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そこから平成権に入るわけじゃないですか その頃の平成権というのはどういう状況 だったんですかねまいわゆる竹下派の流れ から組んそもう早々たるメンバーがおられ ましたよ野中ひ先生とはいはいはいはい 早々たそうたるメンバーがおられたその頃 の迫力がいやすごいま特に1年生だっから はいすごい迫力感じて1年生でやっぱり 1番度迫力だったの野中さんですかまそう です中さんもすごいもう迫力ありましたね ああそのありますよねすごいありましたで おっしゃることもまあのすごいきついこと もおっしゃるけどもでもそれはなるほど なって思うことをおっしゃっておられまし たからああなるほどでもちろんこう政治 って権力闘争そのものですからそういった こともよく分かっておられるうんていうま そんな感じま今から見ればそういう思いも しますよねうんはあだから本当はもっと そういう方々からいろんなことをあの吸収 したかったなて思ってますしま中先生がん 延滞された後もなんとかあの東京とか京と ちょっとお邪魔してまいろんなお話も 聞かしていただいたんですけどはいうん ええそれ平成権ですごくお世話になった方 っていうと野中さんになるんですかそう ですねあの1人名前あげるとすれば野中 先生に対になりましたね うーん他にもこういろんな交流があったり はしたんですかね平成系の中でま交流って 言っても大先輩ですから交流って言葉と いうよりはご指導いただいたええああそこ から第1次安倍内閣ができた時にえっと 大臣政務官内閣府大臣政務官でしたっけ そうですそうですはいはいになられるじゃ ないですかその辺りからっていのはこう 安倍晋三さんとのこうえるいうのも強です 総理との関係は先ほど申し上げたうちの父 と太先生との関係がありもうあのまだ 総理がまだお父様の秘書してた頃にえ夫婦 と一緒にゴルフしたりとかねいうぐらい から始まってはいまいわば家族同士の 繋がりがありましたねそただ最初の第1位 の時は私もまだは出たばっかりだし3年目 ぐらいですよねままなるほどこんな感じな んだなっていうぐらいでしたけれどもその 後に自民党がギアをして野党になるその中 ではあの創生日本っていうま保守を基うん とする派閥横断的なまある意味では長頭派 あの自民党だけじゃない方も入って いただいたんですけどまそういったところ を安倍総理をヘッドに私は事務局長を やらしていただいてでそんな活動を通じ そしてそのまさに今総裁戦ですが当時の 総裁戦挙に安倍総理が出るという決議をさ れてま当菅総理あの菅総理党と一緒にそれ を応援させていただいて推薦人になって あの薦というかち推薦人もなりましたけど そのはいサポーターとして一生懸命やらし ていただいてで安倍政権スタートしてって いう流になってそこ大きい流れですよね そのその安倍さんとのそもそもの出会いで 言うとその安倍慎太郎さんの誰からの家族 ぐるみのって今おっしゃってじゃないです かはい最初にあった時って覚えてます最初 にあっその時って無月さん新太郎さん新三 さん勝信さんていういう時になん んえっとねその時は最初になったのは父が あのあの安倍え晋三さんだよって言って 紹介してくれてっていうのは多最初だっっ たと思いますはいああ最初にそれはなんか の会合かなんかの機会はいこれは新三さん だよ新太郎さんのお子さんだよっていうの であ初めましてていううんそういうところ からえもちろんその時はまだ出馬したりと かしてないいやまだまだ全然まだ当時は 役所の頃ですからあまだその官僚やってた 時時はい必死になる前はいにも会ってるん ですねという時からですへえそこからの 流れででま私どものナコードが安倍慎太郎 国際にお願いもしてるわけですあそうだっ たんですねかなりそこからで言うとその 師匠とま学府でありムさんと新太郎さんの 流れの中でいざ晋三さんが総裁戦で出る ぞっていう時はどういう気持ち的にはどう いう気持ちだったんですかいやもうあのど 2回目ですよね時はもうもう空出るなはも 派閥ちょっと違いますけどもそうですよね 平成権と正和会で言うとかなり違うで安倍 当時のあの総理も正和会では違う方を勝さ ねそうだあ町村さ町村先生を勝んでそう ですよねえだからままさにまさに派閥横断 な新しいスタイルですよねああその正和会 から町村さんが出るにも関わらず出 るっていうのっていうのはちょっとこうな んだろうなピリッとする感じではあったん ですよねだと思いますそっちの派閥の中は ですねちょっと私そこは全部分かりません けれども多分当時今今派閥はなくなった 当時派閥がある時ですガチガチにあります からはいでその中でそのピリットしてる けどある意味ここはここでピリッとしてる からもう超会派で平成権からも関係なく 応援しようとま関係なくとま平成権の色々 考え方があったと思うんですけれどま私も こういう関係でまば親族だよなと加藤はと まそれは応援するのは当然だよねじゃない と理解していただきながら当時えやらして いただいたはあそれその平成権の方から なんか言われたりはなかったですかそれ 以上はなかったですねあそうなんですねで もあの2012年のムーブメントっての すごい勢じゃなかったですかあの時も すごくてその最初は今回モデになられます けど石さんとから石さんが出られてはい それからノテさんですかノテさんで安倍 さんが出られてはいえ林先生が出られて はい町村さんいう流れの中でままさに当時 その決戦にまず残れるかどうかはいうん うんうんいう話があってはいでえ下馬表で はま石葉さん石原さんみたいな感じもあっ たんだけどあ下馬表は石さん原さんだった 最初の頃はですねでまいろんなことでぐっ たぶ下がってきてうんま番に入られてうん で決戦投票では逆転するだすごい熱狂だっ たんじゃないですかいやすごいすごかった ですすごかったですよねその総裁戦の 2012年を内側でこの距離で応援して うわってなってくのを見ていくってこれ ドラマですよねなんかまなんか流れがはい 変わってこうこっち来たなっていう感じが しましたねだからやっぱり総裁戦って やっぱりその期間の やっぱれ変わってくんですねはいこの潮目 が変わるというかそうですね潮目がで 生まれたりある種の発言があって変わっ たりうんそれを間近に体験してその上で 現在ねおになってますけどもその時の体験 っては大きいですよねまその時のことも 思いながらやっぱり1つまだ今地名と低い とか色々言われてますけれどもましかし これからこういったことをしっかり主張し ていく中でまぜひ潮目を変えていきたい はい変えていきたい潮目は変わるんだって ことを体験してますもんね変はいでそこ からえっと副長官になるんですよね官房副 長官になってそれも大きいことでしたか そうですね あのもちろん北長官はいでこれもですね あの選挙があってで自民党が勝ってはい はいでそう次の世間スタートする前少しま ちょっと時間なってそこでま何やろうかと かってこうまた集まってやってた時にうん 突然総理がはいほっとてあ加藤さん副長官 やってねでこうやってへえあそんな言い方 そうそうなあそうなん俺副長官やるんだっ ていうそんな感じで別に何をやらして ほしいとかも全く思ってませんからそんな お使いみたいなお願いの仕方なんですかそ 副場官やっといてっていう感じなんですか そうま分かってるだろうかななっていう ことだ思なるほど分かってるよねとうんだ けどいやあんまり分かってなくてあそう ですかっていう感じではでそれから約3 年間官房不長官やっ菅さんが官房長官 もちろんかてはい菅さんとのご縁もかなり 深いですよねその時ですね本当に深いご縁 をいただいたのははあその見ていてその菅 さんってどういうことです かこと決めたら動かない おおこうと決めたら動かないだから やっぱり安倍総理が2回目出る時は相当 悩まれたと思うんですねはいうんほ やっぱり1回目やっぱり体調崩されて途中 でえおめになっているうんうんそれから 歴史の中でないんですねそういう方そそう だから2回目やったっていうなるほどで それからまこの期間よりもうちょっと置い た方がいいんじゃないかとかまいろんな 多分声があったまその中で菅さんが やっぱり説得をしてったやっぱりそのそれ ばやっぱり菅さんの強い思いがその安倍 さんの思いとこの繋がってうんふんふん第 2安倍政権ができた第2安倍政権の誕生の ところから菅さんの意思を感じたってこと ですね強だからま菅さんもぜひやって もらいたいでそのやっぱ思いでもちろん 安倍総理もやろうという意思は当然あり ましたけどやっぱりいろんなことを考える とですねえこう少し揺れたこともあると 思いますけどその時にガチッとこうそれを お支えたっていうかはあその菅さんと かなりこう仕事をされててその後に菅政権 の時に官房長介になれるわけじゃないです かはい この流れがありますよねまずあの3年間の 官房長官官房区長官っていう中でもうほぼ 毎日のように長官のところに行ってえ時間 が空いてればですね用事があるだけじゃ なくて10分15分ぐらいなんか色んな話 をさせてもらったりしてうんうんうんあ なるほどこう考えてなとかうんもう本当 たえない話たからうんうんうんうんいうま そういった繋がりを持たしていただいて うんあのま菅内閣スタートする時にいや まさに官房長官なるとは私も思ってなかっ たんですが電話勝って来てくれないかって 言ったらいや官房長官やったよって言われ はいあありがとうございますその時はどう いう気持ちだったんですか官房長官任され るっていやそれは大変嬉しかったですけど でも あ官房長官で当時の官房長官って菅さん ですからねずっともうイジがうんこの菅 さんと同じこと絶対できないなとは思い ましたけどねへえそう思われたんですか はいそれそれなぜそう思ったんですかいや それはやっぱりもう官房長官といえば菅 さん ああそれマジカで見ていて菅さんのこれは 真似できないなっていうストロングなと ころてどこなんですかねやっぱり決めたら もう徹底的にこれやるああも断行力という かもうもう引かないはあ遂行しきっちゃう もじゃ要するにできない理由なんか聞き たくないんだとほおできるだノーはないと イエスかイエスだとうんその中で官房長官 やられるにあたってこご自身のストロング ポイントというかこう自分にしかできない 菅さんと違ういいところていうのはどっか 認識されて違ういいところっていうとお がましんですけれどもはいはいやっぱり 官房長官っていうのはやっぱりこう いろんなこう目配りをしながらはいあ全体 がうまく回っていく内閣の中がうまくなっ ていく等々の関係をうまくしていくまそう いった意味ではやっぱりなんかここに トラブルが起きそうなうんでるだけにをし てそれをうまく抑え込んでいくっていうま それに心がけてきましたねその目配りの ところと調整していくっていうところは この繊細さというかそこかなり意識された んですありますねただ一方でその時にはい あのそれをあの制限するのはは毎日2回の 官房長官記者会見なんですねおはいていう のはあの官房長官記者会見も結構大変なん ですけどもはいなんかことがある時っての はそこは一て話をしなきゃいけないですね うんうんうんうんしかも相手の事情を 踏まえていかないとほうあだそその抑えに 行けないじゃないですか相手のスケジに 合わせなきゃいけない時にこことこう ガチッとこう入ってるとですねこの中に どうそれを入れてで相手も結構忙しいです から記者会見は決まってるし調整しなきゃ いけないしでもできるまやっぱりこれ フェイストゥフェースで話さないとですね やっっぱりうんきちんとした理解もお互い もできませんからうんうんトラブルの目を 積みに行くというか積むって言い方は ちょっとあれですけど何かこういうことが あった時にそれをどういう形でううまく 進めていくのかっていうするはあそもう 本当にしちそういうこと起こるんですね いやそんなしょっちゅう身がもしません けれどもまいろんなことが置かれつく中で ありますからはいふうん官房長官もやられ た上でその後ですか厚労大臣はそうです ですま官房長官やめてでその後1回党に 戻ってうんうんそしたらまたあの祖hav の時にはいコダやってくれって言われてえ 3回ですよとはいうんうんうんまいっぱい ね適任者もいらっしゃるからとまいうこと 申し上げたんですがまやってくれって言わ れたでまそれは大変そこまで言って いただけるのありがたいことだということ でやらしていただいたんですけれどもま 当時もまだコロナでしたからね私2回目の 厚労大臣の上げたところからコロナが 始まってね官房長官になってはいでま結果 的ににねもうすでに厚労大臣でコロナが来 てで菅さんがての岸田さんでっていうそう でまたさ3回目の時のはいあの5月ですね 時にいわゆる2類から5類の分類変更と いうことで決着がそれでまだこういうの 終わったわけじゃありませんけども1つの 区切りを迎えとその時ほっとしましたか そうですねうんでまたそれがきっかけと なって地域でえまたいろんなイベントとか 祭りとかまたいろんなパーティーが行われ たまさに日常がかなり戻ってきたと思い ますうんうんなるほどやっぱり大臣の仕事 とかそういう養殖につくってなかなか 負担というか大きいもんですかそうですね 特にあのまあのまたですかと言ったのは ですねあの厚労大臣はすごく委員会での 答弁はいがはい多いんですねあそうなん ですねでまおかげ様でこう後半になると コロナもあったりしていろんなご配慮も あったんですが最初のうちはその火曜日と 木曜日が参議院でうんうんそれから水曜日 と金曜日が衆議院でうんでじゃあ月曜日 空いてるじゃないかっていうと月曜日には 例えば参議の決算委員会とかなんかって 月曜日から金曜日までずっと委員会があり しかも9時から5時になし10時から5時 までずっとあったりしましたねうんうんそ とうんにこう特に予算が終わった4月5月 6月っていうのはそういう感じでもう朝 から晩まりずっと国会はにいる中ではい その前に答弁の勉強しなきゃいけませんし 一方で行政動いてますから近々をこしはっ て判断仰がれるわけですけどもそれもやら なきゃいけないうんうんうんもなかなか 結構タフな特に今言った時期は非常にタフ な時期があってですはいそれも1回やるの かなっていう またですかというのそういうハフだなって いう意味ですねえはいはでだんだん だんだんこっちもね毎年毎年投資を重ねて きますからはいま結構ね体力的にもという 思いもま当時感じましたけどもいやあ そんな流れの中で怒涛のま重要な養殖を この安倍政権からがっとやってきての今回 の出場ですよねもっとタフな目に合うん じゃないですかいやですからあのま太陽の 話を今申し上げたであってあのそこは もっと国会も改革して今どんどん進めて ますしそれ変わっていかなきゃいけないし それからやっぱ各国首脳と特に安倍総理と 一緒についてて一体国会でどのくらい答弁 すんだとか何日ぐらい答弁するんだって 言って日本の状況とえそれでよく総理の 仕事やれてるねっていうそんな感じなん ですそこはやっぱり色々と改革をさらに 進めていかなきゃいけないと思いますがま あのしかしやっぱりトップでやるで今 申し上げた所得はいうん国民所得倍増やる うんやっぱりそういうこと是非やりたいし ねうんガンガン行きたいと思いますそれ ガンガン行きたいでちょっとこの ダイナミックな流れでもうその大をずっと やりたいという少年時代から官僚経てで 出場のった問題があって流戦争からの橋本 さん流れがあってのそこから平成権あって の安倍さんあっての菅さんあってのここの ダイナミックな出場ですねはいもう本当に ついこの前発表されたやつのプランそん中 でも1番訴えたいことそれが所得倍増です よそうですあの記者会見でですねまある マスコミの方が数えてくださったんですが 18回言ったっ言ってましたあ所得18回 言ってましたはいいや私もあそんな言った かなと思いましたでもここがここがメイン だとここをやらなきゃダメなんだという 思いですねこれやっぱりこう賃金が実質 賃金が特に上がらないという言ってみれば そのアベノミクスにおいての トリクルダウンンっっていうことを期待し て株価が上がったいろんな効果があった デフレからの脱却あったでも日本人が今 すごく会えでるのがこれやっぱり所得の 問題ですよねそうですねま実質もあります けど面目で見てもですねやっぱりこう いろんなこう為せの問題はありますけどね こんなに違うのうんそれはあの会見の時も 喋らしていただきましたけれどももう倍 ぐらい違ってはいいやもっと違ってきてる でそれはそうなんですこの30年間日本 って全然変わんなかったうんはい向こう ずっと上がってきたわけですからそれがこ のさに繋がってるわけですけれどもじゃ これこのままでいいんですかとうんこれ やってたらしかも日本は賃金が上がらな いってなったら若い世代の皆さんははい じゃ日本じゃなくて海外で働こううんね シンガポールにお住まいだという話もし ますけれどもシンガポール行こうとか違う アメリカ行こうとか自分の希望があって そういうところにちするそれはい 希がてうんそういうとこに行かえないで こういうこれじゃ日本に未来はないですし うんどんどんどんどん細くなってしまい ますからやっぱこれ変えていかなきゃいけ ないとうんまその何がポイントかっていう とやっぱり所得を上げてくそして具体的に 所得を倍増するという強いはっきりした 目標を持ってそしてあ賃金って上がってく んだよねうんうんうんうんま僕らが社会人 になった頃はそういう時代でしたうん多分 も中さんが出た頃は違うもうちょっともっ てね違うと思いますからずっとまあ日本 だけでいたとすればちょっとしがずっと よくてええ横並びていうような状況だった と思いますけどでも他の国ってみんなそう なんですねそうなんですよねでそうじゃ ないともちろん高齢化の心配とかあると 思いますけれども使うっていう気持ちに なんないじゃないですかやっぱりちょっと 上がったらじゃあそれ取っといて将来に 貯めとかないとまた事実下がるかもあ確か にでもこれ右肩上がりになってくっていう と使いたいあ使っても大丈夫だよなでまた ちょっとなんかあったらそこで次の段階で 頑張って稼げばいいよねっていうこここれ がすごく大事だしそれがないといろんな 施策をしても消費が増えないです消費が 増えないと国内の市場は広がりませんから うんじゃあ企業は国内の市場じゃなくて 海外の市場に行った方がチャンスがある わけですからうんに投資しますようんうん これ海外の賃金を上げますよだって国内で 大きくならないんだからなるほどその流れ はやっぱ変えていかないとどんどん どんどん日本が小さくなってしまうから やっぱりそれが今だでもう1つあるのは やっぱりアベノミクスなんとかでやり ながらバブルに向かった時のいろんな課題 をやっぱりこの間でもみんな努力して今 ずっと修正してきたわけですねだからそれ が今結果となっ出てきているだからこの 時期にこれだけ業は儲けうんうん内部法も 溜まってきてて設備投資も少し増えてきて 実質賃金もま2ヶ月ですけどねプラスの 見しが見えてきたまさにこのタイミングで こそ上に向かっていくうんある意味では もうラストチャンスかもしれません なるほどこを逃しちゃ絶対にならないま そういう思いで候補決意をいたしました なるほどこの具体的な賃上げに向かって 税制とか規制改革と規制緩和とかそういう のやってらっしゃるんですやってくそう ですねだから直接 を上げるための政策としては賃上げを即死 する税制とかですねあるいは大企業が中小 企業に発注する価格を適正にすることに よって中小企業が賃上げできるようにする とかこういう政策ともう1つはそれ続け てかなきゃなりませんからそれを続けてる ためには国内にしっかりと設備投資がお金 が落ちていくっていう投資を促進してくま これをしっかり回すことによっ ていい循環を作り上げていきたいと思って ます政治がリーダーシップを持って ねであともう1つ大きい括りで言うと やはり社会保障とかそういうところも変革 していかなきゃいけないってもうあの社会 保障について特に若い人から負担が大きい それからこれから高齢化が進む中で どんどんさらに負担が増えるんではないか それからもう1つあるのは人手不足ですね うんだから介護の現場も今人手が不足して ますからじゃあ保険ちゃんと払ってるけど はいじゃあ介護自となった時にサービス 受けられるのかよって問題もありますから やっぱり財政の問題とはいマンパの問題も 含めてやっぱり持続的な仕組みなんだ あるいは持続的な仕組みにしていくって いうことがこれ安心につがると思いますん でまそういった意味で今の医療とか介護の 中身これもしっかり見直しをしてやっぱり 必要なものは残していくでそうでないもの はきちんと整理をしていくうんそして必要 なサービスが必要な人にしっかりと繋がっ ていけるえこの仕組みを作っていくそれ からもう1つはじゃどうやってそれを みんなでうんあのうんですかいう意味に おいてはやっぱり基本は負担できる力うん に応じてそれを分けていくじゃ今そうなっ てんですかっていう意味においても いろんな疑念がなされてるわけですからま どうしても今中心になってくるのは働いた 所得がどうしても中心になってますです からそれ以外の所得も含めて考えるとうん なるほどただこの話をすると今貯蓄から 投資へって進めてる流でどうするんだって いう話がありますからただ貯蓄から投はい に向かうことによって所得増えますからね うんうんうんこれまず先にやるべきだと私 はもちろん思いますなるほどでも適正に あの能力支払える能力に応じてこうみんな が担し合ってくっていうのがまずあるべき 姿としてあってまそれをどういう段階で 実現してくのかというのは今申し上げた いろんなことを考えながらやらなきゃいけ ないと思いますけれどもただ行くべき ところはそこですねなるほどもしこの総理 になられたらもう少年の頃からやりたかっ た大の仕事が1番できますよねそうですね ま大の仕事をすることを通じてやっぱり 社会を変えていくそしてどう変えるかと いうとそれぞれの方々がやっぱり幸せを 感じてそして先ほどもした安心にそして 活躍できるこういう社会これ今回もそこを スローガンにあげておりますけれどもそれ をしっかりと実現していきますありがとう ございますじゃ最後にですね今回総裁戦 もう過去ないぐらいの乱立している候補が いっぱいいる中でここだけは負けない加藤 克信といえばこれだっていうのを教えて いただきますはいはいえ私加藤克ま今回の 自民党総裁選挙はいお約束をしている国民 の所得倍増おこれ私自身命がけて実現し ますはいありがとうございましたという わけで本日のゲストは加藤勝さんでした ありがとうございましたありがとうござい ました プログレス [音楽] 人は何者にでもなれるいつからでも次は あなただ