども そんな注目 高まる最中 お話伺えるということで今日
よろしく願いいたします まあ3年間 一緒に仕事してきましたので あのとっても
残念だとこういう思いですね なるほど いろんな評価あると思うん
ですけど この3年間日本で言い ますと 30年間続いてきたデフレと
これから脱却を進めて大幅な賃上げも やってきました それから防衛力の抜本的
強化 更にはDXを進めてエネルギー政策 を転換すると そして子育て支援策 これ
を大幅に充実する 大きな政策 判断をして これを進めてきた 外交面
でもG7広島サミット始めですね 積極 的な首脳外交 これを展開してやっぱり
この3年間で日本のですね 国際的な 地位とこれ間違いなく存在感というのが
高まってきた こんな風に考えてるんです けど なるほど 政治資金の問題があったり
とまた物価高が続くと いまこういっ た中で厳しい政権運営だったのは
確かだと思っておりまして なるほど 総裁戦に出馬をされないと 重い決断だ
なと 重く受け止めなけりゃいけないなと こんな風に思ってます なるほど確かに
そのね功績もある中で色々と厳しい環境に もあってということの判断だということ
ですよね はいそうですね いやそんな中ですよ この茂木さんの一挙手一投足 今日本国民
かなり注目してるところだと思います そうですか いや お忙しい中来ていただいて本当にありがとう
ございます こちらこそありがとうございます 本日は ですね 前半の方で茂木さんがどういう方なの
かっていうのを改めてお伺いさせて いただく経歴の話を聞かせていただいて
後半では その茂木さんが今後の日本を どういう風にしていきたいのかという ビジョン
聞かせていただきたい よろしくお願い いたします はいよろしくお願いします まず
経歴があの華々しいことでは有名だと 思うんですけど 元々は栃木の分校出身で
いらっしゃるっていう これも最近よく お話になってますよね ちょうど私
が生まれるですね前の年に村だったんです けど 生まれたところが それが足利市って
いう市に合併をされて北郷村の分校 足利市の分校になったわけですけど
そこに4年まで通ってて 1クラス19人 本当にちっちゃい学校 コンパクトですね ええ で5年からは遠くの本校に通うと いまおそらくその 国会議員いろんな経歴の方
いらっしゃると思うんですけど分校出身と いうのは唯一なんじゃないかと
珍しいですよね 分校出身で 幼い頃の その生活環境で言うと非常にのどかなんです
ね 非常に自由というか大らかな感じで 育ったと思います 渡瀬橋とか
渡瀬川とかあの辺りの感じですか あそこは ですね かなり足利市の中でも都会なん
ですよ こないだロケ行ってらっしゃいましたけど あそこは観光の名所のほうで 市内なんですね 私のところ
はもっと山間部ですから 小さい頃は市内に 行くことは町に行くつってましたね
ちょっと冒険ですね かなり もっと 奥まったところで生まれ育ってという
はいそうですね バスもね1日2往復しか 来ないと 2往復ですか 午前10時と
午後4時 もっと走らせてもいいと思いますけどね いやいや あんまりそんなに人がそこまで
利用しないんですかね 人口少なかっ たですね さらに人口が減っ
ていって僕が通ってた分校もですね 最終的には廃校になってしまうという
ことで やっぱりこの 生まれ育ってきた小さな街の
ですね 学校がなくなってしまうのは寂しい 思いしましたし これからこういうことが
あっちゃいけないな ある意味 地方の活力アップというのが私に
とって政治の原点なのかなと こんな風に 思ってます なるほどご自身の生活の原風景
のところが今その言動力になっ てらっしゃるんですね なんか
聞いた話によるとちょっとシュウマイも違うって 聞いたんですけど 普通のシュウマイは普通
に皮があってお肉が入っててね 栃木の その地元のシュウマイがちょっと違うんですか
地元のシュウマイはですね 片栗粉と刻んだ 玉ねぎだけで作ってやって それがシュウマイだ
と思ってたんですよ ずっとそのお肉 なしのシュウマイ ええそれがシュウマイというもんだと思ってたんです 少なくとも高校までは 高校まで結構長いですよ 東京に出てきてですね 東京のシュウマイというか横浜のシュウマイというか
東京のっていうか多分それ以外の大体 のシュウマイですけど 食べてですね 具が
入ってるとびっくりしましたね 本当に 本当にびっくりして 珍しいびっくりです
けどね その肉が あるっていうのでみんなになんで肉入ってん
のっていう感じで 感じでびっくりし ましたね したらあれ肉入ってないのって
周りに言われますよね 言われたと思います ね でしかもですね こちらのシュウマイ
って醤油で食べるじゃないですか 醤油か はいカラシと醤油と それに対して
ですね田舎のシュウマイは絶対ソースでしたね ソースで ソースで食べると 主にでも皮に
包まれた片栗粉を食べてるわけですもんね いうことですね 例えばラーメン
ライスがあるとするじゃないですか この ライスの代わりにシュウマイが出てくると こんな
印象なんじゃないですかね ちょっとそれで 受け止めきれないです 炭水化物炭水化物
ってことですかね ですね ああなるほど なるほど ただやっぱり率直に言って 違う
食べ物ですけれど 確かに 東京のシュウマイ うまかったです ですから今でも
崎陽軒のシュウマイ弁当 よく出張なんか 行く時にですね 新幹線の中で
食事しなくちゃね 横浜名物といいますか あれよく食べますね 大好物です やっぱ
シュウマイショックの記憶があるんですねえ 何か でお話になったので私が驚いたのが 崎陽軒
のお弁当の配置 あれを結構詳細に覚え てらっしゃったんですけど 今でも覚え
てらっしゃいますか 覚えてます あの愛着あり ますから ちょっとご説明いただいてもいい
ですか 置き方どっちに置くかなん ですけど ご飯を左側に置くとしたら
俵飯みたいなの入ってるわけですね あのごまが乗ってまして 真ん中に小梅の白い
方のが入ってるんですね でこっち側に ですね 半分で区切ってんですけど
その区切った半分のとこにシュウマイが5個あるん ですけど4個並んでもう1個あると L字
L字です 上の方に1個はみ出し てるという感じで そこに醤油とカラシが置い
てあると その端のとこに で1番右の上のところ にですね またこっちが三角になって
まして そこに刻んだコブとですね それ から生姜が置いてあるという感じで その
上からも来ますと 唐揚げがあるん ですね 唐揚げがあって 卵焼き それから
板わさが1個入ってまして かまぼこの横に ですね デザート用のあんずですね
干したあんずていうか がありまして それからビニールのですね
あのなんていうか仕切りがあるんです グリーンの仕切りがあって その先にですね
マグロのあの醤油漬けの焼いたのが あって それが1番手前にですね
たけのこのちっちゃく刻んで炒め煮てある やつです 詳しすぎます あのちょっと普通の人間
ができる説明じゃないんですよ それ見てあの茂木幹事長がよく尋常じゃない
記憶力があるっていうことをよく言われ てらっしゃって フォトグラフィック
メモリーとか いや本当にそれは仕事に 使ってるんだろうなと思ったんですけど
これは間違いないと思ったのが その崎陽軒 の説明なんですよ 興味あることは
映像で覚えられるんですけれど 全部 覚えてるわけじゃありませんし それから
忘れることありますから 卵の位置がどっち だったかとか それは場合によって
若干違ったりとかしますんで 謙遜が通じ ないぐらい細かかったです 崎陽軒の社長で
も覚えてないと思いますよ これがね私の茂木さん今日お話しするに
あたって とっても面白いと思ったのが 崎陽軒全部を細かく嬉しそうに説明し
てる時の茂木さんが 最高に好きなんですよ 美味しいです 美味しいもの好きですし
こないだシンガポール行ったんですよ アセアン 4カ国まわられてましたね
インドネシアから入ってシンガポール ・タイ フィリピンとこの4ヵ国 ちょうど
シンガポールもですね 新しいローレンス ウォン 新首相に変わったりとか そういう
その4カ国アセアンの中でも 中心になる国ですから この首相とお会いしたり
とか トップとお会いしたり それからいろんな ですね スマート農業をやってる現場とか さら
にはスタートアップ そして ライドシェアと こういう現場なんかも
見てきたんですけど 何しろ シンガポールのチキンライス うまいですね
うわあ 世界4大料理に入れたいぐらい ええすごい嬉しいですね あれ美味しい本当に
美味しいですね シンガポールチキン ライスの説明は大丈夫ですか 今 できますよ
あの配置を説明する動画じゃないんですよ 今日栃木の分校でそこから
スタート まだ経歴途中なんで 続けていい ですか もちろん 栃木の分校から足利の高校に行っ
て そこから東京大学入るんですね でも栃木で足利からさらに東大入って
その後に 丸紅 そうです と読売新聞でしたっけ 丸紅に
行ってから海外留学します その後に ハーバードの大学です
これってあのわかんないですけど その 足利の高校でも非常に珍しい経歴という
か 東大1人とか2人とかじゃ なかったですか 現役は1人だったと
思います 当時 ですよねその なんとなく感覚なんですけども 先ほどの
分校からスタートして これ成績で 敵わないなっていう人に出会いましたか
1度でもいやでも小学校でもできる子は いましたよ いないと思いますよ
ハーバード入る人 分校に何人もいないと 思いますよ まあ意外と試験は強かったの
かもしれないです 一発試験は やっぱり記憶力のところがすごく利いたんですかね あんまりあがったりしないっていうんですか 緊張したりとか 試験なって
例えば頭が真っ白とかいうことあんまり ないんで どっちにしても全問なんか
できないと こういう感覚でやるんですね 例えば国語の試験があるとですね
絶対現代国語からやったらだめです 国語の試験 大学入試はですね これ入試
受けられる方いらっしゃるかもしれませんけど 絶対に漢文です 漢文から行く 漢文 結構みんな嫌がる人
多いですよ漢文 出題範囲が非常に狭い です なるほど で次に古文です 漢文古文と
いく で現代文はですね やっぱりかなり 出題範囲が広かったり解釈の仕方もあり
ますんで 何時間やってもですね 必ずしも 正解できないんで まずはその失点の
少ない漢文から始めて 漢文で稼いで古文で そこそこまでいって あと現代文の方はですね
そん時の運ですね 戦略がすごいですね そこらあたりから いやただこれですね
私そういう風にやってたんですけれど 以前あのドラゴン桜っていうですね 阿部寛
さんが主演するドラマで東大に行か せるあれなんですけれど 彼がやっぱりです
ね そこで漢文古文からやれと 現代文は後 だとこういう風に言ってるんですね ドラゴン桜で
答え合わせしたってことですか じゃあ だからやっぱり一緒だと思います 当たっ
てるんですね やっぱねえ もしかしたら私の方 が先に考えてるかもしれない ドラゴン桜が
パクってる可能性ありますからね いやでもそれぐらい勉強は苦手意識
なくどんどん来れて いやそんなことない です そんなことないですか あの苦手意識
というかですね まず好きなことからやる と 基本的には好きな科目
をやると 人類歴史非常に長いん ですけれど 500万年とかそういう
歴史の中で文明っていうのは4000年 ですから あんまり人類もですね他の
生物と一緒で学習って好きじゃないん ですよ 得意じゃないんで 苦手
科目のですね克服から始めたら うまくいき ません 好きなことやる 好きな
ことをやって それができたら次に行くと こっちの方が多分私はうまくいくんじゃ
ないかなと思った あのドラゴン桜の中でも ですね ドラゴン桜多いですね いやいや
分かりやすくすると すごくですね校庭 で昆虫を探してるなんていうか男の子出
てくるんですよ でこの昆虫の観察をすると その動きをですね 色々調べるために
数学の勉強が必要だったりとか それから 文献を読むために英語を学ばなくちゃない
この昆虫の動きを自分は知りたい と そのために数学をやる そのために
英語をやるっていうことで身についていく だから好きなことをやるということのが
多分私はいいんじゃないかなと思います 優秀かどうかよりまず興味持つかどうか
好きがもの上手なれ お好きなのはやっぱり 歴史ですか 歴史好きですね だって考古学
者になってもおかしくないというか なれ たらいいなとかそういう話もされてます
もんね すごくやっぱりですね 古代史というのが好きで シュリーマン
ていうですね 探検家というかそれが トロイの遺跡を発掘するわけですね あの
トロイの木馬っていうのは元々ホメロスと いうですね ギリシャの小説家が
小説で書いてきた 言ってみると伝説上の 話だろうと ところが実際にこのですね
ホメロスの史に出てくるトロイの木馬 トロイの文明を発見する 最高でしょうね
フィクションだと思ったら実際あったって いう こういうのとかやっぱゾクゾクするわけですね
もちろんです もし政治家 お辞めになった後で できることならメキシコの
なんか発掘もしたいとおっしゃってた はい テオティワカンですね なんですか ていう場所
なんですけれど あのいろんなまあなんて いうか 遺跡というのはあるんですけど
もうエジプトはツタンカーメンの墓が出てきて 王の墓は全部埋まってしまったんですね
もう全部コンプリートしたんですね で今1番出そうなのはおそらく
メキシコのですね テオティワカン これは太陽 のピラミッド月のピラミッドってあるん
ですけど このそばは出そうだと 20年 ぐらいまで出ないと言われたんです それが
最近ですね どうも出そうだって感じになっ てきて ワクワクしますね やっぱりそう
いう知的好奇心が昔からおありだったんですね ありましたね だから勉強そんな
苦じゃなくやれたっていうところが でも苦手なものは苦手です 苦手教科何だったんですか
えっとね意外と化学とかダメでしたね そうなんですか なんか記憶力でなんとか
いけそうな気がするんですけど ただ あんまりあいうですねCとかなんか
くっついてるとか ああいうのをですね なん ていうか見て覚える気にならないと覚え
らんないですね そう元素記号がちょっと 歴史とかとだいぶ違って 物語性はない
ですもんね そんな気がするんですけど ただ それを好きな人は好きなんだと思いますよ
確かに そこからお仕事をされて 丸紅に行ってからハーバードに行かれる
時に学ばれたのが行政学でしたっけ 行政学ですね 正確に言うと政策
科学っていうかですね パブリックポリシー なんで 政策科学っていうことなんです
けど 基本的には行政学の一部だと思い ますね そういうことはその政治を学びに
行ったってことですか それに近いと思い ます ただその時に自分が政治家になる
いうことはまだ考えてたっていうよりか ですね どちらかというとイメージからする
とですね アメリカの大統領の主席補佐官 とかですね もちろんアメリカではなれ
ないですけど そういうそのなんていうか 政策を作るアドバイザーと こういう
仕事がしたいなと そういう感じは持っ ていてですね だからその後戻ってきて
から読売には少し居ましたけど マッキンゼーっていうですね
コンサルティング会社に入るんですけど これ国とは違いますけれど 大きな
企業の戦略を考えたりとか組織改革を やるということで 比較的近い仕事に入った
のかなと思ってんですけど なるほどじゃ そのマッキンゼーから政治に興味を持ったという
よりは そのハーバードに行く時に政治の アドバイザーとかそういうことをやりたくて
そうではないけれどもマッキンゼーになった っていう 政策のアドバイザーって
いうか 戦略を作る 戦略作りをすると それが企業であってもそうですし 究極的
には国になるのかもしんないですし 国際 社会になるのかもしんないですけれど そう
いうことに対するですね アドバイスを するというか 戦略を作ると こういうこと
をやりたいなということで やってい たんですね これ丸紅で何かそういう
きっかけが生まれたんですか それとも元々 それをしたかったんですか まずですね
ちょっとかなり田舎もんなんで 世界を 見たいという気持ちはずっと持っていたという
まずはそれが東京ですよね 憧れの街 大都市 首都東京を見たい 憧れで行く
行ってみたらシュウマイも違うしやっぱり カルチャーショックだ でさらに大きな世界 を見たいということで 海外という
ことで少し商社で研修を積んでから いつかは海外に行きたいと こういう
思いを持ったんですね そうかじゃあ丸紅を選択 したのもその海外に行くために商社を選ん
だっていう感じだったんですね 広い世界を 見たいと それで丸紅に行った時に
世界を見るっていうのと 戦略を作る人に なりたいっていうところが合致して
ハーバード そうですね でもなかなかその経歴の人って
周りにいらっしゃらないんじゃないですか ただ全員じゃないですけれども
海外に留学してる 議員っていうのは非常に多いんじゃない
かなと思いますけど なるほどなるほど 海外留学されて戻られて マッキンゼーから
今度日本新党で出馬するまでの間に 平成維新の大前研一さんが作られた 政治 どういう集団なんですかね
なんていうか政策グループって言うんです かね政策提言グループというか そういう
感じだったと思うんですけど ちょうど92年 1992年なんです
けれど 日本でバブルが崩壊をすると いう中でですね あの日本が沈みそうだと
いう時に なかなか政治がダイナミックに 動かないと いうことで だったら自分が
やろうかと なんとなく考えてる時に ですね ちょうどあのマッキンゼーの先輩でもある
大前さんが平成維新の会というのを 立ち上げて 手伝ってくれ ということで
そのお手伝いもしながらちょうど 細川護熙さん 総理になる とも大前さんも
親しくしてましたし 私も面識 インタビューをしたりとか細川さん会った
んで 連動する分もありながら今度は 細川さんが日本新党を作るということで
日本新党から立候補するということになり ました これまさにあの時代の激動の
あの日本新党の1個の事件というか あれにそのマッキンゼーに入ったということで 誘わ
れて大前さん経由なのか そのあれなの か それに近いかもしんないですね
細川さんのことも存じ上げてました インタビューしたりとかされてたんですね
でその時にはもう政治家になろうっていう ある程度だからこのバブルが弾けて
日本をどうにかしなけりゃいけ ない でちょうどその頃は東京一極集中と
いうことが言われてまして 東京に人も 集まるお金も集まる 一方で僕の生まれた
ような地方っていうのは どんどん さびれていくと ちょうど私がですね
『都会の不満 地方の不安』っていう本書いたん ですけど 本をマッキンゼーの時にですか
マッキンゼーの時です はい あの7冊書いてるんですけど 本 それが
1番売れましたね 1冊目が そうなんですか その最初に著書を出して
提言をしようと思ったわけですよね 社会に ええ このバブル崩壊 これから日本
どうなるんだ 地方どうなるんだ 東京一極集中 これに提言する頃にはもうも政治家になる
つもりはあった ある程度 それ はアドバイスだけしていても なかなかこの
国は動かないなと だったら自分も中に入っ て内側から変えよう という気持ちに徐々
になりかけている時に大前さんから誘わ れ 声がかかり 細川さんから声がかかりと
ある意味偶然ですね でもなんかこう 引き寄せられるかのように自分の変化と
社会の変化と周りの環境が揃っていったん ですね だと思います それでも
日本新党で細川さんが党立ち上げますって いう時に それが自民党を下野させて
ていうとこまで見えてました いや そこまであれですけれど やっぱり
新しい政治を作ってくと いうか 新しい日本を作っていく触媒
になればと そんな思いはあったんです けれど あれよあれよっていう間にですね
政権交代が起こるということで それは 予想以上に大きな動きだったと こんな風
に思ってます 読んで勉強してても 怒涛の転換点だったと思うんですけど 中に
いる人としては 何が起きてるの かっていうのは把握しきれてたんですか
あれは選挙もそうなんですけれど ある意味ですね 始まってみる
とすごく勢いって感じるんですね やっぱり良くなってるなと 別に私そん
な2世でも3世でもないですし 普通の サラリーマンの家ですから 別に
家柄が政治全く関係なく て別にそんなに知名度があったわけでは
ないんですけど 若干テレビ出たりしてまし たけど それでも出てみたらあれよあれよっ
ていう間に上がっていくな 反応が良く なっていくなって 風を感じましたか 感じました
地盤・看板・鞄なしで出て なかなか うまくいかない世界じゃないですか それが
出てみたら ガッと風を感じた 一気に 行った感じがしますね その時どういう
気持ちになってたんですか その時はもう 必死に選挙ですから1人で
も多くの人に自分の考え聞いてほしいとか 日本をどうしたい 地元をどうしたいという
ことを必死に訴えたわけですけれど 日に日に反応が良く
なっていくというか ビラを持っていても 最初は100m先の人にですね
走っていってそれを渡すと それ が10m先の人になり 逆に最後は向こうが取りにきてくれた
すごい そういう感じでしたね 強烈な体験ですよね しかも最初の立候補で
ええ 最初の立候補でそういう経験をする 人ってもなかなか多くはないですよね
例えば小泉旋風の時もそうだったかも しれませんし ちょうど我々が一旦下野を
して 2009年ですけど2012年 第2次安倍政権が発足をする あの時も
やっぱり勢いはあったと思いますね そうか ちょっとその時の風を感じる選挙っていう
のは何度か経験している それの最初が 日本新党で移行した時で まさにその
細川政権が連立ですけどなって でもすごく短命でしたよね あの
短命で終わるところも間近で見 てらっしゃったと そうですね あれどう
いうことが起きてたんですか おそらく 今振り返ってみると 非常に志の
高い仲間が集まってたんだと思うんですね ただ残念 ながら経験が不足していたりとか実行力が
不足していると こういう部分があって 国という大きな組織をガラっと動かし
てくのには力が足んなかったんだと思い ます やはり政権を運営するっていう意味
で言うと志とか 地頭の良さだったりとかっていうもの以上
に 経験であるとか 何かしらの 実力っていう必要なんですか ある
意味ですね 人脈も含めてこの組織は誰を 動かすと動かすとかどういう
モティベーションだと動く組織だとか そういったことは考えなくちゃいけないん
だと思うんですね もちろん その逆によく言う永田町論理とか霞が関の
前例主義とかこれにどっぷり浸かっちゃ いけないんですけれど やっぱ彼らはどう
いうモティベーションで動くのかという ことも考えながら 一緒に考えて
やっぱりこっちの方向じゃないかという風 にしないとですね あんまり北風のよう
に吹いてもですね コートを閉じるだけな んですね やっぱりあの太陽のような感じで
ですね ある意味その呑まれて はいけないけど永田町の論理であったり霞ヶ関の
主義であったりっていうのも理解しとく 必要はあると 理解してく必要はあると思い
ますけれど そこにあの染まりきらないで それが当たり前になったらですね やっぱり
変わりませんから でもその動かし方は精通 しておく必要があったんだろうというのは
細川政権を見て思ったということですよね それ を見てその瓦解していく中で その小沢さんと
かが新進党でしたっけ なんかまた違う政党 作る中 1-2年後に茂木さん自民党に入られる
じゃないですか あの決断っていう のはどういう経緯があってのそういう決断だったんですか
日本新党が これ解党するわけですね そこで多くの
人はこの先ほど言った新進党 小沢さんであったりとかそういう人が中心
になって新しい政党を作るんですけれど やはりその政党を見ていても
できていくプロセスを見ても やっぱり経験 とか実行力は不足してるんじゃないかな
なるほど やっぱり本当に変えようと思っ たら色々問題あるけれど やっぱり力を持っ
てる政権与党になる自民党の中に入って そっから変えていった方が日本改革
できるんじゃないかな そういう決断ですね なるほど実際に日本変える力があるかどう
かという目線で日本新党に参加したことと 新進党の結党の雰囲気を見ていての判断
ということです あの日本新党に入っ たことは後悔してません やるべきって
いうかやりたいことはやったつもりなん ですけど それはうまくいかなかった その
上でおそらく新進党に 行っても同じことになるんじゃないかな
それだったら1回その反省も踏まえて ですね 新しい選択をしようっていうこと
で自民党に入りました その細川さんが 日本新党で経験がないの分かるんですけど
も新進党小沢さんが仕切ってたじゃないですか なぜその何かがないなって思っ
たんですか やっぱり私今でもそうなん ですけど チーム力だと思うんですね
ある程度の メンバーがいると何十人かのメンバーがいて
それぞれ得意な分野とがありますから その チームで問題を解決していくというか課題
を解決していくと こういうことから言うと チーム力ってのは感じられなかったと 確か
に小沢さんっていうのは経験もあり ますし 実行力もありますし 壊し屋と言われ
たり いろんなことやってきましたけど なんとなくチーム力っていうのは感じなかったですね チーム力を感じ これは小沢さんの個の
の力が強いのではないかと ですね どちらか というと そこから自民党に入られて
自民党に入った上で 知りたいのが そのいわゆるその経世会と言われる その
当時まだ経世会と呼ばれてた その 時はもうですね 平成研に変わった
ぐらい いわゆるその田中角栄さんの流れを 踏む旧田中派と言われたりもするような
竹下さんもいる経世会平成研に入られるわけ です それは大体自民党に入るとなると
どこかを選ぶんですか それとも選ば ない選択肢もあるんですか あの大体誘わ
れるもんなんですね 誘われる 大学の新歓 サークルの そんな感じです こっち
のサークル入りなよみたい感じがある んですか そこの中でいく
つかのとこから誘ってもらったんですけど たまたまこのですね平成研というか
経世会ですね 分裂したちょっと後だっ たんですね 小沢さんたちが出ちゃって 竹下
七奉行の分裂事件の後だったんですね それでそれ までは第1派閥だったんですよ それが
第4派閥になったんですね そんなに 下がったんですね で株もそうです
けれどやっぱり底値の時が買いなんですよ すごい ここでマッキンゼーというか
ここで底値買いだって思ったんですか その時の第1はちなみにどこだったんですか
第1派閥は第1派閥当時はですね 多分 今の清和会だったんじゃないかなと思い
ますし それから宏池会 岸田さんのね でうちはいずれにしても第4派閥だったん
です 第4 あと中曽根派がありましたね だから中曽根さんのところって今でいう
何かな えっとね今で言うとですね あそこももう最終的には二階さんのグループ
になって 二階派 志帥会でしたっけ そうか 第4だいぶとギャップがあって
かつてのもう経世会支配と言われたところ からガーンと下がってるけども
つまり底値買いってことはまた上がるって 可能性を感じたってことですか なぜ
ですか やっぱり人はいましたね 人がいた ええその時に光を放ってた人って誰なん
ですか あの橋本龍太郎さんとかいまし たし 梶山静六さんとかいましたし 小渕さん
ももちろんいましたし そういう人がいたり 中堅でもですね 今どちらかと言い
ますと違うグループに行ってます けど 議長になってる額賀さんがいたり
鈴木宗男さんがいたりとか そういう中堅 クラスも結構しっかりしてましたし かなり
メンバーを見て今ガーンと人数は下がってる けど 分裂して これいい人揃ってるぞと
で特に意識した人と いうかこの人見 てみたいって思った人って
いますか 今言った人の中ですかね やっぱりあの梶山先生 っていうのはですね 哲学
持ってましたし 素晴らしい政治家だなと思いました あと
政局は強かったですね なるほど政局に強 いってどういうことなんですか あの
いろんな動きがあった時にですね そこで 反射神経的にどう動いたらいいかと
いう力は梶山先生が持ってましたね その色々とこう思惑が錯綜してる中で
アドリブの動きというか あのアドリブもあるんでしょうが経験値に
基づいてどういう風にして多数派工作を するかとかですね どうやって権力を握っ
ていくかとか こういう力はやっぱり持って ましたね もちろんこれは国を
変えたいとかそういう大きな思いがある中 でです それから橋本龍太郎先生は政策には
は強かったです そして小渕さんていう ですね あの非常に性格のいい人がいて
だから政局・政策・性格 面白いですね バランス良かったです いいバランスだ
ここはと思って選んだ で入っ てみた時にいわゆる平成研がその総理
を出すっていうことを何度か経験していく んですか それとも そっからですね
もう小泉旋風でしたっけ あんまりです ね立たずにですね 橋本政権ができたん
ですよ そして橋本政権がすぐできた それから小渕政権
ができたんです そこまでは 大体その底値で買ったのがかなり
上がってくると こういう 読み通りだと いい じゃないと 底値で買ったけどガンと
上がってますよねえ 総理総理総理 2人生んで そっからですね今度
は森総理になって 小泉さんになって清和会だ ちょっと流れが変わっていくと
話違うぞと しょうがないですね その時はあれあれっていう感じなん
ですか やっぱり小泉 政権ができる時は1つの勢いってのは
感じましたね いや小泉旋風ってのは とんでもないですね あれであの時はまた
田中真紀子さんっていうですね あの圧倒的 に次の総理になるんじゃないかと言わ
ぐらいの人ので あの2人が渋谷のですね 駅頭に立つとすごく人が集まってると
大人気だ 田中真紀子 さんも いわゆる田中角栄さんの娘さんであり
ながらその経世会的なものとの繋がりで 言うとちょっと違ったってことですもんね
そうですね てことはもう自分が 買った底値で買った株と違うところがガンと
成長してるっていうのは これちょっと どうしたもんかなっていうの思ったんですか
でもあの政治ってのはそういう もんですから 常にですね順風満帆ってわけ
にいかないんで 満帆ってわけにいかないん ですね そこはその時にただ小泉
政権でも大臣に抜擢してもらいまして あの3期でですね それは
あんまり思ってるほど昔は 三角大福中とかそういう時代は
ある程度主流反主流みたいにありました けれど かなり少なくともこの
20年とか見てきた時にですね 実力主義 というか あといろんなバランスを取り
ながら人材っていうの は活用してるなと それ感じますね じゃその
対立派閥というか自分の派閥じゃない けれどもあの人優秀だしちょっと働いて
もらおうかなっていう起用は結構あ るっていうことですね ですね そういう
風にしてきたと思います そういった面 で言うと清和会のその時代がそこ
から始まりましたけども 茂木さんはその中 でどんどん頭角を 要職をやって
いくことになりますもんね そこは もう派閥の垣根ではなく バランス取り
ながら1番優秀な人っていうところで どんどんと そうですね 特に第2次
安倍政権 これがあの発足してからは 経済産業 経産大臣をやり また党で
ですね 選対委員長 政調会長 また 政府の方に戻って経済再生担当大臣 外務
大臣 大切な仕事をやらさせてもらい ましたね そこでお聞きしたいのが
あのいわゆる2012年第2次安倍政権の 経産大臣ってことはいわゆるアベノミクス
のど真ん中でお仕事なさってたわけ ですよ そうですね アベノミクスど
真ん中ということは異次元金融緩和は これを率いていたということじゃないですか
その上で現状を最近の茂木さん のお話聞くと 臨時でやるはずだっ
た金融緩和が長引きすぎた弊害を今調整し なければっというスタンスを持っていらっしゃる
ってお見受けするんですけど 今振り返って アベノミクスのその頃ってどういう風な
感じだったんでしょうか その前の 年 我々が野党の時にですね ちょうど政調
会長私やってまして 野党の谷垣総裁のもとで 3月に党大会があるんですけど そこで
政調会長が政策の報告というか演説を するんですけど そこの中で日本の今1番の
問題はデフレなんだ このデフレから 脱却をしなくちゃいけない
需要がないと こういう風に言う人もいる けど 需要は作るもんなんだと こういう
スピーチをしたんですね 党大会が終わったらですね
安倍さんからすぐに電話がかかってきまして すごくいいスピーチだったと
自分も全く同じ思いなんだという ことで あの頃からおそらく安倍さんは
ですね アベノミクス3本の矢 この中の 最初に大胆な金融緩和を進める デフレから
脱却をする ということを考えていたんだ なと思いますけどね じゃあその共鳴
しての経産大臣にピックアップされて それで異次元金融緩和をスタートするわけじゃ
ないですか ところがその当初の狙いと は2年でっていうところだったと思う
んですけど 狙いと少しずれてきたなとか そういうその頃のことって覚え
てらっしゃいますか 異次元の金融 緩和 それからですね 機動的な財政運営
ここまでは良かったんですけど 最後のですね 民間投資とか民間活力
を喚起する規制緩和と これがなかなか岩盤 規制と 安倍さんももうドリルで岩盤規制
に穴をあけると言ったんですけれど なかなかここがやりきれなかった部分って
いうのはあるんだと思うんですね だから
日本経済の本格的な体力というか
特に民間の体力がですね なかなかつか ないと これがこの10年の日本のですね問題
なんだと こんな風に思ってるんですけど それができないために この金融緩和もう
少し早くですね 正常化していくという 予定がなかなか出来ない状態で来てしまっ
たと 今その岩盤規制があり その規制 緩和ができなかったので うまく機能
できなかった当初の目的 この岩盤規制って いうのは具体的とどういうものなんですか
あの例えば典型的なのはですね 今 一生懸命言ってるんですけれど このライド
シェアとかですね こういう タクシー足りないんですよ これ田舎
に行ってもそうですし 都心でもそうだ と思いますし 来年大阪で万博やると全く
足りないと思いますよ 海外から日本 にたくさんのお客さん来てくれると 当然
ライドシェア使えるもんだと思ってるのが 全然使えない こういう状態でですね
この部分全面的に規制 緩和をすればうまく運用できると思います
日本はライドシェアについての お話も聞いていきたいんですけども
いわゆる岩盤規制 その経産大臣をやっ てらっしゃった時2012年からもう12
年経ってるわけじゃないですか この12 年間崩れなかった岩盤ってのは
崩れるようになるんですか 崩して いかなけりゃいけないんだと思います それ
は崩れるか崩れないかっていうです ね 見方があると思うんですけど 我々は
当事者ですから それを崩していくと 別に壊す ことが目的じゃなくて新しいものを作ると
いうためにですね いろんな改革って いうのを進めてかなくちゃならない なるほど
確かにそれこそ 世界基準 そうですね 今の 日本的ライドシェアではなくて まさに東南
アジアとか回られて すごいです よね インドネシアでもタイでもマニラで
もそうですけれど 当たり前のように しかもですね もう4人乗りっていうか
乗用車だけじゃなくて バイク2人乗りの ですね ライドシェア結構流行ってんですよ
それ知らなかったです これジャカルタでも マニラでもすごい渋滞じゃないですか そう
すると車だとですね どんなにやってもです ね 進まないんですけど 間に合わないから
バイクだとですね その間をすり抜けて いけるっていうんで バイクのライドシェア
がやってますね シンガポールでもバイク のライドシェアは見たことないです
シンガポールはまだないかもしれないですね ああそう インドネシアはそうなってるんですね
シンガポールはある程度車の台数規制 これをやってる ためにそこまでの渋滞になってないって
いうのも1つあるんだと思いますね なるほど じゃそこ諦めずに行くと その
経産大臣アベノミクスもありましたし その 後いわゆる有名なタフネゴシエイター
の事件もあるじゃないですか 事件というか功績 あれ日米貿易交渉の時でした
何年頃ですか 2019年 2019年の夏 が最後ぐらい ちょうど5年前ですね
今ワシントンで最終の交渉をやってる頃でしたかね そのいわゆるトランプ大統領から タフ
ネゴシエーターだって言われたという エピソードはすごい それをすごい
スピードでまとめたというのも 残っ てるわけですけど その時の言われた
経緯というか流れっていうのは具体的に どういうものだったんですか ちょうど
4月ぐらいから本格的な交渉 これ月 にいっぺんぐらいですね 向こうの USTR 通商
代表部のライトハイザーという非常に なんていうか私から見るとよっぽどタフ
なですね 人間とやるわけですけど まず良かったのは日本のチームです
いいチーム これ主席の交渉官を やってる梅本さんから始まり 非常に若手
まで含めてですね 小ぶりなチームでした けれど非常にいいチームで まずはTPP
やったんですね 11カ国のですね この環太平洋経済連携協定っていうの
をまとめて ほぼほぼ同じチームで 日米貿易交渉に入っていたという感じなん
ですけどいいチームがあったと あと これですね 特にトランプ政権とやる時
はそうなんですけれど トランプさんて いうのは2国間でやるのが好きなんですね
やっぱりマルチ多国間の枠組じゃ なくて2国間でディールをすると
今までのビジネスの流れも含めてそう いうのお得意な方なんですね
そこでどっちが勝つかっていうですね ゼロサムゲームにするとうまくいかないん
ですね やっぱりそのお互いの関心は違い ますから お互いにとって勝ったねと
いう感じにこっちからすると言わ ないけれど6-4で勝ちだなと 相手から見て
も自分たち6-4で勝ちだな こういう Win WInの関係に持っていくということで
日本にとっても農産物これを いかに守るかってのは重要だったんです
けれど一方アメリカは当時ですね 大統領戦を控える段階で特に牛肉ですね
牛肉の関税っていうのがTPPが発行し ているんで オーストラリアなんかより
高いと これを同じレベルに早く 持っていきたい これ1番の関心時でした
からそこはうまく譲るというか ただ オーストラリアより下げるわけじゃない
こういう形で持っていってそうなると 別にオージービーフとアメリカのビーフが競合する
だけですから 基本的に入ってくる量が 増えるわけではないんですね そういう
交渉をしてWin Winな合意にしていったと ちょうど8月の末にですね
フランスのビアリッツでサミットがあると G7の そこで日米の
首脳会談がありますんで そこまでにライト ハイザー通商代表とまとめとかなくちゃ
なんない 今が最後ぐらい だっったんじゃないですかね それ
でそっちは牛肉ですよね こっちは農産物 守りたいですのギリギリのラインを
カチっと決めて 決まったんだっていう時に 言われるんですか タフネゴシエーターて いや
えっとそれはですね その少し前にですね 膠着はするわけですね 当然
なるほど どうするどうすると お互いに譲れないものはある
みたいな感じでもう少し 工業品もこっちは入れるようにしたい
関税を下げたいと色々やるわけですね その 段階で言ってみるとライトハイザー通商
代表 決して悪い人間じゃないとは私思っ てるんですけど トランプ大統領にですね
なかなか手ごわいんだと 茂木っていうのはと で 安倍さんに一言言ってくれと
いうんで電話がかかってきてですね 茂木が タフなんで もう少しどうにかなんないかと
そういう流れだったんですね 交渉で譲らないから茂木さんが いやいやそこ
はって言ってくるから もう上通して ちょっとやってくれの時に 茂木さんタフ
なんでちょっともうちょっと柔らかくして くれないかっていう ちょっと参っちゃうなぁ
ていう流れだったんですね 面白い そうだったんですね 言われてる
らしいよっていうのは後から聞くんですか 安倍さんからすぐ聞きました その後
電話かかってきた トランプ大統領 から で任してるから もう
茂木さんでいいようにやってって感じでし たね
へえ でも結果的にうまくこうまとまってる わけですから その話も1個の武勇伝になっ
てきますもんね タフネゴシエターって かっこいいですもんね いえいえ ただ大変
でした 大変だった その分まとまった時 ですね ようやくまとまったと 日米関係は
単に貿易だけじゃなくて安全保障も いろんな関係がありますから これ
壊せないということでですね ライトハイザー通商代表には いやこれ農業の分野ってすごく大変なんだと 自分はこの交渉をぶっ壊せば国 に戻れば日本に戻ればヒーローなんだと
下手にまとめたら国賊になっちゃう それでもやっぱり日米関係考えたら
まとめなくちゃと譲れるとこは 譲れるから ただ国会通らない条約 これは
発行しないんだからと 国内でもどうに か納得できるようなもんにしたいんだと
いうことで どうにかギリギリでまとめて 8月の中旬過ぎですかね ちょうどね
その日ね ワシントンの空がね真っ青だっ たんですよ 本当に晴れやかってのはこう
いうもんだなっていう感じ まとまったって いう空だったんですね 本当にそうだったん
ですよね それぐらい空の青さが胸に来る ぐらいしんどい交渉だったんですね 大変でしたね
でもそういうのを経てその功績を 受けて外務大臣にみたいな記述を読んだん
ですけども それって本当ですか まあそこは 安倍総理が判断をされたことだと
思うんですけど 半分 外交でしたから その部分っというのは
今度は外交でということで 2010年代後半のその激闘があり
12年からアベノミクスの戦いがあり経済 の 21年ですよね その幹事長に就任さ
れるのは 幹事長に就任した年と いわゆるその経世会の流れをくむ今の平成研
それの派閥のトップになるのも同じ年 でしたっけ 同じ年です これ2021
年すごく大きい年だったんじゃないですか 岸田政権が誕生をしてですね すぐに
総選挙をやって でその総選挙が終わって 甘利幹事長当時が辞任をされる
ということで岸田総理から 今 外交で頑張ってもらってるんだけど 幹事長
になってくんないかという電話があって 分かりましたということで 幹事長 その
いわゆる党の総裁に継ぐ大きいポストで あり 且つその背負ってる人間の数と
お金の量ってのも相当なものだっていう聞き ますけども それは予算で言うと国の方
が圧倒的に予算持ってますから なるほど 政府のほうが 持ってるけども その党の中での権力というか なかなか背負うの大変そうイメージなんですけど 運営するのは非常に大変ですけど それは
どの仕事も2012年経産大臣だった時 もそうですけど 1つ1つの仕事で選対
委員長は選挙については責任を持ちますし それぞれの立場でいい仕事は経験
させてもらったなと 特に 中田さんからおっしゃってもらった日米
貿易交渉は1つですし あと経済再生担当 大臣の時にですね 幼児教育の無償化
これをやったんですよ この担当だった んですよ これはなかなか税金の使い方
を変えたりとか消費税上げるんですけど そのお金を幼児教育の無償化に持っていく
この大きな決断したりということで 幼児教育からトランプまでいろんな
経験をさせて頂いたと思ってるんですけど 子供のことを見て国家のことを見て
アメリカとも渡り合ってその経験がある から幹事長もやれるだろうということで
お引き受けなさったという それは誰 かがやらなくちゃいけないことですから
なるほど やってみてどうでしたか幹事長って お仕事は 幹事長やってみて 最初の1年
ぐらいは次の年に参議院の選挙ありまし たんで その勝利に向けて
全力を尽くすということで 参議院の 選挙もですね 改選の過半数63議席
取りますし いい成果が出たと こんな風 に思ってるんですけれど その後ぐらい
からですね 例の統一教会の問題がでてき たりとか それから昨年ぐらいからは
政治資金の問題ということで それは 幹事長としてですね こういったことを
まとめていかなくちゃならないですから 大変 だったのは確かですね 幹事長の仕事
というといわゆるその選挙の時に誰を公認 するとかお金の配分であるとかを決め
るっていうことも大きい仕事であり 且つ その統一教会とか政治資金の問題
っていうのも大きく関わらざるを得ない ところにあるわけですけども あの1つは
選挙っていうのはとっても大切な仕事に なってきます それから国会を回していく
ということでこれは国会対策委員長って いうのもいるんですけれど 自民党と
いう会派ですね グループの責任者は 総理ではなくて 総理は
内閣にいるんで 会派の責任者は幹事長なん ですね だから国会運営の仕事があると
それからいろんな地方組織との関係 とかそういうことも含めて組織作りとか
党員拡大みたいな話もありますし それから 突発的に起こる事故とか事件とかですね
こういうものにも対応するていう ことで いろんなところからですね
持ち込み案件ってのが出てくるんです なるほど じゃあもうほんと目の回りそうな毎日
目が回るかどうか別にして 忙しいの 確かですね 忙しいですよね その幹事長
わーっとやって 1000日この前超え たっていうえポスト見まして もう
幹事長だいぶとやった上で 今また にわかに色々と時代が動いてますよね
これ色々と他でお話なさっ てる時も もしも総理になったらやり
たいことはあるっていうお話をされて ましたけども もうすでに逆に言うと総理
以外の主要なポストっていうのほとんど もうおやりになってるわけですもんね 幹事長も
政調会長も経産大臣も外務大臣もやった上 で総理になったらやりたいこと逆に
今までできなかったけど総理になったら できることっていうのもあるんですか
と思いますよ それは ただ どのタイミングと またなれるかどうかっていうのは
国民・党員の皆さんの支持であったりとか議員の 支持というのも必要なんで これは
いつチャレンジするかとまた その上でなれるかっていうのあるんですけど
やっぱり日本を変えていくと 最初 からの思いですけれど 特に経済ですね
やっぱり日本の経済を再生するという ことは第1だと思ってます そして海外
回ってもですね 日本への期待は大きい んですけど やっぱり経済が元気な日本と
いうのに対する期待はあるんですね 例えば東南アジアでこれから脱炭素を
進めるという時に日本の技術を使ったりと か日本の投資によって一緒にやってみ
ましょうと こういう話をするんですけど 元気なかったら投資できないですからね
確かに だからやっぱりまずは経済 だと思います じゃあそのお話をちょっとこの
続きで聞きたいと思いますので 総理になった としたら この日本経済はどう
できるのか このお話聞きたいと思います ライドシェアもそれから個人の副業も全面
解禁 これからは人生100年時代に入っ ていくというか 特に若い世代の負担を
少なくしたいな この国に生まれて良かった この国に育って良かったというですね 自信
と誇りをそれぞれの人が持つと そう いう国にしてくれるリーダー誰ですか
ね [音楽] 人は何者にでもなれるいつからでも次は
あなただ