【加藤勝信②】所得倍増計画!社会福祉も重視するニッポン総活躍のプランとは?【総裁選対談】

 

 

そこから平成権に入るわけじゃないですか
その頃の平成権というのはどういう状況
だったんですかねまいわゆる竹下派の流れ
から組んそもう早々たるメンバーがおられ
ましたよ野中ひ先生とはいはいはいはい
早々たそうたるメンバーがおられたその頃
の迫力がいやすごいま特に1年生だっから
はいすごい迫力感じて1年生でやっぱり
1番度迫力だったの野中さんですかまそう
です中さんもすごいもう迫力ありましたね
ああそのありますよねすごいありましたで
おっしゃることもまあのすごいきついこと
もおっしゃるけどもでもそれはなるほど
なって思うことをおっしゃっておられまし
たからああなるほどでもちろんこう政治
って権力闘争そのものですからそういった
こともよく分かっておられるうんていうま
そんな感じま今から見ればそういう思いも
しますよねうんはあだから本当はもっと
そういう方々からいろんなことをあの吸収
したかったなて思ってますしま中先生がん
延滞された後もなんとかあの東京とか京と
ちょっとお邪魔してまいろんなお話も
聞かしていただいたんですけどはいうん
ええそれ平成権ですごくお世話になった方
っていうと野中さんになるんですかそう
ですねあの1人名前あげるとすれば野中
先生に対になりましたね
うーん他にもこういろんな交流があったり
はしたんですかね平成系の中でま交流って
言っても大先輩ですから交流って言葉と
いうよりはご指導いただいたええああそこ
から第1次安倍内閣ができた時にえっと
大臣政務官内閣府大臣政務官でしたっけ
そうですそうですはいはいになられるじゃ
ないですかその辺りからっていのはこう
安倍晋三さんとのこうえるいうのも強です
総理との関係は先ほど申し上げたうちの父
と太先生との関係がありもうあのまだ
総理がまだお父様の秘書してた頃にえ夫婦
と一緒にゴルフしたりとかねいうぐらい
から始まってはいまいわば家族同士の
繋がりがありましたねそただ最初の第1位
の時は私もまだは出たばっかりだし3年目
ぐらいですよねままなるほどこんな感じな
んだなっていうぐらいでしたけれどもその
後に自民党がギアをして野党になるその中
ではあの創生日本っていうま保守を基うん
とする派閥横断的なまある意味では長頭派
あの自民党だけじゃない方も入って
いただいたんですけどまそういったところ
を安倍総理をヘッドに私は事務局長を
やらしていただいてでそんな活動を通じ
そしてそのまさに今総裁戦ですが当時の
総裁戦挙に安倍総理が出るという決議をさ
れてま当菅総理あの菅総理党と一緒にそれ
を応援させていただいて推薦人になって
あの薦というかち推薦人もなりましたけど
そのはいサポーターとして一生懸命やらし
ていただいてで安倍政権スタートしてって
いう流になってそこ大きい流れですよね
そのその安倍さんとのそもそもの出会いで
言うとその安倍慎太郎さんの誰からの家族
ぐるみのって今おっしゃってじゃないです
かはい最初にあった時って覚えてます最初
にあっその時って無月さん新太郎さん新三
さん勝信さんていういう時になん
んえっとねその時は最初になったのは父が
あのあの安倍え晋三さんだよって言って
紹介してくれてっていうのは多最初だっっ
たと思いますはいああ最初にそれはなんか
の会合かなんかの機会はいこれは新三さん
だよ新太郎さんのお子さんだよっていうの
であ初めましてていううんそういうところ
からえもちろんその時はまだ出馬したりと
かしてないいやまだまだ全然まだ当時は
役所の頃ですからあまだその官僚やってた
時時はい必死になる前はいにも会ってるん
ですねという時からですへえそこからの
流れででま私どものナコードが安倍慎太郎
国際にお願いもしてるわけですあそうだっ
たんですねかなりそこからで言うとその
師匠とま学府でありムさんと新太郎さんの
流れの中でいざ晋三さんが総裁戦で出る
ぞっていう時はどういう気持ち的にはどう
いう気持ちだったんですかいやもうあのど
2回目ですよね時はもうもう空出るなはも
派閥ちょっと違いますけどもそうですよね
平成権と正和会で言うとかなり違うで安倍
当時のあの総理も正和会では違う方を勝さ
ねそうだあ町村さ町村先生を勝んでそう
ですよねえだからままさにまさに派閥横断
な新しいスタイルですよねああその正和会
から町村さんが出るにも関わらず出
るっていうのっていうのはちょっとこうな
んだろうなピリッとする感じではあったん
ですよねだと思いますそっちの派閥の中は
ですねちょっと私そこは全部分かりません
けれども多分当時今今派閥はなくなった
当時派閥がある時ですガチガチにあります
からはいでその中でそのピリットしてる
けどある意味ここはここでピリッとしてる
からもう超会派で平成権からも関係なく
応援しようとま関係なくとま平成権の色々
考え方があったと思うんですけれどま私も
こういう関係でまば親族だよなと加藤はと
まそれは応援するのは当然だよねじゃない
と理解していただきながら当時えやらして
いただいたはあそれその平成権の方から
なんか言われたりはなかったですかそれ
以上はなかったですねあそうなんですねで
もあの2012年のムーブメントっての
すごい勢じゃなかったですかあの時も
すごくてその最初は今回モデになられます
けど石さんとから石さんが出られてはい
それからノテさんですかノテさんで安倍
さんが出られてはいえ林先生が出られて
はい町村さんいう流れの中でままさに当時
その決戦にまず残れるかどうかはいうん
うんうんいう話があってはいでえ下馬表で
はま石葉さん石原さんみたいな感じもあっ
たんだけどあ下馬表は石さん原さんだった
最初の頃はですねでまいろんなことでぐっ
たぶ下がってきてうんま番に入られてうん
で決戦投票では逆転するだすごい熱狂だっ
たんじゃないですかいやすごいすごかった
ですすごかったですよねその総裁戦の
2012年を内側でこの距離で応援して
うわってなってくのを見ていくってこれ
ドラマですよねなんかまなんか流れがはい
変わってこうこっち来たなっていう感じが
しましたねだからやっぱり総裁戦って
やっぱりその期間の
やっぱれ変わってくんですねはいこの潮目
が変わるというかそうですね潮目がで
生まれたりある種の発言があって変わっ
たりうんそれを間近に体験してその上で
現在ねおになってますけどもその時の体験
っては大きいですよねまその時のことも
思いながらやっぱり1つまだ今地名と低い
とか色々言われてますけれどもましかし
これからこういったことをしっかり主張し
ていく中でまぜひ潮目を変えていきたい
はい変えていきたい潮目は変わるんだって
ことを体験してますもんね変はいでそこ
からえっと副長官になるんですよね官房副
長官になってそれも大きいことでしたか
そうですね
あのもちろん北長官はいでこれもですね
あの選挙があってで自民党が勝ってはい
はいでそう次の世間スタートする前少しま
ちょっと時間なってそこでま何やろうかと
かってこうまた集まってやってた時にうん
突然総理がはいほっとてあ加藤さん副長官
やってねでこうやってへえあそんな言い方
そうそうなあそうなん俺副長官やるんだっ
ていうそんな感じで別に何をやらして
ほしいとかも全く思ってませんからそんな
お使いみたいなお願いの仕方なんですかそ
副場官やっといてっていう感じなんですか
そうま分かってるだろうかななっていう
ことだ思なるほど分かってるよねとうんだ
けどいやあんまり分かってなくてあそう
ですかっていう感じではでそれから約3
年間官房不長官やっ菅さんが官房長官
もちろんかてはい菅さんとのご縁もかなり
深いですよねその時ですね本当に深いご縁
をいただいたのははあその見ていてその菅
さんってどういうことです
かこと決めたら動かない
おおこうと決めたら動かないだから
やっぱり安倍総理が2回目出る時は相当
悩まれたと思うんですねはいうんほ
やっぱり1回目やっぱり体調崩されて途中
でえおめになっているうんうんそれから
歴史の中でないんですねそういう方そそう
だから2回目やったっていうなるほどで
それからまこの期間よりもうちょっと置い
た方がいいんじゃないかとかまいろんな
多分声があったまその中で菅さんが
やっぱり説得をしてったやっぱりそのそれ
ばやっぱり菅さんの強い思いがその安倍
さんの思いとこの繋がってうんふんふん第
2安倍政権ができた第2安倍政権の誕生の
ところから菅さんの意思を感じたってこと
ですね強だからま菅さんもぜひやって
もらいたいでそのやっぱ思いでもちろん
安倍総理もやろうという意思は当然あり
ましたけどやっぱりいろんなことを考える
とですねえこう少し揺れたこともあると
思いますけどその時にガチッとこうそれを
お支えたっていうかはあその菅さんと
かなりこう仕事をされててその後に菅政権
の時に官房長介になれるわけじゃないです
かはい
この流れがありますよねまずあの3年間の
官房長官官房区長官っていう中でもうほぼ
毎日のように長官のところに行ってえ時間
が空いてればですね用事があるだけじゃ
なくて10分15分ぐらいなんか色んな話
をさせてもらったりしてうんうんうんあ
なるほどこう考えてなとかうんもう本当
たえない話たからうんうんうんうんいうま
そういった繋がりを持たしていただいて
うんあのま菅内閣スタートする時にいや
まさに官房長官なるとは私も思ってなかっ
たんですが電話勝って来てくれないかって
言ったらいや官房長官やったよって言われ
はいあありがとうございますその時はどう
いう気持ちだったんですか官房長官任され
るっていやそれは大変嬉しかったですけど
でも
あ官房長官で当時の官房長官って菅さん
ですからねずっともうイジがうんこの菅
さんと同じこと絶対できないなとは思い
ましたけどねへえそう思われたんですか
はいそれそれなぜそう思ったんですかいや
それはやっぱりもう官房長官といえば菅
さん
ああそれマジカで見ていて菅さんのこれは
真似できないなっていうストロングなと
ころてどこなんですかねやっぱり決めたら
もう徹底的にこれやるああも断行力という
かもうもう引かないはあ遂行しきっちゃう
もじゃ要するにできない理由なんか聞き
たくないんだとほおできるだノーはないと
イエスかイエスだとうんその中で官房長官
やられるにあたってこご自身のストロング
ポイントというかこう自分にしかできない
菅さんと違ういいところていうのはどっか
認識されて違ういいところっていうとお
がましんですけれどもはいはいやっぱり
官房長官っていうのはやっぱりこう
いろんなこう目配りをしながらはいあ全体
がうまく回っていく内閣の中がうまくなっ
ていく等々の関係をうまくしていくまそう
いった意味ではやっぱりなんかここに
トラブルが起きそうなうんでるだけにをし
てそれをうまく抑え込んでいくっていうま
それに心がけてきましたねその目配りの
ところと調整していくっていうところは
この繊細さというかそこかなり意識された
んですありますねただ一方でその時にはい
あのそれをあの制限するのはは毎日2回の
官房長官記者会見なんですねおはいていう
のはあの官房長官記者会見も結構大変なん
ですけどもはいなんかことがある時っての
はそこは一て話をしなきゃいけないですね
うんうんうんうんしかも相手の事情を
踏まえていかないとほうあだそその抑えに
行けないじゃないですか相手のスケジに
合わせなきゃいけない時にこことこう
ガチッとこう入ってるとですねこの中に
どうそれを入れてで相手も結構忙しいです
から記者会見は決まってるし調整しなきゃ
いけないしでもできるまやっぱりこれ
フェイストゥフェースで話さないとですね
やっっぱりうんきちんとした理解もお互い
もできませんからうんうんトラブルの目を
積みに行くというか積むって言い方は
ちょっとあれですけど何かこういうことが
あった時にそれをどういう形でううまく
進めていくのかっていうするはあそもう
本当にしちそういうこと起こるんですね
いやそんなしょっちゅう身がもしません
けれどもまいろんなことが置かれつく中で
ありますからはいふうん官房長官もやられ
た上でその後ですか厚労大臣はそうです
ですま官房長官やめてでその後1回党に
戻ってうんうんそしたらまたあの祖hav
の時にはいコダやってくれって言われてえ
3回ですよとはいうんうんうんまいっぱい
ね適任者もいらっしゃるからとまいうこと
申し上げたんですがまやってくれって言わ
れたでまそれは大変そこまで言って
いただけるのありがたいことだということ
でやらしていただいたんですけれどもま
当時もまだコロナでしたからね私2回目の
厚労大臣の上げたところからコロナが
始まってね官房長官になってはいでま結果
的ににねもうすでに厚労大臣でコロナが来
てで菅さんがての岸田さんでっていうそう
でまたさ3回目の時のはいあの5月ですね
時にいわゆる2類から5類の分類変更と
いうことで決着がそれでまだこういうの
終わったわけじゃありませんけども1つの
区切りを迎えとその時ほっとしましたか
そうですねうんでまたそれがきっかけと
なって地域でえまたいろんなイベントとか
祭りとかまたいろんなパーティーが行われ
たまさに日常がかなり戻ってきたと思い
ますうんうんなるほどやっぱり大臣の仕事
とかそういう養殖につくってなかなか
負担というか大きいもんですかそうですね
特にあのまあのまたですかと言ったのは
ですねあの厚労大臣はすごく委員会での
答弁はいがはい多いんですねあそうなん
ですねでまおかげ様でこう後半になると
コロナもあったりしていろんなご配慮も
あったんですが最初のうちはその火曜日と
木曜日が参議院でうんうんそれから水曜日
と金曜日が衆議院でうんでじゃあ月曜日
空いてるじゃないかっていうと月曜日には
例えば参議の決算委員会とかなんかって
月曜日から金曜日までずっと委員会があり
しかも9時から5時になし10時から5時
までずっとあったりしましたねうんうんそ
とうんにこう特に予算が終わった4月5月
6月っていうのはそういう感じでもう朝
から晩まりずっと国会はにいる中ではい
その前に答弁の勉強しなきゃいけませんし
一方で行政動いてますから近々をこしはっ
て判断仰がれるわけですけどもそれもやら
なきゃいけないうんうんうんもなかなか
結構タフな特に今言った時期は非常にタフ
な時期があってですはいそれも1回やるの
かなっていう
またですかというのそういうハフだなって
いう意味ですねえはいはでだんだん
だんだんこっちもね毎年毎年投資を重ねて
きますからはいま結構ね体力的にもという
思いもま当時感じましたけどもいやあ
そんな流れの中で怒涛のま重要な養殖を
この安倍政権からがっとやってきての今回
の出場ですよねもっとタフな目に合うん
じゃないですかいやですからあのま太陽の
話を今申し上げたであってあのそこは
もっと国会も改革して今どんどん進めて
ますしそれ変わっていかなきゃいけないし
それからやっぱ各国首脳と特に安倍総理と
一緒についてて一体国会でどのくらい答弁
すんだとか何日ぐらい答弁するんだって
言って日本の状況とえそれでよく総理の
仕事やれてるねっていうそんな感じなん
ですそこはやっぱり色々と改革をさらに
進めていかなきゃいけないと思いますがま
あのしかしやっぱりトップでやるで今
申し上げた所得はいうん国民所得倍増やる
うんやっぱりそういうこと是非やりたいし
ねうんガンガン行きたいと思いますそれ
ガンガン行きたいでちょっとこの
ダイナミックな流れでもうその大をずっと
やりたいという少年時代から官僚経てで
出場のった問題があって流戦争からの橋本
さん流れがあってのそこから平成権あって
の安倍さんあっての菅さんあってのここの
ダイナミックな出場ですねはいもう本当に
ついこの前発表されたやつのプランそん中
でも1番訴えたいことそれが所得倍増です
よそうですあの記者会見でですねまある
マスコミの方が数えてくださったんですが
18回言ったっ言ってましたあ所得18回
言ってましたはいいや私もあそんな言った
かなと思いましたでもここがここがメイン
だとここをやらなきゃダメなんだという
思いですねこれやっぱりこう賃金が実質
賃金が特に上がらないという言ってみれば
そのアベノミクスにおいての
トリクルダウンンっっていうことを期待し
て株価が上がったいろんな効果があった
デフレからの脱却あったでも日本人が今
すごく会えでるのがこれやっぱり所得の
問題ですよねそうですねま実質もあります
けど面目で見てもですねやっぱりこう
いろんなこう為せの問題はありますけどね
こんなに違うのうんそれはあの会見の時も
喋らしていただきましたけれどももう倍
ぐらい違ってはいいやもっと違ってきてる
でそれはそうなんですこの30年間日本
って全然変わんなかったうんはい向こう
ずっと上がってきたわけですからそれがこ
のさに繋がってるわけですけれどもじゃ
これこのままでいいんですかとうんこれ
やってたらしかも日本は賃金が上がらな
いってなったら若い世代の皆さんははい
じゃ日本じゃなくて海外で働こううんね
シンガポールにお住まいだという話もし
ますけれどもシンガポール行こうとか違う
アメリカ行こうとか自分の希望があって
そういうところにちするそれはい
希がてうんそういうとこに行かえないで
こういうこれじゃ日本に未来はないですし
うんどんどんどんどん細くなってしまい
ますからやっぱこれ変えていかなきゃいけ
ないとうんまその何がポイントかっていう
とやっぱり所得を上げてくそして具体的に
所得を倍増するという強いはっきりした
目標を持ってそしてあ賃金って上がってく
んだよねうんうんうんうんま僕らが社会人
になった頃はそういう時代でしたうん多分
も中さんが出た頃は違うもうちょっともっ
てね違うと思いますからずっとまあ日本
だけでいたとすればちょっとしがずっと
よくてええ横並びていうような状況だった
と思いますけどでも他の国ってみんなそう
なんですねそうなんですよねでそうじゃ
ないともちろん高齢化の心配とかあると
思いますけれども使うっていう気持ちに
なんないじゃないですかやっぱりちょっと
上がったらじゃあそれ取っといて将来に
貯めとかないとまた事実下がるかもあ確か
にでもこれ右肩上がりになってくっていう
と使いたいあ使っても大丈夫だよなでまた
ちょっとなんかあったらそこで次の段階で
頑張って稼げばいいよねっていうこここれ
がすごく大事だしそれがないといろんな
施策をしても消費が増えないです消費が
増えないと国内の市場は広がりませんから
うんじゃあ企業は国内の市場じゃなくて
海外の市場に行った方がチャンスがある
わけですからうんに投資しますようんうん
これ海外の賃金を上げますよだって国内で
大きくならないんだからなるほどその流れ
はやっぱ変えていかないとどんどん
どんどん日本が小さくなってしまうから
やっぱりそれが今だでもう1つあるのは
やっぱりアベノミクスなんとかでやり
ながらバブルに向かった時のいろんな課題
をやっぱりこの間でもみんな努力して今
ずっと修正してきたわけですねだからそれ
が今結果となっ出てきているだからこの
時期にこれだけ業は儲けうんうん内部法も
溜まってきてて設備投資も少し増えてきて
実質賃金もま2ヶ月ですけどねプラスの
見しが見えてきたまさにこのタイミングで
こそ上に向かっていくうんある意味では
もうラストチャンスかもしれません
なるほどこを逃しちゃ絶対にならないま
そういう思いで候補決意をいたしました
なるほどこの具体的な賃上げに向かって
税制とか規制改革と規制緩和とかそういう
のやってらっしゃるんですやってくそう
ですねだから直接
を上げるための政策としては賃上げを即死
する税制とかですねあるいは大企業が中小
企業に発注する価格を適正にすることに
よって中小企業が賃上げできるようにする
とかこういう政策ともう1つはそれ続け
てかなきゃなりませんからそれを続けてる
ためには国内にしっかりと設備投資がお金
が落ちていくっていう投資を促進してくま
これをしっかり回すことによっ
ていい循環を作り上げていきたいと思って
ます政治がリーダーシップを持って
ねであともう1つ大きい括りで言うと
やはり社会保障とかそういうところも変革
していかなきゃいけないってもうあの社会
保障について特に若い人から負担が大きい
それからこれから高齢化が進む中で
どんどんさらに負担が増えるんではないか
それからもう1つあるのは人手不足ですね
うんだから介護の現場も今人手が不足して
ますからじゃあ保険ちゃんと払ってるけど
はいじゃあ介護自となった時にサービス
受けられるのかよって問題もありますから
やっぱり財政の問題とはいマンパの問題も
含めてやっぱり持続的な仕組みなんだ
あるいは持続的な仕組みにしていくって
いうことがこれ安心につがると思いますん
でまそういった意味で今の医療とか介護の
中身これもしっかり見直しをしてやっぱり
必要なものは残していくでそうでないもの
はきちんと整理をしていくうんそして必要
なサービスが必要な人にしっかりと繋がっ
ていけるえこの仕組みを作っていくそれ
からもう1つはじゃどうやってそれを
みんなでうんあのうんですかいう意味に
おいてはやっぱり基本は負担できる力うん
に応じてそれを分けていくじゃ今そうなっ
てんですかっていう意味においても
いろんな疑念がなされてるわけですからま
どうしても今中心になってくるのは働いた
所得がどうしても中心になってますです
からそれ以外の所得も含めて考えるとうん
なるほどただこの話をすると今貯蓄から
投資へって進めてる流でどうするんだって
いう話がありますからただ貯蓄から投はい
に向かうことによって所得増えますからね
うんうんうんこれまず先にやるべきだと私
はもちろん思いますなるほどでも適正に
あの能力支払える能力に応じてこうみんな
が担し合ってくっていうのがまずあるべき
姿としてあってまそれをどういう段階で
実現してくのかというのは今申し上げた
いろんなことを考えながらやらなきゃいけ
ないと思いますけれどもただ行くべき
ところはそこですねなるほどもしこの総理
になられたらもう少年の頃からやりたかっ
た大の仕事が1番できますよねそうですね
ま大の仕事をすることを通じてやっぱり
社会を変えていくそしてどう変えるかと
いうとそれぞれの方々がやっぱり幸せを
感じてそして先ほどもした安心にそして
活躍できるこういう社会これ今回もそこを
スローガンにあげておりますけれどもそれ
をしっかりと実現していきますありがとう
ございますじゃ最後にですね今回総裁戦
もう過去ないぐらいの乱立している候補が
いっぱいいる中でここだけは負けない加藤
克信といえばこれだっていうのを教えて
いただきますはいはいえ私加藤克ま今回の
自民党総裁選挙はいお約束をしている国民
の所得倍増おこれ私自身命がけて実現し
ますはいありがとうございましたという
わけで本日のゲストは加藤勝さんでした
ありがとうございましたありがとうござい
ました
プログレス
[音楽]
人は何者にでもなれるいつからでも次は
あなただ

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