どうも中田敦彦です さあ今回のテーマは
フジテレビ危機ということで日枝代表と港
社長の責任とは何か というテーマでお送り
していきたいと思います ものすごく今
話題をさらっているこちらの件なんです
けれども 色々と新情報も出てきており
ますし 一体全体何がどうなっているのか
混乱している方も多いと思いますので
もう一度整理することでですね
皆さんの理解の助けに
なればなという風に思っております この
授業はあくまでも公益のために一助と
なればと思って作っております 特定の
個人のプライバシーであるとか 特定の
団体企業を貶めよう そういった目的の元に
作っているわけではないことを 何とぞご
理解いただければと思います それではまず
事態を整理していきたいと思います
2024年去年のですね年末12月に
SMAP元SMAPのリーダーの中居正広氏
に関して女性とのトラブルの報道が女性
セブンから始まるわけですねえ それを受け
て今年ですね 1月17日にフジテレビ
が会見をしたんですけれども それが非常
にですね限られたメディア 記者クラブ
加盟社のみとなっておりまして さらに動画
の撮影が禁止だった というクローズドな
環境での会見で 知りたいことが
明らかにならなかった ということで多く
の批判を呼んで未曾有の事態に陥るんですね
それがCMですねCM出稿企業の80社
近くがですね CMを撤退すると
いう危機に陥るわけですね CMを出稿して
お金を払ってCMを流してもらうという
風に思っていた会社がですね お金が返って
くるこないにまず関わらずCMを流さ
ないで欲しいと そこにCMを依頼した
企業ということになりますと基本的には
企業のイメージが下がるのではないかと
懸念した企業がですね CMを流さないで
くれとなった結果ですね AC公共広告機構の
CMが続く という事態にえ陥っているわけ
ですよね その上でですね 返金などを
求める企業もあるということで フジ
テレビは これはもうフジテレビの方の
責任を重く感じてですね 返金え及び
支払いに関してはいりません という形で
今企業とやり取りをしている 数百億単位
のですね損害が見込まれるという事態に陥っ
てるというわけですよね さらにえそれを
受けてですね メディアのあり方として
それで良かったのか ということで1月27日
再度やり直し会見が行われた という
ことですよね ここまで皆さん非常によく
ニュースで見てると思います 400名
以上が参加し10時間以上に渡ったという
ですね そちらも前代未聞の会見になった
わけですけれども 長すぎてですね
ちょっと要点が分からなかったという方
も多いと思うんですけども 要点を3つに
絞らせていただきます 要点1つ目はまず
は日枝代表が不参加であるということに
関して非常にストレスがあった はい不満
点を3つにまとめましたね その1つ目が
やはり日枝代表が不参加であったこと
2つ目がその今回のですねトラブルに直接
に関わったであろうと言われている編成
幹部のA氏が不参加であったこと はい
そして3番目がですね港社長 辞任を
発表したわけですけども その港社長がです
ね 今回の件を知りながらなぜ中居氏を
起用し続けたのかということに関して
色々と対応していたけれども後手に回った
というお話だったんですが どうもそれが
記者たちからすると納得いかない
国民からするとあまり理解はできない
1年半それを隠蔽しようとしていたん
じゃないかとも取られるようなですね
行動に出ているぞ ということでですね港
社長本人はですね第三者委員会の調査
に委ねるということなんですけれども
この辺りが非常に批判を浴びてるとこだと
いうことですね 日枝代表の不参加 編成
幹部A氏の不参加及び港社長が情報の
取り扱いにおいて1年半隠蔽してたのかも
しれないという疑惑 この3つの点が主に
このやり直し会見が成功だったと言われ
ない由縁だという風にまとめれると思い
ますはい でその後にですね週刊文春から
記事の訂正が出てきたんですよね これ
非常に重要なことなんですけれども
まずですね被害女性が当日 はいトラブル
被害にあった当日ですね中居氏宅に行くん
ですけれども その中居氏宅に誘ったのが
編成幹部A氏だったという記事だったん
ですけれども これ事実はですね編成幹部A
氏ではなく中居氏本人が
被害女性X子さんとされて
ますけどもX子さんを誘ったのだというのが
実際のところだった ということなんですね
なのでフジテレビの会見でもですね
基本的に被害当日において
当社の社員は一切関与していない
という説明を繰り返したんですけれども それに
関しては事実だったということが明らかに
なります だったら問題ないのではないか
中居氏個人の問題ではないのかという風に
言い始めている方もいるようなんです
けれども そうではないというのが文春の
主張ですよね なぜかと言いますと
トラブル当日も中居氏から みんなで飲もうよ
という風に誘われ 前3回もですね中居氏宅で
の会合も含むということなので その延長戦
上で考えてた つまりA氏の誘いの延長戦上
に考えていたから断れなかったのだ という
風にX子さんが主張している ということは
これはA氏の関与がその当日は直接
なかったにしてもA氏の責任は問われる
べきなのではないか というのが
文春の主張なわけですよね
そこが非常に重要なところであると その
上で今回A氏の問題なのか そうではない
のかという問題ではなくてですね フジ
テレビ全体の責任が問われている だから
こそCMが80社撤退してるわけですよね
それがニュースを見ていてもよくわから
ないという皆さんのためにですね 今回
問題の争点がどこなのかというのを分かり
やすく解説できればという風に思っており
ます 重要なのはですねフジテレビの
親会社であるとこのフジメディア
ホールディングス このフジメディア
ホールディングスのですね 大株主である
ところのダルトン・インベストメンツという
ですね外資系の投資会社があるんですけども
そちらがですね警告を発していた はい
どういう警告かと言いますとフジ
テレビジョンはフジテレビはですね深刻な
コーポレートガバナンスの欠陥があると
いう風に指摘しているんですね
コーポレートガバナンス ちょっと難しい
言葉になるんですけどコーポレートっての
会社ですよねはい でガバナンスというのは
ですね企業の統治方法 統治はい
コントロール管理という感じですよね
要するにですね この企業は会社は経営の
コントロールがうまくできていないのでは
ないか という風に言われている この
ガバナンスとかコンプライアンスとかそう
いうもの問題はですね 非常に昨今厳しく見
られてるわけですよね パワハラやセクハラや
そういうのがある ものすごい出世とか
人事の審査に対して いびつであるという風に
言われるとですねガバナンスが欠陥が
あるんではないかという風に指摘される
この大株主からの欠点 はい これがまさに
この問題を生んだのではないか と多くの
企業が取られているからこそ CMを撤退し
てる そういうお話なんですね
つまり本当の命題は
社員の編成幹部A氏が当日関与していたか
どうかではなくてですね
その編成A氏がその流れを生んでしまっ
たのは編成A氏の責任というよりもフジ
テレビのガバナンス不全が原因だったので
はないか つまりフジテレビのガバナンス不全
は女性を性被害の危機にさらしうるか はい
ここが問われてるんですね 女性を性被害の
危機にさらしうるほどの深刻な
コーポレートガバナンスの欠陥があるとし
たらですね その会社にCMを出稿すること
はならない という風に考えてる だからこそ
ですねガバナンスが効いているのか効いてい
ないのか というところが説明されたかどう
かが今回の記者会見の肝だったわけですが
そのガバナンスが効いていた という風には
捉えられなかった というのが今回の
1月27日以降のですね 社会的な風当たりと
いうことになります はい ではですねこの
フジテレビのガバナンス不全これが一体何
なのか そしてそれは一体どういうところが
ポイントなのか という話を今回はしっかりと
フジテレビの開局から その事件に至る
までのですね 70年間の年表をもって
ですね エクストリームに説明させて
いただければと思います はい 視点は2つ
まず1つ目はキーマン2人の歴史です
キーマンの1人目は日枝代表そして2人目
が港社長 この2人とフジテレビの歴史を見
ていくことによって いかにしてガバランス
が効かなくなっていったと言われるように
なったのか これを見ていきたいと思います
そしてもう1つはですね 女性
アナウンサーという立場が非常に社内に
おいて どちらかというと弱い立場に
あったのではないかと いう風なことを説明
させていただきたいと思います フジテレビ
におけるガバナンス不全が形成されるまで
の歴史 及びフジテレビにおけるですね
女性アナウンサーであるとか 女性のですね
立場の弱さが形成されうることになった
歴史 こちらをこの2つの視点から歴史
を見ていくことによってえ皆さんにですね
え問題を提起していけたらという風に考え
ております それでは早速参りましょう
まずは黎明期50年代から70年代 1957
年にフジテレビというのは設立されたわけ
なんですよね このフジテレビを設立した
のはその当時の財界四天王と言われるですね
うちの1人水野成夫氏だったという
風に言われております 財界四天王というの
はですね とても大きな影響影響力を持つ
財界の人物たちであり 時のですねえ池田
勇人内閣なんかも後ろから支えていた なんて
いう逸話が残っております フジテレビの
設立というのはですね まラジオメディアの
後にありますから ニッポン放送と文化放送が
共同でですね これからテレビの時代になる
ぞということでですね 設立したという風
に言われております その設立から4年目
件の人物が入社します それが日枝久氏
ですね 日枝氏は早稲田大学を卒業後
早稲田大学の教育学部からですね教員に
なろうかと考えてたところですね 早大の
教員からですね 新しいメディア テレビと
いうものが始まると そこは非常にお勧め
であるという話を聞いてフジテレビに入っ
たという風に言われております フジテレビ
に入社してからですね ほどなくして労働
組合を結成することに奔走すると 労働争議
こちらですね 元々日枝氏はですね 大学時代
共産党としての活動なんかもしていたと
いうことで労働争議に関する経験があった
ということでですね 労働組合を結成し
そこで書記長に就任するというですね
ま入社してすぐにですね まあの非凡な動きを
見せるわけですよね非常に強い
リーダーシップと行動力があり その上で
ですね目立った行動をしていたので その
当時の経営人からも少し睨まれたり
少し左遷させられたりとか そういったお話
も残っています そして1963年その
2年後にですね 鹿内信隆氏がフジテレビの
社長に就任します はい この鹿内氏と
いうのが非常に重要なんですけれども この
鹿内氏というのはこの水野氏の
バックアップを受けて フジテレビの盟主
となるわけなんですけども この段階で
ですね まだあのフジテレビというのは
ですね 我々がイメージする流星を誇る
テレビ局ではまだなかったんですね 母と
子のフジテレビというね テーマの中で
NHK 日本テレビ TBS についで作られた
ということで後発のテレビ局だった
わけなんですねえ そして1976年
その70年代半ばにですね港浩一社長
現在のね現在の港浩一社長 港浩一氏が
フジテレビに入社します はい 港氏は最初
から政策 番組政策を施行してたんですけども
この当時のフジテレビというのは番組
政策を子会社に移管しているという体制だった
ためにですね 色々と部署を回った
挙げ句ですね子会社に出向するということ
になります この当時はまだですね日枝氏も
港氏もまだ手腕を発揮できなかった
これが70年代でございます しかしその全てが
変わったのが1980年フジテレビが
生まれ変わるんですね フジテレビの大改革
が行われてトップにですね その鹿内
信隆氏の息子鹿内ジュニアとも言われた
鹿内春雄氏が陣頭指揮を取って活動する
ことになります 主な改革が制作改革だっ
たんですね 制作局を子会社に移管してい
た ある意味そうですね 人任せになってたような
ところだったところをですね 子会社から
局内にもう一度 制作部署を戻そうという
ことで制作に力を入れていきます その時
制作のリーダーに任されたのが日枝久氏
日枝氏はですね 編成局長に就任します
これはですね かつてのそのトップ鹿内信隆
氏の子供鹿内ジュニアと言われた鹿内春雄氏が
実力主義を掲げてですね 今まで目立ちすぎ
て少し外されていた日枝氏をピックアップ
して彼に変えてもらおう ね非常に
エネルギーがありますから 彼に変えて
もらうということで編成局所に就任させ
ます この編成局というのはですね 基本的に
番組をどこでどう始めるかというですね ま
司令党のようなところですので ここに最も
ですね才能のある人をつける 出世
コースである ということでございます
日枝氏は42歳の若さでですね ここに
就任することになります はい そして時を
同じくして港浩一氏もですね 子会社から
ですね制作の局内に戻ってくるという
ことで ここでですね日枝編成局長そして港
制作テレビマンというですね こういう体制
が出来上がり1980年が幕を開けたわけ
でございます そしてその1980年こそが
フジテレビの躍進の時代だったという風に
言われております 1981年はい この日枝
港制作体制になってからのですね1年後
楽しくなければテレビじゃない という
最も有名なフジテレビのスローガンが
出来上がります 楽しくなければテレビじゃ
ない つまりですねこれはバラエティ中心に
やっていく ドラマであるとか報道であると
か そういうことでなくてバラエティを中心
にヒットを生んでいこう この体制でござい
ます その翌年からですねフジテレビは
如実に成績を伸ばして なんとこのたった
1年でですね フジテレビの視聴率の三冠王
を取るわけですね視聴率三冠王というのは
基本的は全日 プライム ゴールデンという
ですねま全日というのは朝から晩まで
プライムというのはゴールデン帯
プラス23時台みたいなですね まいい時間
帯 そしてゴールデン帯は7時から10時
みたいないい時間帯 ものすごくいい時間
帯 この3つの時間帯で切り取ってそれぞれ
で全部で平均の視聴率が局の並びで
トップであるというですね それを三冠王と
いうね ダントツ優勝状態ということですよね
これにフジテレビが踊り出ます はい80
年代のフジテレビというのはですね
まさにですね ひょうきん族であるとか いわゆる
今のビッグ3ですよね たけしさん さんま
さん タモリさんですよね 笑っていいとも や
ひょうきん族といったですね そういった大ヒット
バラエティを生んで無双状態に入って
いくわけです この無双状態は82年から
93年までの なんとですね およそ11年間も続く
わけですね フジテレビがテレビ局のですね
雄であるということを示した時代が まさに
80年代だったということですし それの
立役者がまさに日枝氏と港氏だということが
言えます 1985年三冠王を取ってですね
3年目ですね 2.3.4.5 4年目ですかね港氏
が手掛けた番組で有名なのが夕やけニャン
ニャンですよね おニャン子クラブ
とんねるず こういったノリですね この
おニャン子クラブ 女子大生ブームなんかのも
作ったのもフジテレビなわけですよね
そしてその翌年おニャン子ブームに湧く中で
さらにですねえ加速していったのが女子アナ
ブームでございます 元々はですね80
年代初頭にですね その
ひょうきん族に出演した女性
アナウンサーたちが人気が出てたんです
けども 86年に入社した とあるアイドル
性のすごく高いですね アナウンサーさん
が爆発的人気になり そこから女子アナと
いう言葉をですね多用することによって
ですね 女子アナというのは単なる社員で
はなくて アイドルなんだ という風な立ち位置に
なっていくわけでございますねえ フジテレビ
も本を出したり カレンダーを出したりと
いったら ここら辺から始まって
いったと いう風に言われております はい
この女子アナブームというのがね 非常に
強い これはですね そもそもはあの女性
アナウンサーというのは契約社員だった
というところから85年に正社員に変わっ
てくんですね これが男女雇用機会均等法
ですね それまではですね 女性
アナウンサーというのは2年契約で採用
されて最多でもですね2回更新つまり最長
6年25歳定年と言われて最長6年までの
専門職だったわけですね ところが男女
雇用機械均等法によってですねそれは
あまりにも使い捨てなんじゃないかという
ことで正社員になったんです この正社員と
して女性アナウンサーが採用されたと
ほぼ時を同じくして女性アナウンサーは
アイドル的人気を勝ち得て行く つまりですね
女性アナウンサーというのは正社員であり
ながら芸能人のようなアイドル扱いを
受けるというですね特殊な特殊な立ち位置に
立っていった それが1980年代半ばだっ
たということです そしてそれはまさにフジ
テレビ黄金期の象徴予兆といった形になる
と思います そして1988年さらに事態が
動きます それが日枝氏がですねフジテレビ
の社長に就任するということです はいこれ
どうもおかしいぞとね鹿内信隆氏の後の
ジュニア鹿内ジュニア鹿内春雄氏が社長に
なるんじゃないのか ということなんです
けども鹿内春雄氏がですね ここで病気により
急死してしまったんですね それによって
常務まで上り詰めていた日枝氏が実力を残し
てましたから 社長に繰り上がっていく
わけですね はいこの日枝氏の社長就任と時
を同じくして港氏が手掛けて始めた番組が
とんねるずのみなさんのおかげです でござい
ます これもフジテレビバラエティ史に残る
金字塔としてですね今でも燦然と輝く
わけですけれども このですね日枝氏 港氏
の影響力がますます高まっているというの
が80年代後半なんですが ですがですね
この鹿内春雄氏急死した鹿内ジュニアの父親で
あるですね鹿内信隆氏はまだ存命だったん
ですね その上で自分の子供に権力を移譲
しようと考えていた その考えが
うまくいかないと春雄氏が急逝してしまっ
たことによって移譲できない ということで
ですね信隆氏はですね 手を打ちます 何
をしたかというと春雄氏ではなく娘 息子では
なく娘の婿 娘婿ですね興銀 興業銀行に
勤めていた娘婿の宏明氏をですね 自ら
の養子にしてフジテレビのトップに据える
というえ荒技に出るわけですね 鹿内宏明
氏が日枝氏のですね社長の日枝社長の上の
会長職についてフジサンケイグループを率いる
というお話になってきます はいなのでです
ね まさに 楽しくなければテレビじゃ
ないで 躍進を遂げた結果を持っている
日枝氏と先のトップである所の信隆氏が
引っ張ってきた一族が継承するための人材
であるとこの宏明氏の戦いになってくる
わけですね このフジテレビというのはです
ね1個のですね企業であるけれども
大きなメディアグループを代表する企業な
わけです 元々がニッポン放送と文化放送の共同
出資で始まったんですけれども あれよあれ
よとテレビの時代になったわけですよね な
のでニッポン放送の子会社であるにも関わらず
ニッポン放送よりも大きく時代を牽引している
のがフジテレビ巨大化していってグループ
最強の企業になったのがフジテレビという
ことで ここを抑えなければいけないフジ
サンケイグループを奪われるわけにはいかない
ということで大騒動になっていくわけです
ねえ ですがその宏明氏 娘婿が来た翌年
にですね それを指揮していた初代のですね
鹿内家のですね信隆氏が急死するわけですね
1990年に鹿内信隆氏が死去する ここ
からですね90年代日枝氏の権力の完成
期が始まります はい1990年に信隆氏と
いう後ろ盾を失った宏明氏はですね 92
年日枝氏によって ついにクーデタを起こされ
て会長職追われフジテレビを追放されると
いうことになります そしてこれを持って
92年のクーデターをもって日枝久氏の
ですね完全な一強体制 日枝体制が完成し
たという風に言われておりますます 日枝
氏がですね取締り役に入った年から数える
人もいればですね 社長になった年から
数える人もいれば ということもあります
けれども日枝氏がずっと40年以上権力
を握ってる 40年以上権力を握ってるの
1番の要所がこの92年ですね 一族経営
をしようとした鹿内氏を追いやり
日枝氏が実力を持ってですね
名実ともにナンバーワンになったという
ことでございます そこからですね5年後
1997年にフジテレビがが東証一部上場
を果たすということでですね もう押しも
押されぬ大企業パブリックカンパニーに
まで押し上げて そこのワントップになり
この90年代の日枝体制はまさに栄花を
誇ります そしてさらにその勢いは止まり
ません2001年0年代に入りますえ0年
代は色々なことがありますけども80年代
の再来とも言えるほどにですね その輝き
を増していくということになります
2001年日枝氏はフジテレビの会長件
CEOに就任します つまりですね会長も
社長も自分がやるという状態になるわけ
ですよね そこにやってきたのが第2次と
も言えるですね 大きな女子アナブームなん
ですよね はいもちろん最近では女性
アナウンサーという言い方があ一般的で
あり適切かもしれないんですけども この
当時は女子アナ女子アナと言われておりました
女子アナブームなんとかパンですよね はい
元々はチノパンから始まりアヤパン
カトパンへと続いていくという なんとか
パンブームこれが めざましテレビの
ですね絶好調と共にですね訪れるわけ
ですね CDを出したりカレンダーがバカ
売れしたりという時代でございます はい
この何々パンにもですね実は港社長
今のですね港浩一氏が寄与し
ていたと言われるんですえ 港氏がですね
おニャン子を作った時にはですね
とんねるずさん そして秋元康さんだかと
ですね成功をヒットさせたんですけども
このなんとかパンブームの時はですね
女子アナウンサーがCDを出す時に
秋元康氏のプロデュースでデビューするとか
ですね そういった おニャン子の手法と
アナウンサーブームという掛け合わせて
さらなるヒットを生んでいった ということ
が言えるんじゃないでしょうか その女性
女子アナウンサーブームの隆盛と共に
ですねフジテレビは再び絶好調になるの
が2004年はいフジテレビ視聴率の三冠
王をもう1度取るんです そしてそれが
2010年まで続くということでフジ
テレビはですね80年代及び0年代
後半を完全に制圧していた そういった時代
でございます しかしですね そこに一本
の矢が刺さってくるわけですよね それが
2005年です はい堀江貴文さん通称ホリエモン
がですねインターネットの寵児として
ライブドアを引っさげてですね なんとニッポン
放送の株を買収しようとしていくんですね
先ほども申しましたけれどもフジテレビは
ニッポン放送と文化放送の共同出資で作ったと
いう会社で実はその時ねフジテレビのです
ね親子関係は逆転しているというか子供
の方が大きい親子だったんですね その親の
方を買収することができればコスパよく
フジテレビを支配できるのではないか
という風に考えた堀江氏がですね 買収する
という動きに出るんですが これを全力で
止めたのも日枝氏でございます 日枝氏
はこのライブドア買収騒動の阻止に
成功し このね脆弱性のあった企業
買収されやすい構造をを改造してですね
作り上げたのが2008年フジ・メディア
ホールディングスなんですね これによってフジ
テレビはニッポン放送の子会社ではなくフジ
メディアホールディングスという会社の
子会社100%子会社になりました これに
よってより買収されにくい構造を完成し
つまり0年代は日枝体制の防衛に成功し
たわけですね 日枝体制の防衛に成功し
さらに0年代の視聴率三冠王も取り 完全
にもう無敵の無双の状態であったと言える
と思います それの絶頂を極めたのが
2013年日枝氏は旭日大綬章という
ですね勲章を陛下から賜るというところ
まで至ります時は第2次安倍政権でした
この日枝氏のですねメディア王と言わ
れるですね所以はですね もちろんフジ
テレビにおいて絶対的な権力を持っている
というだけではなくですね 政界との
繋がりも非常に太いということで森喜朗元
首相とのですね盟友関係にあり 森喜朗首相
率いる清和会のプリンスであるところの安倍
晋三首相ともですね 懇意にしていたと
いうことが功を奏してか分かりません
けれどもえ政治的にも非常に強い力を持っ
ていたと言われ この2013年安倍政権
絶好長の中でですね日枝氏は旭日大綬章を
受賞するに至ったということでございます
そして港浩一氏もですねこの時 出世に出世
を重ねてフジテレビ常務取締役にまで
就任します この常務というのは ま社長の
下にある取締り役の中でも偉いポストに
なりますよね日枝さんは常務から社長に
なりました 港さんも この常務 港氏も
この常務からですね 次は社長になるんじゃ
ないかという次期社長のところまで
上り詰めていくということです しかも
その担当がですねバラエティ政策 編成
局バラエティ政策とアナウンス室の担当と
いうことになります まさにアナウンサーで
ヒットを当て バラエティでヒットを当てた
港氏の絶頂のポジションが常務取締役と
してバラエティ政策とアナウンス室を
担当しているということです あの
とんねるずさん からも女性アナウンサー
さんからも信望が厚いという状態で この
位置につきました これが2013年です
ですがここで私は2010年代をフジ
テレビの衰退機という風に表記しています
それがなぜなのかを説明していきたいと
思います この2013年港氏はですね
常務取締役に就任して ほどなくして
ですねトラブルに見舞われます それはフジ
テレビの番組 ほこ
たて という番組でですね
やらせがあったんじゃないかと不適切演出
があったんじゃないかというのが一時期
大騒ぎになりました それによって港氏
もその責任を負って減俸処分になって
いるんですね さらに翌年港氏はですね
まさに週刊文書によってですね不倫旅行
をしているということが報道されました
その減俸と不倫旅行があったのが2013
年14年 港氏のキャリアにですね少し影が
落ちるということになります そして
2015年港氏はですね 共同テレビという
ですねフジ・メディアホールディングスの
子会社のフジテレビ
BSフジ 共同テレビ ポニー
キャニオンといった色々系列会社があるん
ですけども その子会社の1つ共同テレビの
社長に就任します 社長に就任すると言うと
ですね 出世のように感じるんですけども
これはですね一部記事ですね はい週刊
新潮の記事によるとですね これは社内では
関係者曰わくですね 出世コースから外れ
たのだ ということらしいんですね2015
年これ2013年14年のですね ま言っ
たら減俸と不倫というですね ことが
キャリアに傷をつけたのかどうか分かり
ませんけれども 社内での出世争いに
負けてですねえ共同テレビの社長に就任し
た というのが報じられております そして
2017年ですね フジテレビは5期連続
減収減益ということになります 何が起きた
のかそう2010年代半ばからスマート
フォンと5G及びYouTubeが普及し
始めます はいインターネットの広告が
テレビの広告を抜いたのが え総量で抜いた
のが2019年2010年代後半に一気に
インターネットはですねえ スマートフォン
5GYouTubeこういったものを揃え
て テレビを一気に広告の王から
引きずり下ろすということになります
それを受けてですね2010年代はフジテレビ
は苦境に立たされるということになります
港氏が出世コースを外れ共同テレビの社長に
着いたという その2年後日枝氏もピンチに
陥ります それがフジテレビの会長の退任で
ございます はい日枝氏はですね それまで
フジテレビの会長件CEO フジ・メディア
ホールディングスの会長件CEOそして
フジサンケイグループの代表という全ての要所
をですねえ抑えていたんですけれども 5期
連続減収減益 インターネットの煽りを受けて
さらにリーマンショックとか2008年も
色々あってですねフジテレビの時代が
終わりつつある ということの責任を受けて
ですね ここで日枝氏はフジテレビの会長兼
CEO及びフジ・メディアホールディングスの
会長兼CEを退任することになります 退任
して代表件のない取締役 つまり取締役
相談役というポジションにフジテレビと
フジ・メディアホールディングスで就くこと
になります ですがここで日枝氏は退いた
わけではないんですね それなぜかフジ
サンケイグループという全てをですね統べる
ですね1番上のグループの代表を降りてい
ないということなんですね むしろですね
フジサンケイグループの代表を維持しながら
このフジ・メディアホールディングスの会長
と社長及びフジテレビの会長と社長を自分
の息のかかった人間を配置することにに
よって院政を敷き始めたと言われてるん
ですね はい院政というのは元々は天皇
陛下がその位をですね やめて譲った後に
ですね上皇というものになるんですけども
その上皇がですね天皇の上に居続け
て指示を出し続けて政治を行うことを
院政と言います はい上皇の居る間をですねえ
天皇の居る間を御所と言い 上皇の居る間を院と
言ったんですね その院が政治をすることで
院政なんですね はい最初に始めたのは白川
上皇だと言われております 白川上皇は
幼い天皇で就けてですね その幼い天皇に
意見をさせずに基本的には幹部に院に
来させて院から政治を動かすということで
長らくその政権を維持したというのが白川
上皇の院政と言われてます この院政の
スタイルをですねフジサンケイグループの代表
という立場からフジ・メディアホールディングス
の会長社長及びフジテレビの会長社長を
任命するという権限でもって フジ
グループ全体をですねコントロールして
いくというやり方に変わっていった 5期
連続減収減益の責任を取っていたのでは
なくですね むしろ防衛的な院政を完成させ
たのがこの2017年だったと言われて
おります その衰退の10年代を経て 発覚
の20年代に入っていきます なんとですね
2022年はい2015年7年ほど
前にですね共同テレビの社長に就任し
出世コースを外れたと社内で噂されていた
港浩一氏がですね フジテレビの社長に就任
つまり返り咲くわけですね これ一体何が
起きたのかということなんですけも 一部
情報によりますとですねえ 週刊新潮が報じ
ているところによりますと実はですねこの
7年間の間 港社長 港氏はですね 社長
返り咲きを諦めていなかった とある活動をし
てた それが何かと言うと接待だということ
なんですね そこで出てくるのが何か 女性
アナウンサーを多数参加させる接待を
芸能関係者にしていたという風に報じ
られています それが通称みなと会と言われてい
たらしいんですね 芸能関係者を接待する
そこに女性アナウンサーを多数
引き連れる こういった会を行っていたことは
ありますか ということに関してですね接待
のつもりではなかったと あくまで同じ同僚
同じ社の仲間として宴席を囲むという認識
であったという風に会見で港氏は
答えてるわけなんですけれども 果たして
そうだったのかというのが問われてるわけ
ですよね 女性アナウンサーの方々にですね
あの突撃で色々と質問したり取材したり
してる会社なんかもありますけれども 昔は
そういうことはなかったとかですね そう
いう話はあの そう経験してないという
OGの方も多いと これどういうことなのか
というと おそらくなんですけども この
2010年代後半から港氏が盛んに行い
始めたのではないかという風にも言われ
てるわけですよね この10年代後半は
テレビの勢いが下がっていく さらに港
氏が出世コースから外れていく そこで
起死回生の逆転策として このアナウンス
室を担当していたこと えー○○パン
ブームを作ったことからアナウンサーから
のね信望も厚いという所をうまく使っ
てですねアナウンサーに会える
接待会食というのを多くセッティングし
ていく という事があったという風に週刊
新潮に書かれています
そしてその接待を受けた各芸能事務所
の経営者の偉い方々がですね日枝氏に
港氏をですね 社長に戻してはどうかと
いう風にアプローチがあり 日枝氏がそれを
受けてですね港氏を戻した という風
に報じられてるんですよ これは真実かどう
か分かりません ですがこれが本当である
のであればですね 港氏はですね
まさにその女性アナウンサーを接待に使っ
ていたのではないかと もちろん女性
アナウンサーがどういう気持ちだったの
か港氏がどういう気持ちだったのか
それぞれ言い分はあると思うんですけれども
港社長が社長に返り咲いたきっかけとなっ
た女性アナウンサーをを使った会食 ここで
繋がってくるわけです つまりこの2022
年の港社長の就任 これこそがですね後の
トラブルの原因のスタートだったのでは
ないかという風にも捉えることができる
わけですね そしてその港氏を任命したのが
日枝氏であると なぜならば日枝氏が
2017年に院政を敷いて以降ですね
あらゆる経営人の人事を
日枝氏が握っている つまり
任命責任は日枝氏1人にあるという風に
言われているわけですね 日枝氏が任命責任
を全て持っている権限と責任を持っている
からこそ港社長の就任に関しての責任が
そこにあるのではないかという風に言われ
ているし港社長こそがですね自らの復権
のために その女性アナウンサーの
セッティングというものを常態化させてた
のかではないかと言われておりますし
そして それはいやいや同僚が宴席を囲む
会社を盛り上げよう ねえ業績が悪化してる
フジテレビをもう1度盛り上げようという
動きだったという風に港社長は言ってい
ます けれども ここを判断する上で見逃せ
ない情報があります 港社長の社長就任祝
を兼ねた誕生日会に被害者女性のX子さん
も参加していたそうです そのX子さんに
週刊ポストが突撃取材をして そういった
会合が任意参加だったのかを聞いています
参加させられたX子さんは現に ほぼ強制的に
感じていると 断る事など出来なかった
と言う風に証言している そして
2022年この港社長と編成幹部A氏
がですね隆盛を
誇り始めたその翌年2023年の4月に
始まった番組が まつもtoなかい でございます
この番組が港社長復権と同時に肝入りで始まっ
た番組と言われておりまして この松本氏と
中居氏というビッグなキャスティングをすることが
できた制作人はですね出世するという風
に言われているほどにですね非常に大きな
番組だったわけですね この4月まつもtoなかい
スタートの2ヶ月後6月に中居氏と女性
X子さんとの間でトラブルがあったと
いう風になっております そしてその6月
にですね港氏もですね このトラブルを
把握したという風に言われてます これです
ね港氏はですね証言の中で8月には知った
なんていうことあるんですけれども関テレ
のですね社長からの証言でですね もう
事態があってすぐに報告があり すぐに港
社長に報告したという風に また関テレでの
方の会見もありましたので 6月には知って
いたという風に確定しました はいこの6月
にはですね港氏はですね 港社長ははいこの
中居氏とX子さんとのトラブルを知った
わけなんですけれども そこからですね急に
中居氏を降板させると女性側がですね
なるべくこのことを知られずに復帰したい
と当初言ってたので その女性側の
プライバシーが疑われるのではないか
損なわれるのではないか ということで慎重
に動かなければいけないということで急に
は中居氏の番組の中止や降板を進めること
ができなかったと そういう風に言われてる
んですね ですがここがものすごく争点になっ
てくるわけですね 港氏は女性を守るためと
言っているけれども限られた人間だけで情報を
共有する というところまでは分かるんです
けれどもコンプライアンス室にもこれ共有
してなかったことが明らかになるんですね
社内向けの説明会の中で この
コンプライアンス室のですね社員からです
ね激しくそこをですね指摘されており
ます なぜ情報共有しなかったのかという風
に言われている コンプライアンス室にも
共有しない はい及びですね他の役にも共有
せずですね ごくごく内輪の人間数人だけで この
情報をずっとですね閉じた状態にしていた
はい さらにはですね それが慎重に動くため
であるという所も疑わしいと言われ
ているのが その後の動きなんですね はい6
月に知って変えるチャンスというのはです
ね6月に知って7月に終わらせたら それは
目立つんです でも目立たない時期があるん
です それが10月と4月
です 私も20年近くタレント業やっており
ましてテレビにもお世話になっておりまし
たので もうこれは常識なんですけども
テレビの番組の改編というのは4月と10
月春改編と秋改編と言われてます でこの
タイミングで番組が始まったり終わったり
することというのはですね決して珍しい
ことではなく普通のことなんですね
しかもそれが数字をものすごく取っている
わけではないのであれば それはですね変え
ても全然目立つことではないんです ですが
今回のこの まつもtoなかい に関してはビッグな
キャスティングである鳴物入りで始まって
いるがゆえにですね4月に始まり10月に
終わる半年で終わるというのは確かに早
すぎるという きらいがあるのかもしれません
この10月の継続に関しては まだ理解が
できるんですね ただその上でこの2ヶ月後
12月に松本氏の方の松本人志氏の方の性加害
報道がで出て さらに事態が混乱を極め
ます はい実はですねこの12月の性加害
報道が出ているわけですから その次の改変
ではですね十分に終わってしるべきです
ね要素は揃ってるわけですよねビッグな
キャスティングであるけれども その2人
のうちの1人が大きなトラブルに見舞われ
ている休業しようとしている のであれば次
の4月に終わっていてしるべきなんです
ですが2024年2月にですね この番組は
まつもtoなかい という名前から だれかtoなかい という
名前をリニューアルして続いているんです
そして2024年4月ここです 最も
終わるべきタイミングだった この4月です
ここでなぜかまつもtoなかい の後継 だれかtoなかい は
継続してるわけです 2月の段階で
リニューアルし次の改編
を待って終わらせる 終わらせる理由は
はっきりしてますよね それ松本人志氏の性加害
報道が出て休業しているという大きな
トラブルに見舞われたから 今明らかになっ
ていない中居氏の問題も含めて これは番組を
終わらせるという判断 これが基本的には今
考えると合理的ですよね ですがここで継続
しています4月段階で 何かが調整がつか
なかったのか しかしその次の10月の秋改編
でも だれかtoなかい は継続しました そして
いよいよその2ヶ月後の12月 去年ですね
中居氏のトラブルが報道され 今に至るという
ことです つまりですね 女性のプライバシー
を守るために悪目立ちさせないようにした
というお話がですね この2024年の4月
10月改編の継続の説明と辻褄が合わない
わけですよね そしてさらにですね文春が
X子さんに対してインタビューをすると
ですねX子さんは決して港社長からです
ね そこに対してケアがあったわけではない
ということで怒りを露にしてるわけなんです
よ えー港社長とですね そのフジテレビ
の仕事を離れるということで最後に会った
時にですね 心配であるとか謝罪であるとか
か そういったことは無くですね 自分の話
しかもですね 海外にちょっとこう仕事で
行った時の話雑談ですよね をされて笑顔で
雑談をされて それで終わったと 私のことを
どう思ってるのか分からないと 決して自分
のことを守るために情報をクローズドにし
てたわけではない というようなことをです
ね このX子さん主張してるわけです はい
ここが非常に第三者委員会でと問われるべき
ことになってくるのではないか という風に
言われております はいそして2025
年1月この会見に至るわけですね はいさ
ここまで整理して皆さんの中で一体何が
問われてるのか ということなんですけども
いかに日枝氏がですね権力を集中させて
行ったか そして人事を完全に意のままに
したのか はい2017年に院政を敷いて
ですね人事権を全て牛耳っていた上で
その日枝氏にですね しっかりアプローチ
することができれば社長に返り咲ける
ということで みなと会を頻繁に開き それに
よって芸能関係者と懇意になり 社長に返り咲き
そしてそのA氏はまさに港氏の手法でもっ
てタレント大物タレントに気に入られて
いったんですよね その大物タレントに気に
入られた そのやり方こそはまさに港氏から
受け継いだ女性を接待要員として連れて
いく 先輩後輩の関係で断れない
女性を接待要員として連れていく ま取材
インタビューによりますとですね この中居氏
とX子さんはですね このA氏によって
トラブルの日の前に すでに3回も食事会を
セッティングされていると そしてA氏と中居氏
とX子さんの3人になった時に中居氏とX子
さんが付き合えばいいのに という形で
仕切りにこの2人をくっつけようとしていた と
いう証言が出てるわけですよね それが事実
であるのであればですね 中居氏はですね この
Aさんによって接待を受けていたような形
になり さらにこのX子さんは その流れで
断れずにフジテレビを盛り上げなきゃ この
Aさんの顔を汚さないようにしなきゃと
いうことで最後
のトラブルの日 中居氏宅を訪問する
その時の誘い文句も みんなで飲まないかという
ことだったという風に言われてるんですね
それはA氏との会合の延長だと思って言っ
たとすると そういう意図に沿わない 意に
沿わない性的行為を受けてしまい そこから
PTSDになりという風なことが言われ
てるわけですね 一体これはどこにどう
ガバナンスの不全があったのか まず1つに
は日枝氏による港氏の任命 2022年です
よね この2022年に港氏を社長に就任さ
せたことは正しかったのか ということです
よね この任命責任が日枝氏にはあると
そして港氏はですね その社長就任に至る
まで及び社長就任してからのですね 体制
ですよね 社長になったのは接待を
たくさんしたからだ ねえ芸能関係者には
どんどんと接待をしよう 女性アナウンサー
を呼べば来てくれる そしてみんな同じ
気持ちでフジテレビを盛り上げるために
頑張ってくれている ということが是とされ
た はい接待文化を作ったという責任が港氏に
はあるわけですよね そして最後のA氏中居氏
に対して その被害女性をどんどんと
セッティングしプライベートな付き合いを
するように促していった この3段階の責任
がガバナンス不全の正体だと言えるので
はないでしょうか 一体誰に責任があるのか
それは個人なのかもしれませんし全体なの
かもしれません ですがこのガバナンス不全
を根本から変えない限り 企業はCMを
再度修復することはないだろう という風に
言われております 一体フジテレビはこれ
からどうなるのか えポイントとなるのは3
月と6月です まず3月普段の第3者委員会
による報告がありますこれは当初はですね
第3者を含む委員会ということで日弁連の
ガイドラインに沿わないものを作ろうとし
たのが1月17日の発表だったんですが
それも大きな批判を受け
て日弁連のガイドラインに沿った第3者
委員会が作られることになりましたつまり
これはですねフジテレビの内部からのです
ね 操作であるとか内部への忖度で
あるとか そういうのが効かないものになり
ますので 徹底的に調べられて調査報告が
出るということになります えこれを受けて
一体どういった判断をしていくのか
ガバナンス改善が行われるのか どうなのか
ここがポイントです そしてその後に6月
株主総会が行われます そこで株主から一体
どういった意見を受けて どういう風に改善
するのか ここが大きく注目されていると
いう話でございます フジテレビ燦然と
輝いたメディアの王 それが
今その振る舞いを問われている
私の意見主張というものを
なるべく廃したつもりなんですけれども
もし何か間違った体制間違った発言があれ
ば是非ご指摘いただければと思います
なるべく真実に近いえものをですね発信
しよう公益になればというものでお話を
させていただきました 是非また何か
新しい続報がありましたらですね 私の方でも
動画を作りたい と思いますので
本日の授業は以上でございます ではまた
フジテレビ危機ということで日枝代表と港
社長の責任とは何か というテーマでお送り
していきたいと思います ものすごく今
話題をさらっているこちらの件なんです
けれども 色々と新情報も出てきており
ますし 一体全体何がどうなっているのか
混乱している方も多いと思いますので
もう一度整理することでですね
皆さんの理解の助けに
なればなという風に思っております この
授業はあくまでも公益のために一助と
なればと思って作っております 特定の
個人のプライバシーであるとか 特定の
団体企業を貶めよう そういった目的の元に
作っているわけではないことを 何とぞご
理解いただければと思います それではまず
事態を整理していきたいと思います
2024年去年のですね年末12月に
SMAP元SMAPのリーダーの中居正広氏
に関して女性とのトラブルの報道が女性
セブンから始まるわけですねえ それを受け
て今年ですね 1月17日にフジテレビ
が会見をしたんですけれども それが非常
にですね限られたメディア 記者クラブ
加盟社のみとなっておりまして さらに動画
の撮影が禁止だった というクローズドな
環境での会見で 知りたいことが
明らかにならなかった ということで多く
の批判を呼んで未曾有の事態に陥るんですね
それがCMですねCM出稿企業の80社
近くがですね CMを撤退すると
いう危機に陥るわけですね CMを出稿して
お金を払ってCMを流してもらうという
風に思っていた会社がですね お金が返って
くるこないにまず関わらずCMを流さ
ないで欲しいと そこにCMを依頼した
企業ということになりますと基本的には
企業のイメージが下がるのではないかと
懸念した企業がですね CMを流さないで
くれとなった結果ですね AC公共広告機構の
CMが続く という事態にえ陥っているわけ
ですよね その上でですね 返金などを
求める企業もあるということで フジ
テレビは これはもうフジテレビの方の
責任を重く感じてですね 返金え及び
支払いに関してはいりません という形で
今企業とやり取りをしている 数百億単位
のですね損害が見込まれるという事態に陥っ
てるというわけですよね さらにえそれを
受けてですね メディアのあり方として
それで良かったのか ということで1月27日
再度やり直し会見が行われた という
ことですよね ここまで皆さん非常によく
ニュースで見てると思います 400名
以上が参加し10時間以上に渡ったという
ですね そちらも前代未聞の会見になった
わけですけれども 長すぎてですね
ちょっと要点が分からなかったという方
も多いと思うんですけども 要点を3つに
絞らせていただきます 要点1つ目はまず
は日枝代表が不参加であるということに
関して非常にストレスがあった はい不満
点を3つにまとめましたね その1つ目が
やはり日枝代表が不参加であったこと
2つ目がその今回のですねトラブルに直接
に関わったであろうと言われている編成
幹部のA氏が不参加であったこと はい
そして3番目がですね港社長 辞任を
発表したわけですけども その港社長がです
ね 今回の件を知りながらなぜ中居氏を
起用し続けたのかということに関して
色々と対応していたけれども後手に回った
というお話だったんですが どうもそれが
記者たちからすると納得いかない
国民からするとあまり理解はできない
1年半それを隠蔽しようとしていたん
じゃないかとも取られるようなですね
行動に出ているぞ ということでですね港
社長本人はですね第三者委員会の調査
に委ねるということなんですけれども
この辺りが非常に批判を浴びてるとこだと
いうことですね 日枝代表の不参加 編成
幹部A氏の不参加及び港社長が情報の
取り扱いにおいて1年半隠蔽してたのかも
しれないという疑惑 この3つの点が主に
このやり直し会見が成功だったと言われ
ない由縁だという風にまとめれると思い
ますはい でその後にですね週刊文春から
記事の訂正が出てきたんですよね これ
非常に重要なことなんですけれども
まずですね被害女性が当日 はいトラブル
被害にあった当日ですね中居氏宅に行くん
ですけれども その中居氏宅に誘ったのが
編成幹部A氏だったという記事だったん
ですけれども これ事実はですね編成幹部A
氏ではなく中居氏本人が
被害女性X子さんとされて
ますけどもX子さんを誘ったのだというのが
実際のところだった ということなんですね
なのでフジテレビの会見でもですね
基本的に被害当日において
当社の社員は一切関与していない
という説明を繰り返したんですけれども それに
関しては事実だったということが明らかに
なります だったら問題ないのではないか
中居氏個人の問題ではないのかという風に
言い始めている方もいるようなんです
けれども そうではないというのが文春の
主張ですよね なぜかと言いますと
トラブル当日も中居氏から みんなで飲もうよ
という風に誘われ 前3回もですね中居氏宅で
の会合も含むということなので その延長戦
上で考えてた つまりA氏の誘いの延長戦上
に考えていたから断れなかったのだ という
風にX子さんが主張している ということは
これはA氏の関与がその当日は直接
なかったにしてもA氏の責任は問われる
べきなのではないか というのが
文春の主張なわけですよね
そこが非常に重要なところであると その
上で今回A氏の問題なのか そうではない
のかという問題ではなくてですね フジ
テレビ全体の責任が問われている だから
こそCMが80社撤退してるわけですよね
それがニュースを見ていてもよくわから
ないという皆さんのためにですね 今回
問題の争点がどこなのかというのを分かり
やすく解説できればという風に思っており
ます 重要なのはですねフジテレビの
親会社であるとこのフジメディア
ホールディングス このフジメディア
ホールディングスのですね 大株主である
ところのダルトン・インベストメンツという
ですね外資系の投資会社があるんですけども
そちらがですね警告を発していた はい
どういう警告かと言いますとフジ
テレビジョンはフジテレビはですね深刻な
コーポレートガバナンスの欠陥があると
いう風に指摘しているんですね
コーポレートガバナンス ちょっと難しい
言葉になるんですけどコーポレートっての
会社ですよねはい でガバナンスというのは
ですね企業の統治方法 統治はい
コントロール管理という感じですよね
要するにですね この企業は会社は経営の
コントロールがうまくできていないのでは
ないか という風に言われている この
ガバナンスとかコンプライアンスとかそう
いうもの問題はですね 非常に昨今厳しく見
られてるわけですよね パワハラやセクハラや
そういうのがある ものすごい出世とか
人事の審査に対して いびつであるという風に
言われるとですねガバナンスが欠陥が
あるんではないかという風に指摘される
この大株主からの欠点 はい これがまさに
この問題を生んだのではないか と多くの
企業が取られているからこそ CMを撤退し
てる そういうお話なんですね
つまり本当の命題は
社員の編成幹部A氏が当日関与していたか
どうかではなくてですね
その編成A氏がその流れを生んでしまっ
たのは編成A氏の責任というよりもフジ
テレビのガバナンス不全が原因だったので
はないか つまりフジテレビのガバナンス不全
は女性を性被害の危機にさらしうるか はい
ここが問われてるんですね 女性を性被害の
危機にさらしうるほどの深刻な
コーポレートガバナンスの欠陥があるとし
たらですね その会社にCMを出稿すること
はならない という風に考えてる だからこそ
ですねガバナンスが効いているのか効いてい
ないのか というところが説明されたかどう
かが今回の記者会見の肝だったわけですが
そのガバナンスが効いていた という風には
捉えられなかった というのが今回の
1月27日以降のですね 社会的な風当たりと
いうことになります はい ではですねこの
フジテレビのガバナンス不全これが一体何
なのか そしてそれは一体どういうところが
ポイントなのか という話を今回はしっかりと
フジテレビの開局から その事件に至る
までのですね 70年間の年表をもって
ですね エクストリームに説明させて
いただければと思います はい 視点は2つ
まず1つ目はキーマン2人の歴史です
キーマンの1人目は日枝代表そして2人目
が港社長 この2人とフジテレビの歴史を見
ていくことによって いかにしてガバランス
が効かなくなっていったと言われるように
なったのか これを見ていきたいと思います
そしてもう1つはですね 女性
アナウンサーという立場が非常に社内に
おいて どちらかというと弱い立場に
あったのではないかと いう風なことを説明
させていただきたいと思います フジテレビ
におけるガバナンス不全が形成されるまで
の歴史 及びフジテレビにおけるですね
女性アナウンサーであるとか 女性のですね
立場の弱さが形成されうることになった
歴史 こちらをこの2つの視点から歴史
を見ていくことによってえ皆さんにですね
え問題を提起していけたらという風に考え
ております それでは早速参りましょう
まずは黎明期50年代から70年代 1957
年にフジテレビというのは設立されたわけ
なんですよね このフジテレビを設立した
のはその当時の財界四天王と言われるですね
うちの1人水野成夫氏だったという
風に言われております 財界四天王というの
はですね とても大きな影響影響力を持つ
財界の人物たちであり 時のですねえ池田
勇人内閣なんかも後ろから支えていた なんて
いう逸話が残っております フジテレビの
設立というのはですね まラジオメディアの
後にありますから ニッポン放送と文化放送が
共同でですね これからテレビの時代になる
ぞということでですね 設立したという風
に言われております その設立から4年目
件の人物が入社します それが日枝久氏
ですね 日枝氏は早稲田大学を卒業後
早稲田大学の教育学部からですね教員に
なろうかと考えてたところですね 早大の
教員からですね 新しいメディア テレビと
いうものが始まると そこは非常にお勧め
であるという話を聞いてフジテレビに入っ
たという風に言われております フジテレビ
に入社してからですね ほどなくして労働
組合を結成することに奔走すると 労働争議
こちらですね 元々日枝氏はですね 大学時代
共産党としての活動なんかもしていたと
いうことで労働争議に関する経験があった
ということでですね 労働組合を結成し
そこで書記長に就任するというですね
ま入社してすぐにですね まあの非凡な動きを
見せるわけですよね非常に強い
リーダーシップと行動力があり その上で
ですね目立った行動をしていたので その
当時の経営人からも少し睨まれたり
少し左遷させられたりとか そういったお話
も残っています そして1963年その
2年後にですね 鹿内信隆氏がフジテレビの
社長に就任します はい この鹿内氏と
いうのが非常に重要なんですけれども この
鹿内氏というのはこの水野氏の
バックアップを受けて フジテレビの盟主
となるわけなんですけども この段階で
ですね まだあのフジテレビというのは
ですね 我々がイメージする流星を誇る
テレビ局ではまだなかったんですね 母と
子のフジテレビというね テーマの中で
NHK 日本テレビ TBS についで作られた
ということで後発のテレビ局だった
わけなんですねえ そして1976年
その70年代半ばにですね港浩一社長
現在のね現在の港浩一社長 港浩一氏が
フジテレビに入社します はい 港氏は最初
から政策 番組政策を施行してたんですけども
この当時のフジテレビというのは番組
政策を子会社に移管しているという体制だった
ためにですね 色々と部署を回った
挙げ句ですね子会社に出向するということ
になります この当時はまだですね日枝氏も
港氏もまだ手腕を発揮できなかった
これが70年代でございます しかしその全てが
変わったのが1980年フジテレビが
生まれ変わるんですね フジテレビの大改革
が行われてトップにですね その鹿内
信隆氏の息子鹿内ジュニアとも言われた
鹿内春雄氏が陣頭指揮を取って活動する
ことになります 主な改革が制作改革だっ
たんですね 制作局を子会社に移管してい
た ある意味そうですね 人任せになってたような
ところだったところをですね 子会社から
局内にもう一度 制作部署を戻そうという
ことで制作に力を入れていきます その時
制作のリーダーに任されたのが日枝久氏
日枝氏はですね 編成局長に就任します
これはですね かつてのそのトップ鹿内信隆
氏の子供鹿内ジュニアと言われた鹿内春雄氏が
実力主義を掲げてですね 今まで目立ちすぎ
て少し外されていた日枝氏をピックアップ
して彼に変えてもらおう ね非常に
エネルギーがありますから 彼に変えて
もらうということで編成局所に就任させ
ます この編成局というのはですね 基本的に
番組をどこでどう始めるかというですね ま
司令党のようなところですので ここに最も
ですね才能のある人をつける 出世
コースである ということでございます
日枝氏は42歳の若さでですね ここに
就任することになります はい そして時を
同じくして港浩一氏もですね 子会社から
ですね制作の局内に戻ってくるという
ことで ここでですね日枝編成局長そして港
制作テレビマンというですね こういう体制
が出来上がり1980年が幕を開けたわけ
でございます そしてその1980年こそが
フジテレビの躍進の時代だったという風に
言われております 1981年はい この日枝
港制作体制になってからのですね1年後
楽しくなければテレビじゃない という
最も有名なフジテレビのスローガンが
出来上がります 楽しくなければテレビじゃ
ない つまりですねこれはバラエティ中心に
やっていく ドラマであるとか報道であると
か そういうことでなくてバラエティを中心
にヒットを生んでいこう この体制でござい
ます その翌年からですねフジテレビは
如実に成績を伸ばして なんとこのたった
1年でですね フジテレビの視聴率の三冠王
を取るわけですね視聴率三冠王というのは
基本的は全日 プライム ゴールデンという
ですねま全日というのは朝から晩まで
プライムというのはゴールデン帯
プラス23時台みたいなですね まいい時間
帯 そしてゴールデン帯は7時から10時
みたいないい時間帯 ものすごくいい時間
帯 この3つの時間帯で切り取ってそれぞれ
で全部で平均の視聴率が局の並びで
トップであるというですね それを三冠王と
いうね ダントツ優勝状態ということですよね
これにフジテレビが踊り出ます はい80
年代のフジテレビというのはですね
まさにですね ひょうきん族であるとか いわゆる
今のビッグ3ですよね たけしさん さんま
さん タモリさんですよね 笑っていいとも や
ひょうきん族といったですね そういった大ヒット
バラエティを生んで無双状態に入って
いくわけです この無双状態は82年から
93年までの なんとですね およそ11年間も続く
わけですね フジテレビがテレビ局のですね
雄であるということを示した時代が まさに
80年代だったということですし それの
立役者がまさに日枝氏と港氏だということが
言えます 1985年三冠王を取ってですね
3年目ですね 2.3.4.5 4年目ですかね港氏
が手掛けた番組で有名なのが夕やけニャン
ニャンですよね おニャン子クラブ
とんねるず こういったノリですね この
おニャン子クラブ 女子大生ブームなんかのも
作ったのもフジテレビなわけですよね
そしてその翌年おニャン子ブームに湧く中で
さらにですねえ加速していったのが女子アナ
ブームでございます 元々はですね80
年代初頭にですね その
ひょうきん族に出演した女性
アナウンサーたちが人気が出てたんです
けども 86年に入社した とあるアイドル
性のすごく高いですね アナウンサーさん
が爆発的人気になり そこから女子アナと
いう言葉をですね多用することによって
ですね 女子アナというのは単なる社員で
はなくて アイドルなんだ という風な立ち位置に
なっていくわけでございますねえ フジテレビ
も本を出したり カレンダーを出したりと
いったら ここら辺から始まって
いったと いう風に言われております はい
この女子アナブームというのがね 非常に
強い これはですね そもそもはあの女性
アナウンサーというのは契約社員だった
というところから85年に正社員に変わっ
てくんですね これが男女雇用機会均等法
ですね それまではですね 女性
アナウンサーというのは2年契約で採用
されて最多でもですね2回更新つまり最長
6年25歳定年と言われて最長6年までの
専門職だったわけですね ところが男女
雇用機械均等法によってですねそれは
あまりにも使い捨てなんじゃないかという
ことで正社員になったんです この正社員と
して女性アナウンサーが採用されたと
ほぼ時を同じくして女性アナウンサーは
アイドル的人気を勝ち得て行く つまりですね
女性アナウンサーというのは正社員であり
ながら芸能人のようなアイドル扱いを
受けるというですね特殊な特殊な立ち位置に
立っていった それが1980年代半ばだっ
たということです そしてそれはまさにフジ
テレビ黄金期の象徴予兆といった形になる
と思います そして1988年さらに事態が
動きます それが日枝氏がですねフジテレビ
の社長に就任するということです はいこれ
どうもおかしいぞとね鹿内信隆氏の後の
ジュニア鹿内ジュニア鹿内春雄氏が社長に
なるんじゃないのか ということなんです
けども鹿内春雄氏がですね ここで病気により
急死してしまったんですね それによって
常務まで上り詰めていた日枝氏が実力を残し
てましたから 社長に繰り上がっていく
わけですね はいこの日枝氏の社長就任と時
を同じくして港氏が手掛けて始めた番組が
とんねるずのみなさんのおかげです でござい
ます これもフジテレビバラエティ史に残る
金字塔としてですね今でも燦然と輝く
わけですけれども このですね日枝氏 港氏
の影響力がますます高まっているというの
が80年代後半なんですが ですがですね
この鹿内春雄氏急死した鹿内ジュニアの父親で
あるですね鹿内信隆氏はまだ存命だったん
ですね その上で自分の子供に権力を移譲
しようと考えていた その考えが
うまくいかないと春雄氏が急逝してしまっ
たことによって移譲できない ということで
ですね信隆氏はですね 手を打ちます 何
をしたかというと春雄氏ではなく娘 息子では
なく娘の婿 娘婿ですね興銀 興業銀行に
勤めていた娘婿の宏明氏をですね 自ら
の養子にしてフジテレビのトップに据える
というえ荒技に出るわけですね 鹿内宏明
氏が日枝氏のですね社長の日枝社長の上の
会長職についてフジサンケイグループを率いる
というお話になってきます はいなのでです
ね まさに 楽しくなければテレビじゃ
ないで 躍進を遂げた結果を持っている
日枝氏と先のトップである所の信隆氏が
引っ張ってきた一族が継承するための人材
であるとこの宏明氏の戦いになってくる
わけですね このフジテレビというのはです
ね1個のですね企業であるけれども
大きなメディアグループを代表する企業な
わけです 元々がニッポン放送と文化放送の共同
出資で始まったんですけれども あれよあれ
よとテレビの時代になったわけですよね な
のでニッポン放送の子会社であるにも関わらず
ニッポン放送よりも大きく時代を牽引している
のがフジテレビ巨大化していってグループ
最強の企業になったのがフジテレビという
ことで ここを抑えなければいけないフジ
サンケイグループを奪われるわけにはいかない
ということで大騒動になっていくわけです
ねえ ですがその宏明氏 娘婿が来た翌年
にですね それを指揮していた初代のですね
鹿内家のですね信隆氏が急死するわけですね
1990年に鹿内信隆氏が死去する ここ
からですね90年代日枝氏の権力の完成
期が始まります はい1990年に信隆氏と
いう後ろ盾を失った宏明氏はですね 92
年日枝氏によって ついにクーデタを起こされ
て会長職追われフジテレビを追放されると
いうことになります そしてこれを持って
92年のクーデターをもって日枝久氏の
ですね完全な一強体制 日枝体制が完成し
たという風に言われておりますます 日枝
氏がですね取締り役に入った年から数える
人もいればですね 社長になった年から
数える人もいれば ということもあります
けれども日枝氏がずっと40年以上権力
を握ってる 40年以上権力を握ってるの
1番の要所がこの92年ですね 一族経営
をしようとした鹿内氏を追いやり
日枝氏が実力を持ってですね
名実ともにナンバーワンになったという
ことでございます そこからですね5年後
1997年にフジテレビがが東証一部上場
を果たすということでですね もう押しも
押されぬ大企業パブリックカンパニーに
まで押し上げて そこのワントップになり
この90年代の日枝体制はまさに栄花を
誇ります そしてさらにその勢いは止まり
ません2001年0年代に入りますえ0年
代は色々なことがありますけども80年代
の再来とも言えるほどにですね その輝き
を増していくということになります
2001年日枝氏はフジテレビの会長件
CEOに就任します つまりですね会長も
社長も自分がやるという状態になるわけ
ですよね そこにやってきたのが第2次と
も言えるですね 大きな女子アナブームなん
ですよね はいもちろん最近では女性
アナウンサーという言い方があ一般的で
あり適切かもしれないんですけども この
当時は女子アナ女子アナと言われておりました
女子アナブームなんとかパンですよね はい
元々はチノパンから始まりアヤパン
カトパンへと続いていくという なんとか
パンブームこれが めざましテレビの
ですね絶好調と共にですね訪れるわけ
ですね CDを出したりカレンダーがバカ
売れしたりという時代でございます はい
この何々パンにもですね実は港社長
今のですね港浩一氏が寄与し
ていたと言われるんですえ 港氏がですね
おニャン子を作った時にはですね
とんねるずさん そして秋元康さんだかと
ですね成功をヒットさせたんですけども
このなんとかパンブームの時はですね
女子アナウンサーがCDを出す時に
秋元康氏のプロデュースでデビューするとか
ですね そういった おニャン子の手法と
アナウンサーブームという掛け合わせて
さらなるヒットを生んでいった ということ
が言えるんじゃないでしょうか その女性
女子アナウンサーブームの隆盛と共に
ですねフジテレビは再び絶好調になるの
が2004年はいフジテレビ視聴率の三冠
王をもう1度取るんです そしてそれが
2010年まで続くということでフジ
テレビはですね80年代及び0年代
後半を完全に制圧していた そういった時代
でございます しかしですね そこに一本
の矢が刺さってくるわけですよね それが
2005年です はい堀江貴文さん通称ホリエモン
がですねインターネットの寵児として
ライブドアを引っさげてですね なんとニッポン
放送の株を買収しようとしていくんですね
先ほども申しましたけれどもフジテレビは
ニッポン放送と文化放送の共同出資で作ったと
いう会社で実はその時ねフジテレビのです
ね親子関係は逆転しているというか子供
の方が大きい親子だったんですね その親の
方を買収することができればコスパよく
フジテレビを支配できるのではないか
という風に考えた堀江氏がですね 買収する
という動きに出るんですが これを全力で
止めたのも日枝氏でございます 日枝氏
はこのライブドア買収騒動の阻止に
成功し このね脆弱性のあった企業
買収されやすい構造をを改造してですね
作り上げたのが2008年フジ・メディア
ホールディングスなんですね これによってフジ
テレビはニッポン放送の子会社ではなくフジ
メディアホールディングスという会社の
子会社100%子会社になりました これに
よってより買収されにくい構造を完成し
つまり0年代は日枝体制の防衛に成功し
たわけですね 日枝体制の防衛に成功し
さらに0年代の視聴率三冠王も取り 完全
にもう無敵の無双の状態であったと言える
と思います それの絶頂を極めたのが
2013年日枝氏は旭日大綬章という
ですね勲章を陛下から賜るというところ
まで至ります時は第2次安倍政権でした
この日枝氏のですねメディア王と言わ
れるですね所以はですね もちろんフジ
テレビにおいて絶対的な権力を持っている
というだけではなくですね 政界との
繋がりも非常に太いということで森喜朗元
首相とのですね盟友関係にあり 森喜朗首相
率いる清和会のプリンスであるところの安倍
晋三首相ともですね 懇意にしていたと
いうことが功を奏してか分かりません
けれどもえ政治的にも非常に強い力を持っ
ていたと言われ この2013年安倍政権
絶好長の中でですね日枝氏は旭日大綬章を
受賞するに至ったということでございます
そして港浩一氏もですねこの時 出世に出世
を重ねてフジテレビ常務取締役にまで
就任します この常務というのは ま社長の
下にある取締り役の中でも偉いポストに
なりますよね日枝さんは常務から社長に
なりました 港さんも この常務 港氏も
この常務からですね 次は社長になるんじゃ
ないかという次期社長のところまで
上り詰めていくということです しかも
その担当がですねバラエティ政策 編成
局バラエティ政策とアナウンス室の担当と
いうことになります まさにアナウンサーで
ヒットを当て バラエティでヒットを当てた
港氏の絶頂のポジションが常務取締役と
してバラエティ政策とアナウンス室を
担当しているということです あの
とんねるずさん からも女性アナウンサー
さんからも信望が厚いという状態で この
位置につきました これが2013年です
ですがここで私は2010年代をフジ
テレビの衰退機という風に表記しています
それがなぜなのかを説明していきたいと
思います この2013年港氏はですね
常務取締役に就任して ほどなくして
ですねトラブルに見舞われます それはフジ
テレビの番組 ほこ
やらせがあったんじゃないかと不適切演出
があったんじゃないかというのが一時期
大騒ぎになりました それによって港氏
もその責任を負って減俸処分になって
いるんですね さらに翌年港氏はですね
まさに週刊文書によってですね不倫旅行
をしているということが報道されました
その減俸と不倫旅行があったのが2013
年14年 港氏のキャリアにですね少し影が
落ちるということになります そして
2015年港氏はですね 共同テレビという
ですねフジ・メディアホールディングスの
子会社のフジテレビ
BSフジ 共同テレビ ポニー
キャニオンといった色々系列会社があるん
ですけども その子会社の1つ共同テレビの
社長に就任します 社長に就任すると言うと
ですね 出世のように感じるんですけども
これはですね一部記事ですね はい週刊
新潮の記事によるとですね これは社内では
関係者曰わくですね 出世コースから外れ
たのだ ということらしいんですね2015
年これ2013年14年のですね ま言っ
たら減俸と不倫というですね ことが
キャリアに傷をつけたのかどうか分かり
ませんけれども 社内での出世争いに
負けてですねえ共同テレビの社長に就任し
た というのが報じられております そして
2017年ですね フジテレビは5期連続
減収減益ということになります 何が起きた
のかそう2010年代半ばからスマート
フォンと5G及びYouTubeが普及し
始めます はいインターネットの広告が
テレビの広告を抜いたのが え総量で抜いた
のが2019年2010年代後半に一気に
インターネットはですねえ スマートフォン
5GYouTubeこういったものを揃え
て テレビを一気に広告の王から
引きずり下ろすということになります
それを受けてですね2010年代はフジテレビ
は苦境に立たされるということになります
港氏が出世コースを外れ共同テレビの社長に
着いたという その2年後日枝氏もピンチに
陥ります それがフジテレビの会長の退任で
ございます はい日枝氏はですね それまで
フジテレビの会長件CEO フジ・メディア
ホールディングスの会長件CEOそして
フジサンケイグループの代表という全ての要所
をですねえ抑えていたんですけれども 5期
連続減収減益 インターネットの煽りを受けて
さらにリーマンショックとか2008年も
色々あってですねフジテレビの時代が
終わりつつある ということの責任を受けて
ですね ここで日枝氏はフジテレビの会長兼
CEO及びフジ・メディアホールディングスの
会長兼CEを退任することになります 退任
して代表件のない取締役 つまり取締役
相談役というポジションにフジテレビと
フジ・メディアホールディングスで就くこと
になります ですがここで日枝氏は退いた
わけではないんですね それなぜかフジ
サンケイグループという全てをですね統べる
ですね1番上のグループの代表を降りてい
ないということなんですね むしろですね
フジサンケイグループの代表を維持しながら
このフジ・メディアホールディングスの会長
と社長及びフジテレビの会長と社長を自分
の息のかかった人間を配置することにに
よって院政を敷き始めたと言われてるん
ですね はい院政というのは元々は天皇
陛下がその位をですね やめて譲った後に
ですね上皇というものになるんですけども
その上皇がですね天皇の上に居続け
て指示を出し続けて政治を行うことを
院政と言います はい上皇の居る間をですねえ
天皇の居る間を御所と言い 上皇の居る間を院と
言ったんですね その院が政治をすることで
院政なんですね はい最初に始めたのは白川
上皇だと言われております 白川上皇は
幼い天皇で就けてですね その幼い天皇に
意見をさせずに基本的には幹部に院に
来させて院から政治を動かすということで
長らくその政権を維持したというのが白川
上皇の院政と言われてます この院政の
スタイルをですねフジサンケイグループの代表
という立場からフジ・メディアホールディングス
の会長社長及びフジテレビの会長社長を
任命するという権限でもって フジ
グループ全体をですねコントロールして
いくというやり方に変わっていった 5期
連続減収減益の責任を取っていたのでは
なくですね むしろ防衛的な院政を完成させ
たのがこの2017年だったと言われて
おります その衰退の10年代を経て 発覚
の20年代に入っていきます なんとですね
2022年はい2015年7年ほど
前にですね共同テレビの社長に就任し
出世コースを外れたと社内で噂されていた
港浩一氏がですね フジテレビの社長に就任
つまり返り咲くわけですね これ一体何が
起きたのかということなんですけも 一部
情報によりますとですねえ 週刊新潮が報じ
ているところによりますと実はですねこの
7年間の間 港社長 港氏はですね 社長
返り咲きを諦めていなかった とある活動をし
てた それが何かと言うと接待だということ
なんですね そこで出てくるのが何か 女性
アナウンサーを多数参加させる接待を
芸能関係者にしていたという風に報じ
られています それが通称みなと会と言われてい
たらしいんですね 芸能関係者を接待する
そこに女性アナウンサーを多数
引き連れる こういった会を行っていたことは
ありますか ということに関してですね接待
のつもりではなかったと あくまで同じ同僚
同じ社の仲間として宴席を囲むという認識
であったという風に会見で港氏は
答えてるわけなんですけれども 果たして
そうだったのかというのが問われてるわけ
ですよね 女性アナウンサーの方々にですね
あの突撃で色々と質問したり取材したり
してる会社なんかもありますけれども 昔は
そういうことはなかったとかですね そう
いう話はあの そう経験してないという
OGの方も多いと これどういうことなのか
というと おそらくなんですけども この
2010年代後半から港氏が盛んに行い
始めたのではないかという風にも言われ
てるわけですよね この10年代後半は
テレビの勢いが下がっていく さらに港
氏が出世コースから外れていく そこで
起死回生の逆転策として このアナウンス
室を担当していたこと えー○○パン
ブームを作ったことからアナウンサーから
のね信望も厚いという所をうまく使っ
てですねアナウンサーに会える
接待会食というのを多くセッティングし
ていく という事があったという風に週刊
新潮に書かれています
そしてその接待を受けた各芸能事務所
の経営者の偉い方々がですね日枝氏に
港氏をですね 社長に戻してはどうかと
いう風にアプローチがあり 日枝氏がそれを
受けてですね港氏を戻した という風
に報じられてるんですよ これは真実かどう
か分かりません ですがこれが本当である
のであればですね 港氏はですね
まさにその女性アナウンサーを接待に使っ
ていたのではないかと もちろん女性
アナウンサーがどういう気持ちだったの
か港氏がどういう気持ちだったのか
それぞれ言い分はあると思うんですけれども
港社長が社長に返り咲いたきっかけとなっ
た女性アナウンサーをを使った会食 ここで
繋がってくるわけです つまりこの2022
年の港社長の就任 これこそがですね後の
トラブルの原因のスタートだったのでは
ないかという風にも捉えることができる
わけですね そしてその港氏を任命したのが
日枝氏であると なぜならば日枝氏が
2017年に院政を敷いて以降ですね
あらゆる経営人の人事を
日枝氏が握っている つまり
任命責任は日枝氏1人にあるという風に
言われているわけですね 日枝氏が任命責任
を全て持っている権限と責任を持っている
からこそ港社長の就任に関しての責任が
そこにあるのではないかという風に言われ
ているし港社長こそがですね自らの復権
のために その女性アナウンサーの
セッティングというものを常態化させてた
のかではないかと言われておりますし
そして それはいやいや同僚が宴席を囲む
会社を盛り上げよう ねえ業績が悪化してる
フジテレビをもう1度盛り上げようという
動きだったという風に港社長は言ってい
ます けれども ここを判断する上で見逃せ
ない情報があります 港社長の社長就任祝
を兼ねた誕生日会に被害者女性のX子さん
も参加していたそうです そのX子さんに
週刊ポストが突撃取材をして そういった
会合が任意参加だったのかを聞いています
参加させられたX子さんは現に ほぼ強制的に
感じていると 断る事など出来なかった
と言う風に証言している そして
2022年この港社長と編成幹部A氏
がですね隆盛を
誇り始めたその翌年2023年の4月に
始まった番組が まつもtoなかい でございます
この番組が港社長復権と同時に肝入りで始まっ
た番組と言われておりまして この松本氏と
中居氏というビッグなキャスティングをすることが
できた制作人はですね出世するという風
に言われているほどにですね非常に大きな
番組だったわけですね この4月まつもtoなかい
スタートの2ヶ月後6月に中居氏と女性
X子さんとの間でトラブルがあったと
いう風になっております そしてその6月
にですね港氏もですね このトラブルを
把握したという風に言われてます これです
ね港氏はですね証言の中で8月には知った
なんていうことあるんですけれども関テレ
のですね社長からの証言でですね もう
事態があってすぐに報告があり すぐに港
社長に報告したという風に また関テレでの
方の会見もありましたので 6月には知って
いたという風に確定しました はいこの6月
にはですね港氏はですね 港社長ははいこの
中居氏とX子さんとのトラブルを知った
わけなんですけれども そこからですね急に
中居氏を降板させると女性側がですね
なるべくこのことを知られずに復帰したい
と当初言ってたので その女性側の
プライバシーが疑われるのではないか
損なわれるのではないか ということで慎重
に動かなければいけないということで急に
は中居氏の番組の中止や降板を進めること
ができなかったと そういう風に言われてる
んですね ですがここがものすごく争点になっ
てくるわけですね 港氏は女性を守るためと
言っているけれども限られた人間だけで情報を
共有する というところまでは分かるんです
けれどもコンプライアンス室にもこれ共有
してなかったことが明らかになるんですね
社内向けの説明会の中で この
コンプライアンス室のですね社員からです
ね激しくそこをですね指摘されており
ます なぜ情報共有しなかったのかという風
に言われている コンプライアンス室にも
共有しない はい及びですね他の役にも共有
せずですね ごくごく内輪の人間数人だけで この
情報をずっとですね閉じた状態にしていた
はい さらにはですね それが慎重に動くため
であるという所も疑わしいと言われ
ているのが その後の動きなんですね はい6
月に知って変えるチャンスというのはです
ね6月に知って7月に終わらせたら それは
目立つんです でも目立たない時期があるん
です それが10月と4月
です 私も20年近くタレント業やっており
ましてテレビにもお世話になっておりまし
たので もうこれは常識なんですけども
テレビの番組の改編というのは4月と10
月春改編と秋改編と言われてます でこの
タイミングで番組が始まったり終わったり
することというのはですね決して珍しい
ことではなく普通のことなんですね
しかもそれが数字をものすごく取っている
わけではないのであれば それはですね変え
ても全然目立つことではないんです ですが
今回のこの まつもtoなかい に関してはビッグな
キャスティングである鳴物入りで始まって
いるがゆえにですね4月に始まり10月に
終わる半年で終わるというのは確かに早
すぎるという きらいがあるのかもしれません
この10月の継続に関しては まだ理解が
できるんですね ただその上でこの2ヶ月後
12月に松本氏の方の松本人志氏の方の性加害
報道がで出て さらに事態が混乱を極め
ます はい実はですねこの12月の性加害
報道が出ているわけですから その次の改変
ではですね十分に終わってしるべきです
ね要素は揃ってるわけですよねビッグな
キャスティングであるけれども その2人
のうちの1人が大きなトラブルに見舞われ
ている休業しようとしている のであれば次
の4月に終わっていてしるべきなんです
ですが2024年2月にですね この番組は
まつもtoなかい という名前から だれかtoなかい という
名前をリニューアルして続いているんです
そして2024年4月ここです 最も
終わるべきタイミングだった この4月です
ここでなぜかまつもtoなかい の後継 だれかtoなかい は
継続してるわけです 2月の段階で
リニューアルし次の改編
を待って終わらせる 終わらせる理由は
はっきりしてますよね それ松本人志氏の性加害
報道が出て休業しているという大きな
トラブルに見舞われたから 今明らかになっ
ていない中居氏の問題も含めて これは番組を
終わらせるという判断 これが基本的には今
考えると合理的ですよね ですがここで継続
しています4月段階で 何かが調整がつか
なかったのか しかしその次の10月の秋改編
でも だれかtoなかい は継続しました そして
いよいよその2ヶ月後の12月 去年ですね
中居氏のトラブルが報道され 今に至るという
ことです つまりですね 女性のプライバシー
を守るために悪目立ちさせないようにした
というお話がですね この2024年の4月
10月改編の継続の説明と辻褄が合わない
わけですよね そしてさらにですね文春が
X子さんに対してインタビューをすると
ですねX子さんは決して港社長からです
ね そこに対してケアがあったわけではない
ということで怒りを露にしてるわけなんです
よ えー港社長とですね そのフジテレビ
の仕事を離れるということで最後に会った
時にですね 心配であるとか謝罪であるとか
か そういったことは無くですね 自分の話
しかもですね 海外にちょっとこう仕事で
行った時の話雑談ですよね をされて笑顔で
雑談をされて それで終わったと 私のことを
どう思ってるのか分からないと 決して自分
のことを守るために情報をクローズドにし
てたわけではない というようなことをです
ね このX子さん主張してるわけです はい
ここが非常に第三者委員会でと問われるべき
ことになってくるのではないか という風に
言われております はいそして2025
年1月この会見に至るわけですね はいさ
ここまで整理して皆さんの中で一体何が
問われてるのか ということなんですけども
いかに日枝氏がですね権力を集中させて
行ったか そして人事を完全に意のままに
したのか はい2017年に院政を敷いて
ですね人事権を全て牛耳っていた上で
その日枝氏にですね しっかりアプローチ
することができれば社長に返り咲ける
ということで みなと会を頻繁に開き それに
よって芸能関係者と懇意になり 社長に返り咲き
そしてそのA氏はまさに港氏の手法でもっ
てタレント大物タレントに気に入られて
いったんですよね その大物タレントに気に
入られた そのやり方こそはまさに港氏から
受け継いだ女性を接待要員として連れて
いく 先輩後輩の関係で断れない
女性を接待要員として連れていく ま取材
インタビューによりますとですね この中居氏
とX子さんはですね このA氏によって
トラブルの日の前に すでに3回も食事会を
セッティングされていると そしてA氏と中居氏
とX子さんの3人になった時に中居氏とX子
さんが付き合えばいいのに という形で
仕切りにこの2人をくっつけようとしていた と
いう証言が出てるわけですよね それが事実
であるのであればですね 中居氏はですね この
Aさんによって接待を受けていたような形
になり さらにこのX子さんは その流れで
断れずにフジテレビを盛り上げなきゃ この
Aさんの顔を汚さないようにしなきゃと
いうことで最後
のトラブルの日 中居氏宅を訪問する
その時の誘い文句も みんなで飲まないかという
ことだったという風に言われてるんですね
それはA氏との会合の延長だと思って言っ
たとすると そういう意図に沿わない 意に
沿わない性的行為を受けてしまい そこから
PTSDになりという風なことが言われ
てるわけですね 一体これはどこにどう
ガバナンスの不全があったのか まず1つに
は日枝氏による港氏の任命 2022年です
よね この2022年に港氏を社長に就任さ
せたことは正しかったのか ということです
よね この任命責任が日枝氏にはあると
そして港氏はですね その社長就任に至る
まで及び社長就任してからのですね 体制
ですよね 社長になったのは接待を
たくさんしたからだ ねえ芸能関係者には
どんどんと接待をしよう 女性アナウンサー
を呼べば来てくれる そしてみんな同じ
気持ちでフジテレビを盛り上げるために
頑張ってくれている ということが是とされ
た はい接待文化を作ったという責任が港氏に
はあるわけですよね そして最後のA氏中居氏
に対して その被害女性をどんどんと
セッティングしプライベートな付き合いを
するように促していった この3段階の責任
がガバナンス不全の正体だと言えるので
はないでしょうか 一体誰に責任があるのか
それは個人なのかもしれませんし全体なの
かもしれません ですがこのガバナンス不全
を根本から変えない限り 企業はCMを
再度修復することはないだろう という風に
言われております 一体フジテレビはこれ
からどうなるのか えポイントとなるのは3
月と6月です まず3月普段の第3者委員会
による報告がありますこれは当初はですね
第3者を含む委員会ということで日弁連の
ガイドラインに沿わないものを作ろうとし
たのが1月17日の発表だったんですが
それも大きな批判を受け
て日弁連のガイドラインに沿った第3者
委員会が作られることになりましたつまり
これはですねフジテレビの内部からのです
ね 操作であるとか内部への忖度で
あるとか そういうのが効かないものになり
ますので 徹底的に調べられて調査報告が
出るということになります えこれを受けて
一体どういった判断をしていくのか
ガバナンス改善が行われるのか どうなのか
ここがポイントです そしてその後に6月
株主総会が行われます そこで株主から一体
どういった意見を受けて どういう風に改善
するのか ここが大きく注目されていると
いう話でございます フジテレビ燦然と
輝いたメディアの王 それが
今その振る舞いを問われている
私の意見主張というものを
なるべく廃したつもりなんですけれども
もし何か間違った体制間違った発言があれ
ば是非ご指摘いただければと思います
なるべく真実に近いえものをですね発信
しよう公益になればというものでお話を
させていただきました 是非また何か
新しい続報がありましたらですね 私の方でも
動画を作りたい と思いますので
本日の授業は以上でございます ではまた