VIDEO
本日のゲストは小林孝之さんですよろしく お願いしますよろしくお願いし ますようこそどうもありがとうございます いやもう今総裁戦艦中ということでもうま まあのあれですか取材取材の中で来て いただいてはいそうですねこの前今民法の 番組出てきてこれ終わったらまた行くん ですけどうわあ問いまってる今回9人出 てるじゃないですかはいみんなこう民族大 移動みたいな感じでこそうかそうです急 候補がもう笑笑笑笑そうなんですよ いろんなとこにそうですよええすごいです ねまた大先輩もいっぱいいますもんねてか もう先輩しかいないんでああそうみんな大 先輩みんな当選4回40代っていう フレッシュさよく言ってらっしゃいます もんねはいとはいえその40代も後半もね もうその一般社会で言うとねかなりもう 責任ある年齢です けどねいやそう見えないですからねでも 政治の世界でやっぱももがいらっしゃる からそうですねだから今回はあ私と小泉 さんが40代2人ではいあとはみんな60 代いるかな50代確かいないんですよね うんそうですよねそういう戦いの中今日来 ていただいてまずは前半のですねちょっと 経歴とか聞きながら後半にあのビジョンの 方聞かせていただきたいと思いますはい はい千葉家のれということなんですよね はいえそのそこから海晴中高の東大法の この華麗なる経歴はいはいねまあなんか 聞いてますかそういやいやあのそういう風 に言われること多いすけどはいまでもなん かめちゃくちゃ勉強したとかなんかそう いうなんかこれだけ見るとはいなんか すごいガリ弁みたいな感じじゃないですか いやま改正からの東大はあの都内でやっぱ 負け知らずのやっぱ無双ルートですよね そう思っちゃうんですけど違うんですか いやでもでも改正ってま確かにその東大の 進学者数ではずっとなんか何十年ねあの本 とかてなってるんですけど中はま当然男子 校でバカなんですようんへえだからなん だろうなあのでま運動会ってすごい有名な んですけどはいうんうんえ特に高2高3の 辺りはもうひたすら運動会しかや運動会の 準備を年間1年間かけてやっていくみたい な感じではあ祭りに向けてやって祭りに 向けてやってはいで確か降参の5月ぐらい に終わってそっから受験体制に入ってくん ですうんそれまでそん勉強でそれで棒倒し するんですねほうほほあの高2参はで降参 で棒倒し8チームあってまハクラスあって それぞれがあの黒組大大組と色々あるん ですけどま1チームしか勝たないじゃない ですか他の7チームで7組でえ運動会それ にこう一生懸命やってる人間はみんな坊主 にするんですよえ気合すごいですねそう ですよそんなに運動感にかけてるんですか そうですよちょっと変わった学校なのかも しれないですけどその棒でその邪魔になら ないようにってこといや負けたら棒倒しで 優勝したクラスだけ負けた神狩らなくて いいんですよちょっと待ってください改正 のイメージだいぶ変わりましたよそれでだ 僕は負けた方なんですよ優勝できなかった から何が起こったかって言うと翌日にあの ま先生授業してる間はいクラスの後ろの 教室の後ろの方であのゴミ袋に穴開けて上 からかされて先生授業やってる中仲間が こうバリカンでちょっと待てちょっとその ノりが荒々しいですねあらあらしくてで 最初なんか丸坊主にするのはつまんないっ て言って僕の場合はなんか10時のヒカ中 残されてそ1週間ぐらいそれでした ちょっとあのそのノりあのどっかで見た ことあるなと思ったら私あの吉本工業のお 笑いの妖精所があって遅刻が連続すると そういう目に合うんですけど海晴と吉本の 妖精ちょっと似てるんです似てるかもしれ ないですねちょっとノりががちょっと まさかなですけどなんかそういう こうの良さというかこうそういうとこバカ というかえバカででま他の高校もねあの みんなやっぱ高校時代の友達ってやっぱり すごいちょっと特別だと思うんですけど はいはいこの間先週かなはいもうあの僕は 1番最初にこれ総裁戦手上げて1より1 週間 ぐらいそれでま北海道が沖縄まで飛び回っ てるわけですよそれで結構体力体消耗する んですけどでま身あの心もね結構こうなん 緊張感あるじゃないですかあり疲れますよ 会う事にってきたうんうん高校時代の同級 生が平日の2時にですね15人ぐらい なんか集まってるんですよめちゃくちゃ 嬉しかったんですけどお前ら仕事しなくて いいのかみたいうんうんうん仕事しろよな でもうみんな結構仕事休み取って来たって 言ってくれてすごいでなんかちょっと 嬉しかったですね辛抱すごい いやすごいそんな仲良くそん中にあの バリカンやった人いないですよねそその時 はさすそそいなかったですよいなかった はいいいやすごい15人も集まって よっぽど応援されてるんですねいやでも なんかみんなねやっぱり今回ま元々仲いい んですけどうんええいやでもなんかすごい ありがたかったですねいいですねえでそっ から東大の法学部入ってでボート部でも キャプテンお務めになるんですよねえそう なですよで高校時代バスケだから体動かす の好きなんですかバスあそうですこれ なんか改正はま新学校だからかもしれない ですけど高2の秋で終わりなんですよ大体 で大体その新人戦っていうのがあるんです けどどこの部活もですねそれで終わると はいなんかその後勉強しで運動会の方に 入ってくるんですようんうんなんかよく わかんない仕組になっててそれで僕は すっごいこう戸ね東京都でベスト16 ぐらいでま負けてでフラストレーションと いうか完全年だったんですねそれでま東大 でそのの勝てる部ってどこだって言ったら ボートってすごいま見たことあります ボートなかなか大会見たことないと思うレ ガッターてたまに早計レガッターがこう 住みなでやってたあ川でこう全員でこう 全員でなんかドラマとかで見たことあ わかんないあの愛という名の元にとかって もその覚誰も がてや浜賞のああれなんですけどそれで まさにあそこで練習したんですけどそう それでなんかある時そう東大で唯一かな あの今あのアメフトとかも強いんですけど うんマイナースポーツは大学から頑張って もそのあの私立の大学にうんおお勝てると なるほどでオリンピックに行った回数は 東大が1番多いんですよへえそも昔の話な んですけどねはいはいはいはいはいそれで もうあの徹底的にやりたいと思って入った んすようんで僕はその東大の入学合格発表 が3月にあってはいなかいろんな部の ラグビ げとかににくるんですけどうんうん自ら ボート部のところ行って合宿生活私あの 合宿所入りたいんで入れてください気合 入ってるそんなほほとんどいないと思うん ですけど合宿上とかそれぐらいこう ストイックに徹底的にやりたいと思って 入ったら本当にストイックでうんああ思っ た以上にめちゃくちゃ大変でしたねあそう なんですねえでもなんかそのある意味 ブルーオーシャン戦略というかあそのそう ですバスケでベスト16だ悔しいなどっか でしたいどこだでボトバスケなんててもう 血の海じゃないですかはいはいはいもう 競争だらけもう一流のね人たちいっぱい バスケしたがりますからそうも東京都の上 に行っただけでインター入ったチームと やってもボロ負けしたんですけどへえ なんか2mと195の人がい て僕のチームで1番高かったか190で そいつに弾を入れても上からこうかさ られるもうこの世界だめだと思ってもう上 に上がいすぎるもういすぎると思うで ボートは行けるんじゃないかっていうこと ででやってみたわけですねやってみてあ いやでもそれぐらいそのなんだろう改正と か東台て聞くともうその勉強でいっぱい いっぱいだったのかなと思いきやうんし なくてもそんな成績取れたんですかいダメ なんすよだからダメなんダメなんすよあで ボート部入ると何が起こるかというと こんな話してていいんですか全いいですか いや合宿所にして朝5時はいからあの年間 ずっと練習んです朝5時からもう既に走り 出すんですよで1日その3時間の練習が 早朝と午前と夕方ってあるんですよそう するとその間は飯食って寝るその体力回復 のたえ3時間3時間3時間とことですか3 時間3時間3時間9時間だ9時間8時間 から9時間ぐらいで9時半消灯なんです けどそうするともう学校行く時間ももう 気力もないんすよ授業行けないですか行け ないそれで変なことはあのま大学4年 ぐらい4年になるとこう就職活動ってある じゃないですかはいはいはいで就職活動の 時期ってうんうん私たちのシーズンなん ですよ大会オンシーズンなのでなるほど ボートって8人とか4人で漕ぐんですけど そうすると1人いなくなるとバランス取れ なくなるから練習になんないとそうする僕 キャプテンってこともあるしうん就職活を 昼間抜けらんないんでみんなもう行かない んですよええ就活できないえでできないっ ていう言い訳なんですけどそもそもタイ 揃わないですけど授業も出てない授業も出 てないからそもそも卒業できないんです けどで大体みんな5年生1年留年するん ですよそれで留年したんです留年してで あの秋4年の秋に最後大会終わってそこ から僕は法学部だったんですけど他の学生 が1年生とかで読むその憲法1とかていう 基本の許可書なんですけどそれをその時 から死ぬ気で勉強するんですよそこから4 してそこからして 10月ぐらいからでま国家公務員試験ま 先輩で言ってる人が何かいたんで可能じゃ ないと不可能じゃないとボート部からも 行ける行けるとあの人が言ってんだったら 前例はある俺も行けんじゃないかって みんな思ってででもその仮1日本当134 時間ずっと半年間ぐらいしきで勉強して 異常に出遅れてますからね異常に出 遅何どで言ったら諦めたいぐらいもうもう ゴールしてるよみしてますよねそうそう それをガー追い上げてオクラシ入るんです かそうですねそれでま国家公民試験は結構 頑張ってま受かったんですよねえどれ くらい何回受けてとか何年受けてとかある んですかあそれは1回でちょっとあの話が わかんないそれで半年半年か違う違う違う 追い上げがすごすぎて追い上げどれぐらい 上たかって言うと判例六法っていうこんな 分厚いのあるんですよ六方六方のにこう いっぱい反主要な判例が入ってるそれね 全部で10回ぐらい全部4読んで最初から 最後全部読んでもうもう全部にもう赤線が 引いてあるぐらいおおそれやってええで1 回で大倉行けるんですかそれで試験受かっ て今もそうだと思うんですけどその試験 受かるとこの省庁にこう訪問する権利って いうのがあって国家公務員1種っていうの に受かるからそのペーパー試験とか面接 あるんですけどそれ受かってでそれを採用 するかどうか各省庁のはいあの次第なん ですよいやでも大倉シって一番その成績 よくないと入れないイメージなんですよ ああ今もどう今はちょっとなんかこう 変わってきたのかもしれない昔は省長の中 の省長って言われてて長オ省長ですね長部 省長って言われてキングオブ省長って言わ れてたんですよねでも僕が運良かったのは はい昔あの大倉省の不祥事ってあったん ですよはいはいはい一時期色々出た時あて それでその直後だったんで1番多分人気が ない弱ってたんだてで僕ら採用者に採用さ が17人いるんですけどうん先輩から不作 の木って言われてへえあんまりいいやつ来 なかったみたなかだから僕入れたと思うん ですけどいやちょっとそれでは納得でき ないですあでもあのはい採用された時には はいえあれですねあのま体力採用っていう かあタフだったからボーこい伸び代がある みたいなよく言えば全然財政のこと分かっ てないけどそれではちょっとねあの エリート集消せないですよ体力採用で消せ ないですよ4年出遅れて1年勉強したら 大倉賞に入ったってあのスペックの高さ 変態級ですからいやあのでも気合いはあっ たんすよああそのボートで培った人の何倍 もだからそのあの時は本当勉強したんで 尋常じゃない ぐらいそこはタフまタフはタフですあそれ 面白いな普通だって4年ボトにその ボロボロになって終わるのに1年追い上げ てクラシ入ったの意味がわかんないです もんいやまそれがすごいでも大倉賞入って からはいその時はなんか携帯もまだない時 だったのかなそれで99年ですもんね99 年で結構まだ非合理的ななんか仕事の今 働き方改革とかってだいぶみましたけど うんで結構ねあのそういうこそ大会だった んですよそれで賞って大会なんですかま 軍隊って言われるんですようわあすごい なんかこのなんなんかこうね軍ピラミッド 型の上位カの上位片のピラミッド型の組織 って言われてて入ったらま初日はこう歓迎 会ですけど2日目からもう終電でも返して くんないんですよねうわあはどででも僕2 日目ですかええ2日目からでもそれなんか 最初おかしいと思ったんですよおかしいっ ていうかなんか自分はその時あんまり仕事 がなくてうんでもがいるから帰れない しかもみんなその時あなるほどうん結構ま 色タクシーでみんな帰ってくんですよね うんうんそれって財務省なのになんで みんなこれタクシー帰ってくんだみたいな ちょっと色々疑問に思ってうんなんか非 合理的だ非合理的だと思って僕可愛く なかったんでいきなり3日目に寝袋持って きたんですようんおおおお寝袋シラフ持っ てきてもうどうせ帰れないんだどうせ帰れ ないんだってゆれ寝ようと思って本当に ゆれ寝たんですようんへえねで朝パッと 起きたら上司ってあの今石川1から出てる あの小さんってあの今自民党の議員がいる んですけどその人は上司でパッと起きたら コモさんの顔が上にあってうんうんお前何 やってるんだっていやだからだもう帰るの あれなん袋ではいうんて言ったら実は大倉 賞に仮眠室っていうこれをみんななんか嫌 だって言って使わないんですけど僕からし てみるとボート部でもう慣れてるんでうん うん誰が寝たかわかんないようなこの何年 洗ってないんだ選択しないんだみたいな 布団で寝てた寝てたんでうんうんだ僕に とってはすごい快適でだから その予算編成の時期って12月なんです けどすごい財務所って忙しいんですよはい うんその時は月曜の朝ま盗聴してずっと 上室泊まって帰るのが土曜の朝で太陽を 見るのがなんか1週間ぶりとかっていうの 1週間もうずっと超の中いるんですかええ いてその時はこれ今本ですけど今よくない ですけどま基本的に残業時間200時間 ずっと超えてて300とかうんうんま本当 に忙しい時ですねちょっとアホみたいです よねいやずっと話が極端すぎてええでも それあでもそんなこと言ってたらいい人材 来なくなるん今はもうだいぶもうそんな こと多分なくていや改善されて本当ですか そんなこと言ったら人災が来なくなるから 嘘をついてるだけそしたらこない聞いたら あの今女性のその職員もだ増えていああな 職員は女性でま世の中からするとまだ足り ないのかもしれないですけど昔からすると 僕の時は1人だけだったのでうんはあ だいぶそのあの環境はうん変わったと思い ますいやだもう本当象徴オブ象徴の何ええ 戦わないそのハードさがあってでそこから 1回ハーバードのえはいあのケネディ スクールていうあそうです政策大学院行か りますよねはいあれなんか目的があったん ですかこれはえこの人事院の今でもあると 思うんですけどこの試験を英語の試験を パスすればこの留学まアメリカとか中国と か色々あるんですけどはい聞かせてくれて 私はそのこれ行政学公共政策とかままさに 官僚として学ぶべき話ここなんですけど それは官僚としての学びを深めたいって ところがあったんですかでもどっちかもう 少しパブリックという意味でうん役所の この僚っていう枠を超えてここやっぱ政治 的なうん政治学とかも学べるところなので うんで実際行くと何があったかって言うと 僕は1番なんだろ職務経験が少ない アメリカ人が一番多いなんかプログラムに 放り込まれたんですけどこのケネディ スクーには他のミッドキャリアプログラ ムってもうちょっとキャリアを積んでくる 途上国から来るようなプログラムがあって そこははい元首相とかおおあの小さな国の 元首相とか大統領とかがなんか普通に生徒 でいたりするんですよ学び直しにくる みたいなあそうなんですよでいたりして あとはこうよくあったのはうん本当に2日 1ぺぐらいその授業終わった後にいろんな 政治家がうんま場合によってその クリントン大統領とかああいう方も来た ことありましたけどその大統領とか首相が 来て演説するんすよはいへえそういうのを 聞いてるとすごいパッションがあるうん うん政治家とかやっぱいるじゃないですか うんはい結構感化されますよねそうなん ですねその私の中でその経歴を見てた時に あこの頃からも政治を心ざしてたのかなて 思ったんですけどそうではなくて財務省の プログラムの一環でま官僚としても学べる 何かがあるかなっていうので言った先で 感化されたえっと元々政治に全く関心が なかったわけでなってま漠然と関心はあっ たんですけどま別に僕はその見回り政治家 とかいなかったのでこう何かちょっと遠い 存在ではあったんですよねうんうんうんで も広い意味でこのパブリックの仕事って いうのはすごい関心があったのでうんはい うんそれで例えば取る授業もうんうん アメリカの大歴代大統領の本ってもこんな 分厚いのがま毎回毎回こう課題として出て くるんですけどそういうこのリーダーが うんこの場面でなぜこういう決断をしたか とかそういう授業も取ってたりであ元々 興味はあったんですねま関心はそうですね まうんふんふんままそこそこあありました かねあの全くないってわけではなかった ですよそれ大倉省からそのま例えば政治家 さんの秘書になって政治家になるとかそう いうルート多いじゃないですか元々ねその 官僚派と当人派とかに別れたぐらいです からそのルートとしては官僚からってのも あるからま頭にはずっとあったんですね えええまそうですねただま今でこそ結構 若手がま30代とかでこの工房っていう 仕組みができたのでまあのうん自民党も 野党の方も若くしてこう正常世界に出て くる人増えましたけどうんうん少し前まで は結構その課長とかはい上まである程度 やってからこう出ていく局長なるほど やっぱりそ大倉の中でも進んでから工房 っていつできたんです工房いつだけそれ 工房ですよ2000年代あそれ私は工房 だったんですけどもはい2000年代は頭 ぐらいかなあ結構最近ではあるんですねま 最近ま最近はもうこの防っていうのが着し たのでああそうなんですね工房ってその もう言ったらどんな人でも応募できちゃう まそうですねそこは ああそこからその党の人が選んでいくって ことですねはいそうです本当にシンプルな オーディションみたいなそうですねただ まあなんかこうまできフェアにしなきゃ いけないまフェアフェアにするんですけど ただやっぱりこの工房の審査員誰がやるか とかあ確かあるじゃないですかやっぱ選ぶ 人によってそりはあねちょっと結果が違っ てくることだってまリルし確かに思想も 違いますしねいろんな人ねうん正しいと 思ってることはそうはいそうですね私は たまたまその千葉肉というところであの 八千代市千葉市まあとはなしのとこだった んですけど今のその地元のあの剣技さん 市長さんあの市議さんとすごい仲良くやっ てるんですけどうんまたまにそのなん だろうこう地区によっては結構清掃がうん あの激しかったりとか人間関係が複雑だっ たりするとこあるんでうんそういうとから やっぱり結構大変ですよね攻防と一口で 言ってもなかなかそうかまいろんな人間 社会ですから自慢があって出馬するんじゃ なくて公募がある場合ってその選挙どう やって決まるんですかあそれはもう自分で こう例えば千葉肉の工房っていうのがあっ たらそこに名乗りをあげるっていうあ選曲 ごとに工房があるんですねま大体そうです ね千葉肉であの自民党から出たい人みたい なそうですことですか千葉から僕出ますっ ていう出ますで私がでも手を上げようとし た時はま自民党野党になってそんなにはい 時間経ってなかったんでうんまあまり人気 なくてへえ手上げる人もそんな多くなかっ たんですよねまたブルー王者に行ってるん ですねブルああそうブルーオーシャンす ブルーブルーオーシャン財務省というか 大倉賞がちょっと元気ない時に大倉賞に手 を上げて手を上げてま某とえオクラシを 弱ってるそれで自党弱ってるっていところ でで今自民党の総裁戦自民党が弱ってる時 にまたやそういやそこは結構レッド王者 ですよ超レドるそこブルーじゃないブルー じゃなかった最後だけブルーじゃなかった けどそはブルーじゃないですけどでもこの その大倉賞の中で攻防するまでの間にその え西米大使か日本のはいはいに出行されて てそこでのその日本のプレゼンスに疑問 持ったっいう話ねはいはいそれは実際そう だったんですかまそうですねやっぱり行く とはいま留学で1回出てたってと時あるん ですけどあその2003年頃でも何が ケネディスクで何があったかって言うと それまではアジアっていうと日本だったん ですよ僕入った2001年の入学の時はあ はいまだ日本の存在感があったんですよ 10年代ド頭はアジアといえば日本だった 日本だったんですけど何が起ったか 2003年に入ったぐらいからま最後の私 は半年ぐらいにケネディスクにうん人の姿 学生の姿がうんカフェテリア溢れたんです よでその時にあの普通2年とかの プログラムなんですけど半年ぐらいでなん かこう中国から学生を呼んでおそらく アメリカのこう考え方をこう教えてって感 なんですけどアメリカに呼んでその人たち をまた返すっていうのが始まった時 すっごい中国がぶわっと増えてケネディ スクールでもすスクーでさそうなってなん だこれと思ったんですけどはいそれでもう 多分今でははいああアジアの中では やっぱり日本地ってすごいこういう大学の 中でもちょっと存在感がうんうんうん多分 小さくなっちゃってるですよねでま実際の 大使館に行った時に私はその思ってたより もやっぱり存在感がないっていう風に感じ てまいろんな悔しい思いもしましたしはい やっぱりその2009年の政権交代の時を 見ていてはいうんうんまあの当時の鳩山 さんですよね政権交代直後まあの時民主党 すごい勢あったんですけどま外交とかが 外交安保が正直まもうめちゃくちゃでうん うん結構色々ね不天間のこととかで揉め たりしましたね揉めて後であそんな重要な ことだったんだて気づいたみたいな ちょっとそういう中でやっぱりその大使感 の中で働いてると私はそのアメリカの財務 省とかFRBとやってたんですけどそのま 向こうのペンタゴン国防総省とか国務省と やってる仲間がいるわけですよねま全然 こうなんかもう関係がおかしくなってるの がま分かるわけですよへえでもうこんな ことやってたらも本当にどうなるんだと 思ってうんま飛び出したというか当時の 谷垣さんに総裁にうんはいまあ手紙を送っ てていう感じですねその谷垣総裁にま野党 の時の総裁ですけどその手紙を書いて その読まれるってイメージがそもそも なんか総裁に書いて読まれるのかみたい書 て読んでくれるっていう風に思ってる私が はいちょっとなんかううだったんですけど ああ総裁そんなのを今考えて読んでくれ ないような気もするんですけどでも読んで くれたんですよいや相当結構書いたんで ぶ厚くぶ厚く書いてこ谷垣さんたまにそう 入に行くんですけどはいいやあの時小林君 の送ってくれた巻き物すごかったねとかっ て呼いや巻いてない巻いてないって言って それぐらいのイメージだったんですねそう そうそうそれがでもすごい覚えてくださっ ててでそれこそまブルーオーシャンだった んです結果としてだから谷垣総裁は総裁に はなったけれどもあのゲ直後ですねうんで もその時も自民党も政権奪還も10年 ぐらいないんじゃないかっていう風に言わ れた時でえそんなんだったえであとで谷垣 さんがまいろんな本にもなんか書いて くださってたんですけど私がなんか長い そのはい便箋を送ったらいやなんかその この自民党にうん財務省からはいやろうと する人間がいるんだっていうことでま総裁 はまお言葉借りると本当に勇気づけられ たっていう風におっしゃってくださって うんで会ってくれたんですよね 嬉しかったんですね今そのピンチの中で そんだけねだ大倉賞で活躍してる方がやり たいいってその時なぜ自民党だったんです かうんそれははいまずあの時第3局って みんなの党って出てきたんですよくわって なんかちょっと勢いがあって渡辺義見さん のでもそこははいアジェンダマニ アジェンダつかななんかこの経済政策と あるんですけど外交安保の政策ほとんど なかったんですよねでもここはもう違うと 思ってでやっぱり僕がんそのあの自民党だ と思ったのはやっぱり自民党の考量って はいまあとは立島立島宣言とかあるんです けどそこに やっぱり保守の思想みたいな書いてあって ま憲法は当然あるし憲法改正自主憲法の 制定ってありますし当時の自民党は ガバナンスが結構もう弱ってたんですけど 弱ってたんですけどうんうんでもそれでも やっぱりその憲法とかうんあるいはその 外交安全保障うんうんそこはもう自民党 しかないと思ったですよねだから別に自分 1人がやめていったところでまそ巨大な 組織ですからそんな変わるわけはないって いう風にま思うんですけどでもその1つの 歯車になってなんかいつか政権奪還して うんだあの時その日本は日本を世界の 真ん中に立たせたいっていう思いがうんま すごい大それてるかもしれないですけど私 本気でそう思ってておおうんそれでやっ てるんではいそ自民党のその守うん外安保 の実績この辺りにやはり共感してその時の 与党じゃなくて野党に行ってる自民党に 行こうとそうですねいうことなんですね はいそうですでそこから谷垣さんに手紙 読んでもらって頑張ってくれよってなって そこでもう君自民党っていうことじゃなく てそうですねそんな甘くなくてそうじゃ ないんですかそうですで何が起こったかて 2019年の10月にま会ってくれるって ま休みとって行ったら4回に東本の4回 はい総室ってあって総裁室まで入れてくれ たんですよねうんすごいです総裁室って 入れるんだと思ってうんでそしたらあのま 喜んでくださって当時選挙の責任者があ2 回はい俊浩大ででその場で総裁が2階さん に電話をしてはい総裁戦2階さんが来て うんいやこんなやつが来たからはいなんか 指導してやってくれみたいな話になって はいそれからあの二階さんって皆さんご 存知ですよねはいあのわざとじゃないと 思うんですけど普通に日米私アメリカに 戻るじゃないですか時差考えない で大ですねペースがあのアメリカ時間の 木曜の朝深夜2時3時とかになんか普通に 電話かかってきて出るとや週末戻って これるかとか週末さもう時間ないなと思っ てでもそう2さんに言われると答えははい かイスしかないんでいやもうあれ行きま すって言ってもう航空チケットすぐ手配し て末ってがね11月12月呼び戻されて うんでそんま見られてたのかもしれない ですけどほあなるほどそういう中でであで もうよし頑張れみたいな話になってそう すると当時野党じゃないですかで財務省で 当時副大臣が野田本総理だったんですよね 野田総理が財務副大臣がなんかで いらっしゃってそうするとなんか財務省の 職員がなんか野党自民党のなんか千葉県 から出るぞみたいなのがやっぱなんか 広がる へえそうするとさんがうんこのやっぱり 波風立たないようにはいやめさせてくれて あ大倉シを大倉シをははうんまそこはなん か色々骨折ってくれましてなるほどええ その後なんか工房とかなってなあなんか こうこの感じで言ったらあなんかそのまま 候補者になれるのかなって一瞬思ったん ですけどそんな甘くなくてえ2さんにね その夜中にね来れるかって言ってあして やめさせてででも結局まガチの公募になる ですよで私千葉肉もそうだし他の千葉も他 にもあったんですけどやっぱり地元で いろんな事情があってあの地方議員の方と かでや国政挑戦しようとするいるじゃない ですかだから本当にその中ではい公募であ じゃそさんのもうおすみつきなんでどう ぞってことじゃないわけあそうはなかった ですねなかっ谷垣さんもついてるんでどう ぞことじゃないああないですねもうそこ ええで選ぶ方は地元の市長だったりなあの 県議とか主義の皆さん入ってたで全然そう いう感じじゃあ選ぶのは地元の市長県議 主義の方なんだとか国会議員も何人かは 入ってましたけど千葉の方々なんですね それ千葉の方ですかね地元の方々が自民党 の千葉県連みたいな感かそうそうえが選ん で選んではい行けるとそうですねその時は ま本当に健康一滴というかうん張まし初回 の初回で言ってみればその出馬する時って どういう準備が必要なんですか準備いや そのなんかみんなは地元で活動してたわけ じゃないですかそうですあだから私はその 生まれ育ったのが千葉県の市川浦安って 東京に近いとこだったんですけどそこは 事情があって工房にならなかったんですよ ね既にもう候補者がいてはいあ工房になる 場所とならない場所一斉になるわけじゃ ないですよねないですですだからなったの がその違う地だったからそ近距離なんです けどま落下さんなので誰も知って友達とか もいないとこだったのでうんで最初野党 自民党でえまあのね野党本当厳しかったの ではい私の例秘書秘書がまずいなかったん ですよおおで私の秘書にだってなろうと すると例えば会社辞めてなってもらうわけ ですよねはいはい例えばプレッシャー責任 が取らなきゃいけないですねですよね いろんな友達に話しかけましたけどいや みんなボランティア手伝ってくれるんです けどなるほど仕事やめてまでってなかなか なくてベタ好きで必死はちょっととでで ボランティアに来てくれてる仲間のうち から小学校1年生からの幼馴染みがなんか 結構頑張ってくれてたんでガっと頼頼むっ て言って説得しまくってでも4ヶ月ぐらい かかったんですけどすごいかそいつをいで もそれまでは1人で頑張ってやってたん ですけどで今も彼が一緒にやってくれてて うんうんうんうんだそういうところから 始めたんでええじゃえ結構きつかった順風 満パンてことじゃないんですねええ谷垣 さんが感動したから君ゴっていう感じだと 思ってましたそうじゃないですねええただ でももう本当にあの腹まみんなそうだと 思うんですけどもう大路立ってやるんで もうあとは徹底的に一見1軒もう歩く何 するんですか歩くんですよそのただ歩いて てもしょうがないじゃないですかいやいや ままず朝え6時とか6時半から駅にま2 時間ぐらい経ってまあなんか演説して ますいト演説しますでその後お本当にこの 地元に講演会活動って言ってこう私こう いうものですけど講演会入ってくださいっ ていうのをこう一見一見え一見一見講演会 に入ってくださいっていうその勧誘をしに 行くんですかすするんですよすごいですね で途中からなんかポスターとか晴れて支援 者が出てくるとわーっと勢いが出てあ なんかポスターのあの人ねってなるんです けど最初はい誰だかわかんないじゃない ですか見たこともない ポスターってないし誰あんたみたいな感じ なんですけどでも結構多分皆さんそうだと 思う同僚もそうだと思うですけど結構色々 小さなドラマあってでそんなうんこの誰だ かよくわかんない若蔵のうんはい話を聞い てくれる人ってたまにいるんすよはいあ それたまにだけどたまにいていやなんかが で真夏の日とかこうピンポンやってるとあ なんかあじゃあポスター貼らせてあげるよ とへえねそれなんかそういう優しい人って いて自分が逆だったら本当できるかなと 思うんですけどはあで多分みんなそういう 経験をしてきたきてると思うんですけど そうなんですねそれをなんかやってくると なんかこうだんだんこう広がってきて大変 いやそのオクレシのいわゆるねエリート 官僚がやめてピンポンで僕小林なんです けどてやってる時ってやっぱ不安感はない ですかもうでもやるしかないないじゃない ですかここまで来たらええもうそこはもう 全て捨ててであとは大倉シとか改正とか 東大って選挙にとってどっちとマイナスな んですよやっぱなんかこうなんかちょっと 雑草じゃエリートすぎてってなっちゃう からなるんでもう全て本当かり捨ててま プライドも捨てても本当にうん経歴とか 言わず言わないですねまあ別に自分から 言わないですし1番ねあのきつかったのは まだんだんな心も鍛えられるんですけど うんあの普通のバ声だったらもういいん ですけど1回ある町内会館行ったらあの みんなに帰れ帰れ帰れ帰れやれた時があっ て辛いそこが結構最初の時で心折れそうに なりましたそれなんでそんなに言われ なきゃいけないかい今そこの人たちあの みんなすごい応援してくめっちゃ応援して ですけどその時はその時あのある千葉市の はいおま花見川のある町会があるんですよ でそこにじたたその町内会長はいが自民党 のコアの支援者でま自民党のあのま次の 挑戦者ってことだったんでま挨拶しに来い と呼んでくれたんですよで言ったら周りは もうあの与党民主党の原職の支援者 ばっかりでまず挨拶しますしたらなんで お前挨拶するんだみたいな話お前の話聞に 来たんじゃねえまそ党示者ですからねなり ますよねで挨拶まし終わって帰ろうとし たらその町内会長が名刺配れとかって言う んですようんこんな雰囲気で配るのかと 思うですよま配れアウ中のウですよね 始めるとやっぱ怒られるわけですよねなり ますよねでそれで帰ろうと思ったらいい から食れって言われてで本当配り始めたら みんな怒っちゃってでなんかもう帰れ帰れ 帰れって言ってでほと帰ろうとま帰ろうと 思うわけですしたらその超会長はいいから 最後まで配れとかって言われてそ超会長 ストイックその人も超怖かったんですよ もうその人なくなったんですけどもう めっちゃ怖くてででもま嬉しいですけどい かられって言われてで本当に配ったら帰っ ちゃいましたねえその帰れ帰れって言って た人たちがだからもうほま何人か残って ましたけどほとんどもうみんななんか怒っ て帰っちゃってはいはあえそ配れっていう 行為はそのその長会長の愛だったんですか なんだったいやわかんないいっ す愛愛というです謎采でもま鍛えられまし たねでもうわそんなこともあるんですね なんかやっぱ政治家さんてやっ成功してる 人を見るからええああエリートだしとかま そのね親の台から盤もあるんだろうしとか いやなんか我々庶民と違うよねって思って たけどやっぱりすごい大変なそういう1個 1個盤作ってくんですねそうですねだから でも1回そうですねまその時は本当辛かっ たんですけどでもどんどんこの固めていけ ばはあうん味方増えていくっていういや それは増えていきますよねで例えば1回 行って怒られる人でも2回3回4回って 行けば行くほどまどこかで認めてくれたり まあるいはそのうんだそこは人間なんで 熱意で熱意ですよねああ本気じゃんとうん だそ結やるじゃんなかなかみたいな自民と 自民党の同僚議員はみんな多分そういう 経験をしてまだからそれが本当地べた はつりながらっていことだと思うすごい なあそこがあってのそこから4年後ぐらい ですかね初当選からの4年後ではいはいあ はい安倍さんのはい内閣の時に防衛大臣 政務官えはいこれってでもまだ2回生です よ当2回ですねの時にこの防衛大臣政務官 っていう役職につくのはこれ早いんですか うんえいやま普通かな今結構そのはいま その時々によって例えば今だと当選一期 からはいこうもう政務官になってたりする こともあってうん政務官あたりだと結構上 からこうま経験を積むということもあるの でこま順にこうやることが結構多くてで 例えば私の今当選4期の台ははいあの 110最初119人って今も70数名って すごいボリュームボリュームゾなんですよ そうすると私たちの台はどちらかというと こうそういうポストっていうのがなんか 回ってきにくくて多いからえ今のだから 一期生とか結構早くからま優秀ではあるん ですけどま2012年ってその対します もんね自民党大逆転してっと増えたとこ だったので安倍さんの2回目のねあれでえ えまだからあのそは別に早くも遅くもない というかま普通だったと思そうこれ政務官 っていうのがちょっと門外観だとどういう 仕事なのかちょっと分からない結局政務 山薬と言ってあの各省庁のまだから幹部 ですよねでこの政務山薬ま大臣がいてそれ サポートする副大臣がいてそれをサポート する大臣政務官っていうのがいてそはい下 にその僚組織事務方のその事務時間という 事務方のトップがいてっていうまそういう この式命令系統になってるとあじゃ事務 時間と大臣の間なんですか一応そういう風 にはなってるんですけどねそうなってます なってでもその官僚組織にいた中で言うと 官僚組織の頂点じゃないですか事務時間 ってはいでそれにその政務官としてええ 今度会うわけですよねありますそれどう いう関係なんですかかつての大将のところ に1個上としてくてことですかまだから私 が財務省の財務大臣政務官とか言ったら 多分そういうことになるんですよねあそう 防衛省防衛省だったんですけどでもそこは やっぱりその政治とその官僚の役割分担 っっていうのがあるのでうんうんそれは もうそういうものですよねただやっぱり その事務時間っていうのは当然そのこの 巨大な官僚組織の中でこの最後までこう 生いてきたいやすごいすごいあの権人格 能力あの軍隊と言われた象徴部省長のねね えあれでいうもう本当に同期の中で1人 なるかなれないかとかじゃないですかあ そうですねだからやっぱりその事務時間に 対していやそれはま人ですからやっぱり 教えをこうことは当然ありますしなるほど あじゃ距離感で言うとその必ずしも上下 っていうよりは役職上はそうだけどもって いう感じですようんまそうですねうんまで もやっぱり政治は最後責任のは政治なので そういう意味ではやっぱりうんそのね やっぱり事務時間ってそれなりのまあ ぐらいで政務官だと人にったま30代とか 40代でまなりますけどまだからそういう こ年齢のあの逆転みたいのありますけどで もやっぱり政治と役あの官僚の役割分担だ からまそれ仕方ないんじゃないあそうなん ですねうんこの前までとか局のとかそこは やっぱりあのちゃんと当然人として ああリスペクトしてしつはあで政務官やら れてでもこの辺りからそのま安倍さんの 時代がね色濃くありますけども保守って いう流れで言うとはいえなんか2階さんの 2回派にねあの5縁で入られたと思うん ですけどなんか印象的にはなんか安倍派で もなんかおかしくないようなカラーでは ありますよねそうですねあのまなんで2階 派なのかっていう風にあの結構同僚議員 から最初言われたんですけどねそはいのは まこのまやっぱり政治の世界ってうんま 義理とか人情とか恩義とかはい私はそう いうのすごい大切だと思っていてま古臭い かもしれないですけどでもやっぱりはい 二階さんにお世話になりましたしああそう ですよねうんだからそこそこのままもう今 なくなっちゃったんですけど昔の派閥に行 くっていうことはある意味自然うんだ谷垣 さんからの紹介で2回さんにお世話になっ てっていうのはもちろんあるからええだ けどなんかま同期からもそう言われるよう な感じでまその自然とアハとも溶け込む ような雰囲気はあっ実際派閥は派閥でこう 毎週1回集まるんですよねテレ走どこの閥 もやって一緒にご飯食べてはいでま研修も やったりするからあのそれ仲良くなるん ですけどでも別に普段はうんそれぞれ制作 ごとに別にその派閥とかそんな意識せずに うんうんこう色々こうそれはチーム組んで みんな うんうん昔はなんかこう抽選曲制の時は 派閥同士でこう戦って選挙も戦って結構 こう厳しい状況だったみたい自民党敵が 自民党ですからね抽選局だとうんえほと いい意味で切磋琢磨してうんそうですね そこから221年前回の総裁戦の時ですよ ねえええ高一佐井さんの推薦人としてそう です名をつねたというはいこれ時はどう いうお考えだったんですかこの時ははい 日本人はで挑戦すれば絶対世界に負けない と思うんですようんうんマインドをこう 思いっきり変えたいですチャレンジしてを このグっと持っていきたいんですいいです ねそういうなんか日本をいいですねもう1 回こう取り戻したいすうわいい顔し てプログレス [音楽] [音楽] 人は何者にでもなれるいつからでも次は あなただ