これはレコード会社vs
芸能事務所のもうほんと関ヶ原だったん
ですね
そしてですねそれを可能にしたのが信仰の
レコード会社6社目が東芝レコードが出て
きた時にですねその6社目とやるって言っ
たんです
要するに
レコード会社も全員が
首を縦に振らなければもうレコードをです
ね音楽のレコードショップに負けません
からどうするってなったんですけど
信仰のレコード会社とテオ組んで現番犬
こっちで持つんですけど
番組でやりますから必ずヒットします人気
番組で音楽を作って流す
必ず売れるから
投資破産
現場権うちでもあなたのところにも
メリットありますよと言ってですね
東芝を口説き落として
芸能事務所が現場案件をホールドした初の
案件がクレイジーキャッツその
植木等さんのスーダラ節だったんです
スイスラスイスイスイみたいななんか夏
懐かしの映像とかで聞いたことあるみたい
な
なんかそうお調子者のサラリーマンが
みたいなあれ何だったのっていうとこの
時代だったんですよそしてそれこそが渡辺
プロなんですね
渡辺プロはレコード会社を向こうに回して
ですね
テレビ局と結託してね音楽の現番権を
芸能事務所がモテるという風にしたという
イノベーションを起こしたんですすごい
ですねもう
追いつけなさそう
他の事務所
だから
海外に明るかったんですよ要するに英語が
できたからこそですねオリエンタル芸能者
があったし
海外の流行ねプレスリーとかそういうのを
しっかりですね見た上でアメリカの
トレンドは何なの現場権何それうちでも
やらないって言ってですねアメリカの流行
をですねどんどんどんどん先取りして日本
で未来を開拓していったそれが渡辺プロ
だったわけなんですよねそのシャボン玉
ホリデイのスーダラ節と
同じタイミングでですねNHKで夢で会い
ましょうという伝説的な番組も始める
みたいですねこれなんかあの黒柳徹子さん
とかもね出てらっしゃったということで
もう
鉄子さん
イキジキ
不死身のこのそのずっと生き字引きこの
徹子さんもういつまでも美しいテスコさん
ですけれどもね
この時から出てらっしゃるわけですよねぇ
その夢で会いましょうでヒットしたのが
坂本九さんの
上を向いて歩こうこれがすごかったわけ
ですねこの
番組内でオリジナルソングを出すっていう
のがこのシャボン玉ホリデーとか夢で会い
ましょうでまぁ当時流行ってたことだった
んですねつまり海外の翻訳っていうのが
もう権利上ダメだよねという風な権利意識
が芽生えたことによって
オリジナルソングをテレビで出さなきゃっ
てなった流れで
現番犬をホールドしてそしてっていうそう
いうことなんですそしてこのクレイジー
キャッツとですね
坂本九さんっていうのは
基本的にその
テレビで生んだスターというので
初めてのことだったみたいですねつまり
もうすでにライブとかで人気の人に集まっ
てもらってテレビに出てもらうっていう
世界だった最初はところが
テレビからスターになってったっていう人
たちが生まれてったのがこの辺りから
らしいんですね
1961年はい
1963年にはですねまあその
東京オリンピックとか
始まりましてですねカラー
テレビが
普及するって言われますけどもこの50年
代末にはですね
皇太子
皇太子のご結婚があるということでそのご
結婚パレードで
白黒テレビが普及しだしたんですねつまり
この50年代末に白黒テレビが普及した
ことによって
テレビからのスターが生まれたぞの初めて
がこの61年なんですよ
そしてカラーテレビに時代が映っていき
東京オリンピックでそのカラーテレビが
普及していくという話になるわけですけど
もその白黒テレビの黎明期に
全てを牛耳り音楽とミュージシャンと現
番犬をホールドしたのがこの渡辺プロだっ
たということなんですねそしてそれはもう
親中軍の頃にさかのぼるルーツだったと
ジャズからそれを経てロカビリー
ロカビリージャズ喫茶からテレビ
テレビから
現番犬そして
スーダラ節へということがあったわけです
しかしお話はこれで終わりません
話はねその
次の時代に向かってるわけですよね音楽は
流行れば必ずスタイル時代は移り変わって
いくつまり
ロカビリーブームが
去っていくんです
ロカビリーも舌びになっていた
次の音楽を
生んだのはあの伝説のバンドでございます
エルヴィスプレスリーの時代に
終わりを
告げさせたのはあの世界的伝説のロック
バンドそう
ビートルズがやってくる
ビートルズが時代を
圧倒的に変えてしまったそしてその時代に
流星を誇り出すのがそう
先ほど私服の時を迎えていた
堀武雄市
ホリプロダクションの流星でございます
さあやってまいりましたこの
ロカビリーブームが
ガーッと下がっていった時その次に
ビートルズが現れるその
隙間を塗って生まれた
後の巨大事務所の
目があるんですけどそれはどこなのかそれ
がなんと
ジャニーズなんですよここでと
ジャニーズここなの実はですね
ジャニーズジャニーズ事務所のジャニー
北川さんとあれもうなかなかの面白い経歴
なんですよね
実はお父さんがお坊さんなんですけども
LAのお寺のお坊さんですLAのリトル
東京のお寺のお坊さんなんですよ
でLAでですね育ったわけなんですけども
そのLAでですねその大きなお寺を持って
たのでお父さんがですねそのお寺で
ステージを作ってたんですねでそこに
かつてですねその
ジャズの頃日本でジャズが流行ってた頃に
3人娘って言ってですね
洋楽のジャズま洋楽風のものだったら何で
もいいみたいな感じでジャズが流行った頃
にですねちょっと火曜玉とそういう洋風の
ものを混ぜたようなですね歌が歌でですね
すごいうまいよ3人娘と言われたのが未空
ひばりさんなんですよその美空ひばりさん
とかですね
LA工業をやるんですねそのGHQがです
ねのちょっとでも外貨を稼いできていい
みたいな雰囲気を出してですねその日本の
アーティストがLAでも興行していいって
なった時に
LAで興行しに来た人を
ステージに出すアテンドをしたのが実は
ジャニーさんなんですよ
まあこれは自分がというよりはお手伝いし
ただけですよあのどっかあの歌えるところ
がないですかってなって日本人のいる
リトル東京でお寺で歌おうってなって
たまたまみそら縛りさんとかが来たらしい
んですねでその時にですねじゃあさんは
ですねそのショーを見るわけですよねで
かつですねその頃から既に西角があった
らしくてですねそこに
来たあのアーティストの人たちにですね
少しでもプラスの収益をということで
神現地のカメラマンを雇ってですねその人
たちのブロマイドを取ってですねその
ブロマイドを売るんですって
ジャニーさんがで売った売り上げを全部
アーティストに渡してあげるというですね
ジャニーズショップみたいなことですね
勝手にやっていたと
それで非常に喜ばれたっていうですね才覚
を発揮するんですけれどもそれがですね
日本に戻ってくるわけですよね
ジャニさんはねで日本でですねジャニー
さんですね
ええまあ行く前にその1個前にですねちょ
アメリカ国籍だったもんで朝鮮戦争の時で
1年半あの平気ついてますはい1年代兵役
ついてそれでですねそれであの瀬尾先生が
終わって日本に帰国してですねその日本で
ですねアメリカ大使館職員として最初働い
たんですね
あまりご存知ないですよね
でアメリカ大使館職員として働いてる時に
そのねアメリカ自粛したのですね
広大な
庭があるんですよ
運動場みたいな庭が
そこに
少年たちを集めて
少年野球を教え始めたのがジャニーズの
始まりなんです
最初はですねのその
みんなヘターズとかいう名前だったらしい
んですよ
みんな下手だからみんなヘターズで行こう
とか言ってたんだけどいや
ジャニーズにしようってなったらしいん
ですでその
ジャニーズの
子たちをですね集めて野球をずっと教えて
たんですけどもまぁその中でですねその
ある日雨が
降ってですね火傷練習できないっていう時
にその中でもですねひときわ
花のある4人を集めてですね
映画を見に行くんですねでその映画が
ウエストサイドストーリーというお話なん
ですこれアメリカのブローブロードウェイ
でやってたミュージカルを映画化したもの
でこれを見てですね
ジャニーさんはですねその美少年たちと
ですねこれを言うタッチでやろうという
わけですね
だからこの
プレスリーに影響されたロカビリーブーム
と
後にですね
ビートルズに影響されたグループサウンズ
ブームってのがあるんですけどもその
合間でですね
全然違う
ミュージカルのブームっていうのがあって
それがウエストサイドストーリーが持って
きたものなんですけどそのミュージカル
ブームに
憧れを持って
その歌って踊る
男性アイドルを組織し始めるのがジャニー
さんなんですよでそれがですね1962年
にジャニーズ事務所を設立したわけなん
ですけども実はこのジャニーさんも渡辺
プロとですね非常に関わりがあるんです
はい
ジャニーさんのお姉さんね
メリーさんはいでこのメインさんがですね
あの
バーをやってたんですねでそのバーに芸能
関係者とか来る中で
渡辺美佐さん渡辺夫妻とですねそのメリー
さんが信仰を持っていてでこの
ジャニーさんが
芸能をやりたいぞとなった時にこの渡辺家
の方に
頼るわけですよねなので最初はですねこの
ジャニーズ事務所という立ち上げた時も
渡辺プロの系列の会社だったわけですよ
まさかのと
知らなかったね要するにホリプロの
ホリプロモジャニーズも渡辺プロなんです
よもともとのルーツはまあガッツリでは
ないですよその2社はねだけどこの渡辺
プロでお世話になってルニシャなわけです
よ
知らなかったねーでこのジャニーさんが
ですねジャニーズ事務所設立してですね
テレビ局に売り込んで最初に出たのがその
ジャニーズというね4人組この野球少年
野球でですねかっこよかった4人組を集め
てジャニーズと名付けてですねその
先ほど言ったNHKの夢で会いましょう
はいこちらの歌手のバックダンサーとして
出してもらえませんかということで最初
バックダンサーとしてやったわけですよね
それがですねだんだんとあの子たちいい
じゃないということでレギュラーになって
はいそして他の番組にもね出るようになっ
てですねその他の番組でですねあの爆撃さ
れた
ホイホイミュージックスクールというです
ねあのオーディション番組があってそれに
ですね若干15歳で抜擢された女の子が
木の実ナナさんでその気の皆さんを中心に
いろんなオーディションでですね出てくる
人たちのバックで演奏するという
伴奏で出てきたのがドリフターズだったん
ですよ
でそこのバックダンサーにいたのが
ジャニーズだったんです
ドリフターズ木の実ナナさんそして
ジャニーズの交差点がこの辺りなんですね
ですがそれはロカビリーの終焉とグループ
サウンズの流星のちょうど間だったんです
ね
実は
ジャニーズ事務所が我々のイメージする
圧倒的な芸能帝国になるのは
80年代からです
80年代90年代になるまではまだまだ
鍋プロと
ホリプロの時代なんですね
そう今言ったホリプロの時代それは
グループサウンズと共にやってくるんです
ねそう
ビートルズそうそのビートルズがですね
1964年に全米で1位を取るんですね
まあその2年ぐらい前からイギリスでは1
を取ったんですよもう一躍スタイルになっ
てたんですけどもアメリカでも1位を取る
ようになっていよいよ日本にもね
名が轟きだし出したのが1964年なん
ですそう
ロカビリーとはちょっと雰囲気が違うん
ですよねそうそれをですね
取り入れようっていう風になったのが
スパイダースなわけですこのスパイダーっ
ていうのは先ほどの
堀さんが立ち上げた
ホリプロの所属なんですよ
なんと先ほどね
渡辺プロトも喧嘩して
銀座アシベの社長とも喧嘩して東洋企画を
追い出された堀さんがたった数人で
立ち上げたそれがホリプロでしたって言い
ましたよねその中の数人の1人それが
田辺昭二さんそう
堀さんが元々ですねやってたバンドで
坊やお手伝いをやってたっていう
田辺昭一さんはまだ堀さんについてきてた
んですね
その堀さんがお前ドラム叩けよって言う
からドラム叩きお前坊ややりなよって言っ
てから坊ややって
元々はね旅館渋谷で旅館をね営んでた
家庭の息子だったんですけれどもなんか
やれること泣いてやってバンドのお手伝い
やってお前ぼややりなお前バンドでバンド
も楽器やってみな叩いてみんなドラムやっ
てみななってですね
堀さんにずっとついていった田辺さんが
ですねもう
誰も味方がいないっていう時もですね味方
になってたわけですよねでホリプロの所属
でお前もなんかやれということでですね
田辺さんがいろんな
メンツを集めてスパイダーを決定する結成
するんですけどもそのですね2年間ぐらい
ですね中津飛ばすだったんですね
そんな中でメンバー一新しようということ
でもっとねすごいメンバーが必要だって
言って
加入した加入してガラッと買ったのが
酒井正章さんですよマチャアキさんなん
ですよ
元々堺正章さんのお父さんはもう俳優で
結構
有名人なんですよね
有名人の2世なんですよエリートなんです
よ待ちあきさんはでこの彼が欲しいという
ことで
街歩きさんをぐっと引っ張ってきてその他
にもムッシュ構えてさんとか井上純さんと
かガガーッとメンバーが揃ってよし俺たち
がこのスパイダー申請スパイダーズとして
これから行こうぜってなった時にですね
どうもロカビリーじゃねえな
知ってるか
ビートルズなってですね
超かっこいいじゃん
ビートルズだよ
俺たちこれやろうぜって言って
ビートルズのコピーバンドを始めるんです
よ
1964年まだそれはビートルズが全米
ナンバーワンを取ってるけどアメリカの
情報まで詳しい人
ばかりじゃないですから日本では知られて
ないだからそのギャップを狙って
ビートルズのコピーバンドをやることに
よって人気を博していくんです何かで
新しいということですねまあかっこいいん
ですそしてその2年後1966年ついに
ですねビートルズが来日するんですね
本物が来ちゃうっていう
そこでですね
前座は誰がやるって言ってその頃ですね
日本は豊かになってます60年代なので
外国から本物のアーティストでどんどんに
ライブ呼べるようになってったんですよで
外国から来たらですね
ほとんど
スパイダースが前座をやること多かったん
ですそしてビートルズが来て
ビートルズ風で人気だからということで
スパイダースが前座をやるんじゃないかと
いうことでオファーも来たらしいんですよ
ところがですね
さすがに
本家の前でやるのは違うだろうって断った
らしいんですね
代わりに前座を務めた有名バンドが
ドリフターズなんですよ
ビートルズの前座ドリフターズがやってる
んですね
武道館3日間の講演ドリフターズが前座を
やるというねぇビートルズ来日なんてもう
日本の芸能士でねもう何度も語り継がれる
ほどのターニングポイントなんですけども
このビートルズがすごかったのは日本に
グループサウンズブームを巻き起こしです
ね
芸能事務所のもう一個の流星を作ったから
なんですね
この
グループサウンズブームというのは何なの
かというと
要するにビートルズが持ち込んだ音楽が
ですね
バーン来日によってですね明らかになる
わけですよこれが
新しい音楽だ
ビートルズのロックなんだってバーンて
わかるわけですねもうその
プレスリーの頃のロカビリーと違うぜって
言ってうわーなるわけですはいそしてそれ
をずっとやっていたスパイダースはもう
まさにですねその新しい音楽のリーダーと
して大人気なこのスパイダースと
ブルーコメッツっていうですね
グループがですねまあ2拠点みたいな感じ
でツートップみたいな感じで人気になる
わけですねその時を待っていたのが
ホリプロなんですよねですよホリプロの
所属だったスパイスね
俺のことをねついてきた田辺がもう
いよいよ当てたぞとなるわけですそして
このグループサウンズは当たります当たり
ますってなってたんでこの堀社長はですね
グループサウンズになれそうなですね人
たちをたくさん操作なんですねつまり
あの頃の鍋プロのやってきたことをやろう
というわけですよ
ロカビリーを全部押さえてて
要するに組織にして
全ロカビリーを
団体として握っていた渡辺夫妻とですね
ロカビリーバンドの一員だった自分では
ですね
力が違ったんですねそれを見てたわけです
よ
ロカビリーの頃に
渡辺プロのように
やっていれば1個の時代を作れたのにと
いう堀さんはですね
グループサウンズブーム逃すマジという
ことで
グループダンスがですね
バーンってヒットする前に
グループサウンズたちをいっぱいスカウト
して束ねといて
スパイダンスがヒットしたら全員同時に
デビューさせようとなってたんです
すごいですねこのグループサウンズって
独特の言い方ですけどもこれは雑誌明星が
言い出したらしいですねこのロカビリー
バンドとは違う新しい
ビートルズの流れを組むですね
新しいスタイルのバンドこの人たちを
グループサウンスと呼びましょうみたいな
感じであの雑誌明星が名付けたっていうの
が面白いですよねこのグループサウンズが
ですねうわーっと出ていくことによって
ホリプロはこのグループサウンズのシェア
を獲得することによってこの鍋プロの対抗
馬に踊り出るわけですよ
いやーなるほどそういうことだったんです
ねということなんですねそしてですねはい
この辺りで出てくるのがですねあの沢田
研二さんも出てきます
ジュリーですね
スパイダースに対抗するためにタイガース
というですねもう我々の知ってタイガース
あのね阪神だけじゃないと
theタイガースということで
グループサウンズでね
ジュリーが出てくるわけですよねあの沢田
研二もとジュリージュリーというのはなん
でですかというね
夕方この
タイガースでの名前だったんですね
他にもサリーとかですね
素人とかもいるわけですねサリーって誰な
んだよと
ジュリーは触るだけですねサリーこれは
ですね岸辺一徳さんなんですね
岸辺一徳さんであろうたけし映画とか出
てるあの
俳優さんの岸辺いつかサリーだったんです
よサニー
白は誰だって岸部四郎さんです
岸部四郎さんと一徳さんと沢田研二さんで
タイガースだったんですよ
すごいですねでこのタイガースをまあその
鍋プロに取られたわけですよねこの
タイガースのジュリーはですね
元々ねスパイダースのファンだったらしい
んですよ
僕たちもデビューしたいですみたいなね
感じですねその女の子たちがキャーキャー
言ってるですねところの最前列ですね
男の子たちが見てですねあいつら何だよね
あいつらもやりたいのかよって言ってたの
が沢田研二さんでこのですね
田辺昭一さんもですね
堀さんもですねあの沢田研二かっこいい
なって言ってですねあのタイガースね
彼らもですねこっちのものにしようと思っ
たんですけどね一橋最後に投げプロに取ら
れてつまりですねこの
スパイダース
ブルーコメッツタイガースという御三家
グループサウンズ御三家と言われてるうち
の1つはまあスパイダーそうホリプロです
ねそしてもう一つがですねこのね
タイガース鍋プロなんですよそしてもう一
つのブルーコメッツこれはこれでですね後
にですね時代を変えるんですけどそれは
ですねこのブルーコメッツのマネージャー
として敏腕言われてたのが
河村辰夫さんという人なんですよ
はいこの
川村辰男さんは後にですね
田邊昭知さんと共にですね
田辺エージェンシーをする来ることになり
そしてそこから独立して現在のKダッシュ
を作ることになります
経営ダッシュといえば現在
オードリーさんとかもいるんですねあのK
ダッシュですね
経ダッシュグループの始祖となるのが
河村辰夫さんでその河村達夫さんと田辺
翔一さんで作ったのが田辺エージェンシー
でその田辺エージェンシーンを田辺さんが
元々いたのがスパイダースでその
スパイダースがいたのがホリプロなんです
ねそのスパイダースのライバルの
マネージャーをしてたのが川村達夫さんの
つまりこのホリプロ田辺
エージェンシーダッシュというのはですね
兄貴分弟分の関係なんですよ
そしてそれは全員ですねこのグループ
サウンズブームの立役者なんですよ
そして元を正せばそのグループサウンズの
中にも渡辺プロもいるわけですから
ずっとこの辺りでやってるわけです
すごいですねところがはい始まれば終わり
がやってくるということで
グループサウンズブームがいよいよ終わり
ますなぜそう
ビートルズが解散するんですはー
ビートルズは意外と短かったんでね
意外と短かったんだから1964年に全米
ナンバーワンを取ったかと思えば1970
年にはもう
解散するわけですから10年ないんですね
61年ぐらいに結成して
62年ぐらいデビューしてでそこから
イギリスで2年ぐらいやった後全米
ナンバーワンに64年でなってとでそっ
からですからねもう6年ですからねあもう
10年行かずにですねビートルズの伝説な
のね1個終わるわけですよねそしてですね
はい
グループサウンズブームが終わりはいここ
からがまた面白いんですよねーさあ
鍋プロ
ホリプロ旦那と出てきましたけれどもです
ねそれでもまだまだテレビを牛耳ってたの
はなぜプロだったんですよねつまり
ホリプルはグループサウンズブームで
いよいよ当確を表してきたっていうことで
しかなくてですね
鍋プロがですねもうテレビを完全になんで
何個か番組持って当ててますからね
牛耳っちゃってるんですよそれが変わって
きた一体何が変わったか
スター誕生が始まったんです
来ましたスタタン
スタンですよねアイドルからコメディアン
からいろんな
スターを誕生させるという番組日テレの
スター誕生という番組スタンなんですけど
もこのスター誕生からねあの山口百恵さん
とか
桜田淳子さんなんていうですね
スーパーアイドルも生まれてくるわけなん
ですけどもこのスター誕生に対してですね
渡辺プロはですね非常に危機感を募らせた
わけですなぜか
テレビ局の力が強くなりすぎるこう思った
んですね
テレビ局がスターを自分たちで見つけて
自分たちで育成してしまったらですね
芸能プロの仕事がなくなってしまうんです
よ
芸能プロはスターを見つけてスターを育て
て
テレビ局に届ける
テレビ局は放送する箱でしょ
スターを見つけて管理するのは芸能事務所
でしょ
どっちがスターを見つけて
スターを牛耳る
スター誕生
あまり面白くないねってなったのが渡辺
プロなんですよ
なのでスター誕生のうわーという人気と共
にですね
対抗する番組を作らなきゃっていうことで
渡辺プロ肝いりで
テレ朝とタッグで作った番組がスターオン
ステージっていう番組なんです
このスターオンステージという番組はです
ねその実は裏日テレでですね裏番組として
もう一個ですね歌番組に
ぶつかってたんですよでこの日テレの歌
番組はですねその
鍋プロの人たちもいっぱい出るわけです
からちょっと待ってくださいなアベブロ
さん
裏の月曜のこの時間帯にゴールデンにね
鍋プロさんが番組始めたらこっちの番組に
どうなるんですか鍋プロさんの
ミュージシャンも出してくれないんですか
とかなるわけですよ
その時ナレフライ言うんですねそれやっ
たらね日テレさんがその
元々やってた歌番組の枠ずらしてくれませ
んか
言うわけですよね
ずらしてくれませんかっていうわけですね
それに対してこの日テレのですね日テレ側
が怒りですね
鍋プロとの対決が始まるんですそう日テレ
vsこの
鍋プロがすごいのは
レコード会社との戦いにですね一応勝っ
てるわけですから
現番犬ホールド事件でですね
レコード会社と
芸能プロどっちが音楽はどっちのものなん
だの戦いに1回勝ってるんですこの
スターを握るそのスター発掘はテレビの
ものなのか芸能プロの物の中の戦いで
日テレとvs渡辺プロになった時にどう
なったかね日テレのですねその偉い人は
呼ぶわけですね
呼んだのが堀さんであり田辺さんであり
後にサンミュージックの相沢さんでありと
いう
要するにですねその
vs鍋プロ連合の事務所を集めて
蔦単を盛り上げてくださいと
いうことになるわけです
皆さんのところに事務所に
所属にしますからっていうわけですよ
このだからですね日テレが全部ホールドし
ないでこの日テレで見つけても皆さんに
ちゃんと利益分けますからってやったん
ですよ
ホリプロさんとかねそういう田辺さんとか
渡しますからスターを
なのでこっち盛り上げてくださいこっちの
味方してください
連合軍vs
鍋プロ帝国の名手さあどうなったか
もちろん皆さんわかってますよね
スター誕生という番組は我々世代じゃなく
ても知ってるわけですけども
スターオンステージのことは知らないなぜ
か
半年で終わったからなんです
そうこのスター発掘番組のプロデュースで
鍋プロはですねこの日テレとの戦いに一度
敗れることによって
鍋プロ1強時代が終焉するんですそして
そこでスターを見つけたホリプロですとか
他の事務所とかも流星していくそんな中で
力パワーバランスが一挙で無くなった鍋
プロは何を迎えたか
優秀な社員が独立していったんですね
ナベプロにはですね非常に優秀な
マネージャーが何人もいたんですけどその
優秀なマネージャーがですね
次々と独立していった1977年
その独立した社員が作った
事務所がアミューズでございます
えーあの有名なサザン
福山星野源はいアミューズでございます
そうこのアミューズはですねまあそのあの
違う人をですねデビューさせようと思って
独立したんですけどですねその人がうまく
いかなかったんですよねでうわー独立した
のどうしようって時に見つけたのがサザン
オールスターズだったんですねはいサザン
オールスターズでこのアミューズはでかく
なっていきますそして1978年
プロダクション小木
1979年伊沢オフィスそして1980年
アンクルFこの
プロダクションを聞いてるねま現在あの
AKBのね女の子たちもたくさんえー抱え
てる事務所ですよねで伊沢オフィスという
のは
ドリフターズですね
ドリフターズの事務所として有名ですで
そしてアンクルFは現在ジャパン
ミュージックエンターテイメントというん
ですけどもこれあのラッツ&スターですね
鈴木雅之さんとかその
ラッツ&スターですねあの
田代まささん
クワマンとかね
色々ラッツ&スターを用意したですね事務
所なわけですよねそういったですねこの
アミューズプロダクションを
通称荻プロ伊沢オフィスそしてジャパン
ミュージックエンターテイメントというの
はですね
老舗のですね
言ったら大事務所でございます
はいここら辺は全部ですね
ルーツはそう
渡辺プロなんですね
Nで
全ての
道は渡辺プロに通ずというのは本当だった
んですよ
そう
田辺エージェンシーも経営ダッシュも
アミューズもプロダクションを着も伊沢
オフィスもジャパンミュージック
エンターテインメントもホリプロも
ほとんどそして
ジャニーズでさえも
渡辺プロのチルドレンだったというお話な
んですいやー
すごいですねー
さあそしてですねこの
時代の変化とともにですね1981年その
全ての重鎮たちが最初に出会った日劇
ウエスタンカーニバル
ロカビリーの時に俺たちロカビリーの時代
を象徴させてやろうぜって言って始まった
イベントはそのうちにロカビリーブームが
終わった後もグループサウンズの人たちが
出る
イベントとして
盛況だったんですよねなので日劇というの
はこのロカビリーブームと
ウエスタンブーム
グループサウンズブームのですねスター
たちのステージたり続けたんですよねそれ
が1981年に終わりますなぜか日劇が
ですねまあ老朽化によってですね
閉館すると
そしてもう一度再開発するよということに
なりましてさよなら日劇ウエスタン
カーニバルを取り仕切ったのが田辺承知
さんだったんですね
田辺昭一さんはこの辺りでですねあの引退
してますはい自分のプレイヤーとして引退
しておりますはいそしてこのねあもうこの
だいぶ前に引退してますね田辺
エージェンシーを設立する前の引退して
ますけれどもこの時にはですね
スパイダースタイガースとか言ってですね
グループサウルズのスタートたちと
ロカビリーのスターたちを集めてですね
一堂に返してワーッとやったということな
んですねー
いやーこの
ロカビリーとグループサウンズを経てです
ね
鍋プロホリプロそしてこういったその他の
ですねアミューズプロダクション
伊沢オフィスそして
ジャパンミュージックエンターテイメント
とかそのあたりはもう全て出揃ってたん
です
ここでまだ出揃っていないというかですね
覇権を取っていないという大事務所に関し
てはそう
ジャニーズそして
吉本工業ですねそう皆さんがね皆さん
大好きジャニーズと吉本でございますけど
もこれは
80年代に爆発するんですねはい
80年代何が始まったか俺たちひょうきん
族が1980年代始まります
別にこの
ウエスタンカーニバルがさよならしたです
ね
直後にですね
俺たちひょうきん族が始まるんですね
で俺たちひょうきん族で出てくるのはです
ね
明石家さんまさんなんですよね
さんまさんが出てくるよとでそのあたり
80年代前半ね
渋谷期待
少年隊その辺りから始まって80年代後半
にはですね
光る源氏が出てきますそして
吉本では
ダウンタウンさんが出てくるわけですね
はいそして90年代に入ると
スナップと19が出てくることによって
ジャニーズと
吉本興業はこの大御所
事務所に食い込む形で大
事務所入りしていくことになるわけで
ございますそういった大事務所たちのです
ね
証とも言える連合軍が
恩智教と言われるね日本音楽事業者協会と
いうのがやりますねその日本音楽事業者
協会の理事長を歴代務めてきたのがこの界
今回の方々なわけですねはい
渡辺真さん堀武夫さん田辺昭一さんそう
いった方がですね
歴々でですね日本音楽事業者教会という
ものでですね日本の音楽を牛耳ってると
その
対抗する
対抗するというかねもう一つの音楽
事業者的な教会というのが日本音声伝と
いうね音楽制作者連盟というそれを作っ
てるのはあの中心としてるのはアミューズ
なので
結局同じ界隈なんですねはい同じこの
あたりの界隈ですべてを牛耳るですねそれ
は
50年代の真鍮群から始まり
60年代70年代とですねロカビグループ
サウンズと経てですねほとんどが
出来上がりそこに
ジャニーズと吉本が入ることによって
80年代90年代完成したのがいわゆる皆
さんの知っているゲイの回でございます
ありがとう
ございますこれによって完成したわけです
ね
そしてまあその90年代0年代に入って
くるとですねそういった大御所の方がです
ねまあ引退したりですとかまあ高いなさっ
たりですとかいうことで2代目の時代に
入っていくわけですよねー
ですからですね今回の取材させていただい
たこのね取材させていただいてるかね呼ば
せていただいたこの本芸能界誕生もですね
まあ
堀掛けおさん田邊昭知さんとかですねあと
ですねこの
オリエンタル芸能人のね流れをくん待たせ
プロっていうのねまだ現存しておりまして
ねあの西田ひかるさんとか履いたのマナセ
プロなんですよねはいこのですねその
マナーセプロのマナーせみちえさんですと
かそういった方にですねインタビューして
作った本らしいんですよね
いや面白いですよねなのでもちろんもうね
引退された方他界された方っていうのも
いらっしゃるわけなんですけれどもまだ
現役の方もいるということですよすごい
ことです
すごいことですねー
ですがまあ例えばサンミュージックの相沢
さんもまあ2代目になっているし
渡辺
プロのですね
渡辺さんももう今2代目のねミキサーに
なってるわけですよねそしてジャニーズの
ジャニー北川さんから
ジュリーさんという形でですねこういう
芸能界もですねいわゆるですねもう
完全にこの辺りの界隈ですとなりつつです
ね2代目の時代に
入りつつあるというか入っているという
ことなんですそして
2010年
[音楽]
iPhoneが登場し2015年に
YouTubeが登場し今
芸能事務所とは一体どういう状態なのか
YouTuber事務所UUMがね
初期隆盛を誇り株価が爆上がりしたんです
けれどもその自分も大量脱退を
迎えることになったわけですよねそれは
なぜかと言いますと
一人一人が
チャンネルを持てるようになったからそう
あのカラーテレビが普及した60年代と
同じようにですね10年代2010年代に
スマートフォンが普及したんですねさあ
それとその後どうなるのかそれはですね
テレビが普及した後どうなったのかという
のと
非常に
近しいものがあるのかもしれません
スマホが普及した後は
スマホが普及する前にはもう戻ることは
できないんですすなわち
映画とラジオの時代は終焉を迎え
テレビの時代がやってきたその時テレビの
時代のスターたちがその後のテレビの時代
のスターたちを生む組織を作っていった
果たしてYouTubeの時代は一体に
なるのか
乞うご期待でございます
芸能界それは
常に永遠のものではなかった
流行り廃りを数年おきに繰り返しそれを
生き延びて
生き延びて戦い続け勝ち続けた組織が後に
大御所
芸能界のドンと言われるようになっていっ
たに過ぎなかったしかしその
ドンたちがいかにしてドンになったかを
知るものは今
少なくなっているしかしそれを
学んだのが私とあなたでございますね
未来が見えてきましたかいかがですかねー
なので
永遠ではないんです
すでにですねもう覇権を牛耳っていたもう
日本をずっと作っているような会社もです
ねある時に生まれたんです
戦後ある時にビジネスチャンスと共に
生まれたんですしかしそのビジネスの構図
は常に終わる
真鍮軍が日本からいなくなった時
ロカビリーバンドのブームがさっとき
ジャズ喫茶が廃れて行った時日劇が閉館し
た時そして
スマホが普及して
テレビを
みんながだんだんと見なくなった時
いろんなものが変わりつつあるんです時代
の変わり目の先端にいる
それが私とあなたですそうですよねその
第事務所
独立すればもう
テレビには出れませんという時代が
終わりを告げているんですなぜか私がこの
ようにしていけ
シャーと大事務所の歴史を
メディアで語っているからでございます
皆さんこの動画は
歴史の今を
封じ込めた
1個の
巨大なメッセージなのでございます
ご理解いただきましたでしょうか
オリラジアカデミーと今回の事業がですね
私にとって
非常に重要な意味を持つ動画であったと
いうことを受け止めていただければと思い
ます時代は変わりますよ私は
次の時代もその次の時代も
楽しんでいきたいなぁと思っております
時代は変わるだからこそ
面白いそう思いませんか
次の芸能界はどこなんだではまた
ライフスクールプログレス
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