【ウクライナとロシアの関係史①】歴史的背景から見たウクライナ侵略

 

 

どなかたですことでさぁ本日もですね
ウクライナとロシアについてお送りしたい
んですけれどもウクライナとロシアや非常
にわかりづらいのがロシアがウクライナを
どう思っているのかそしてウクライナが
ロシアをどう思ってるっていうのがくれチ
るわけですよね
ニュースを見ていってるんですねロシアは
ウクライナもの道ですね同志社の一部だと
思っているしかしうっくらいならそうは
思っていないっていう雰囲気伺いとれます
よね
どうもロシアの人にとってウクライナは
ロシアなんだとウクライナに人っては
ウクライナ ukraine なだとそれ
で一からなんだここなんですよこれを私
興味持ちまして勉強させていただきました
本日の参考文献こちらこれがまあ面白い本
ですよはい
ウクライナでですね
駐在してですねを知ろうとすることであっ
た方がですね本回転その非常に読ませる
文章ですね物語形式でウクライナの歴史を
緻密に描かれておりますこの本よみまして
私勉強したんですけどびっくりしました
ウクライナとんでもない歴史を持っている
んですむしろですね世界史のですねかなり
就寝的には役割を担っていたんじゃ映画で
いうぐらいですね歴史のですねまあなんと
いいますか交差点なんですねこの後位なを
通してみたロシアというものがどういう
ふうに映るのかこれを学ぶことで現在起き
ている戦争がですねウクライナの人には
どう思われててロシアの人にはどう思われ
てるのか9ですねもう日本人を最も理解し
づらい姫がしヨーロッパの歴史ここがです
ね頭に入ることで今回の戦争が彼はなり頭
に入ってくるのではないかそういう授業に
したいと思っておりますはいえーまず前半
ではですねそのウクライナがなぜロシアの
ものというふうに覆われるようになったか
高校がつぶさに浮き上がってきますそして
後半でははそうなったことでウクライナは
一体どんな
とんでもない目に遭ったのかということが
明らかになってきます前半後半合わせて
ご覧いただくことで今回のですね
悲惨な戦争
まだ終わりませんけれどもね同一終わる
など泥沼化してるなんて言われているです
ねその戦争についてのニュースがかなり
わかるようになりますなので今回はですね
緊急でこれをテーマとして選ばせて
いただきましたそれでは早速参りましょう
ウクライナ一体どういう場合まず場所なん
ですけれどもこれ国会という内海のですね
北部に位置してるわけですよねロシアの
西側ヨーロッパの東側つまりロシアと
ヨーロッパのど真ん中でありかつ国会のき
たなんですよこの国会のきたっていう
エリアが信条にネギ塩ですね
交差点ぶりをですね発揮させる場所なん
ですよなんでかというとそこからしか海に
出れないんですよ国会からイスタンブール
の海峡をくぐってその先に海に出て
ギリシャアテネにたどり着くと
それ以外は離陸なんですよそこからは
ビッグのヨーロッパを通るかしたのですね
だらその
ね中東の方に向かうかという中でですね
その
国会を通ってと言い口出す海への入り口
ロシアにとっては海江戸入口なんですだ
からこそウクライナ
押さえておかなければいけない場所なん
ですねそんなウクライ7土地今回民族では
なく土地にフォーカスしてお話になってき
ますなぜならばなぜならばですね
この土地をベースにいろんな民族いろんな
国家にこのウクライナをですねいろいろ
占領されたり奪われたりしてきたので一つ
の統一の口に一つの統一の民族というお話
ではないんですよここが日本人としても
理解から難しいところ日本という国度は
ですね基本的な日本民族というところでね
ずっとやってきたわけじゃないですかです
がそうじゃないんですよもう何度も何度別
のクリになったんですねその民族としても
もう勝ったり別れたりっていうことの
繰り返しなんですなのでこのウクライナの
エリアこの国会の法組むのエリアを
フォーカスしてそこに一体どうゆうとたち
がを取り出てきたのかそういうお話になっ
ていますまずは古代からいきましょうこ
べっ答えですねお話に出てくるのがあの
ギリシャの歴史カフェ労働と菅
歴史というそのも親父な歴史という方の中
でスキタイ民族がその辺りは行ったよと
どのあたりかというと紀元前7席まあね
紀元前700年名
までぐらいなのねほどの話ですよね全7
世紀あたりからですね数百年間スキタイ人
というのがいたこのスキタイ人ね漫画とか
詳しい方ですねヒストリアというね品が今
あの寄生獣を買いたいワイキキ toshi
先生が連載してる本があるんですけどこの
ヒストリーやつまり歴史ですよねこの漫画
自体がですねヘロドトスの歴史をにもうと
にですねフォーカスで作られていまして
主人公がなんとスキタイ人の末裔であると
いう設定なのでそちらの漫画ねあのご興味
ある方を選んで頂ければと思うんです
けれどもヘロドトスっていう方はですね
ギリシャにおける古代のまあ一台歴史家
ですよね中国においてはそれは司馬遷と
言われて司馬遷の史記なんかにも手ですね
あのそういう歴史を登ってるんですけど
その子だいしませんのしキーの中では強度
というですね異民族として書かれたんです
よ中国ではですね色んな移民族に悩まされ
てる中で強度という異民族がその辺りにい
たぞこの強度という司馬遷の書いてる強度
とヘロドトスの書いてあるスキタイ人は
おそらく同じ
民族を指しているだろうというふうにこの
本では書いています
その空き台人間がどういう溝かねこれは
ですね遊牧民族
ねー家も移動するという移動式の家を持っ
た遊牧民族でありもう一つの大きな特徴が
戦闘民族なんですねもう今すごい激しいん
ですよ戦ってですねあの殺した相手の民族
とかもですねカバーの皮を剥ぐといいです
ね非常にちょっとねあの恐ろしいですよね
顔の皮をはいでそれをコレクションすると
そういうとんでもないそれそれを並べて
その首を持ってみたがありますよそれくる
が重たいんですよねその皮を剥いいるん
ですねポケットぶら下げるというそういう
激しいですね戦闘民族だったわけですね
まあこれはもうその後1年発見を築いた
ですねその大きい墓古墳みたいなものを
作っあれですとかその墓に副葬品な飾りを
したいと一緒に埋葬するってね副葬品が
非常に芸術的だったりとかしてですね非常
に豪華な暮らしをし得たというのがわかる
わけですねー
会えたところスキタイ民族ね
戦い方も非常に特徴的だったんですねそれ
は何か焦土作戦これなんですよ好きだ射水
ことですねを割るとですね撤退するんです
ね撤退するんですけども撤退しながらその
街と顔ですね破壊しながら撤退し
の向こうがですねだんだんと弱ってくる
わけですね撤退されながらですね破壊され
ているですから撤退した場所でですね何か
こう
得るものがないんですよ
潰されるわけです逃げながらそのことに
よって何も得るものがないぞーっていうの
で披露したところで叩きにくるとそういう
戦い方
撤退焦土作戦ですね撤退しながら照度土を
焦がすつまり何もなくしてゼロにして逃げ
ながら被ってきた相手が否定疲弊した時に
あっちゃうぞ
この好き第二の戦い方を
絶対焦土作戦この撤退焦土作戦
この時点でもウクライナという土地の1個
の恒星がここでも出てきています
ウクライナとという土地はですねもうこれ
絶対焦土作戦の舞台なんと歴史上大きな
場所にどうなっていますそれがナポレオン
とヒトラーです
ナポレオンがロシアに攻めた時もですね
撤退焦土作戦を使ったですね徹底的に街を
破壊しながら逃げ
ナポレオンに冬性分が襲い掛かったところ
でやっつけこれやりましょうねヒトラーに
関しても同じことをやりました逃げながら
もすごいですね弦しながら撤退焦土作戦で
日芸したところやるこれでナポレオ様する
フランスやナチスを擁するドイツを撤退さ
せたその場所になったのがまさに
ウクライナなんですよ
これ簡単なことじゃないですつまりまだ
このスキタイ人の時の時は絶対焦土作戦も
焦土になる加えたら弱いわけですけどその
後のナポリ音ですとかねナチスドイツに
対しての衝動作者の時っていうのですね街
全体がどんだけ破壊されるかつまりこれは
戦場となり破壊となっ田町それも2度の
対戦でっていうそういうウクライナの部隊
を予感させるような民族スキタイ人がここ
にいたというですねムースを歴史の悲劇を
予感させんば鳥のですねスキタイ人がそこ
にいた戦闘民族激しい戦闘にまみれた土地
であったそれが後も予感させますねそれ4
大臣で勝ちまして豪華になりました副葬品
も豪快によって興奮も豪華になったという
ことですね贅沢な暮らしをするようになっ
てですね戦闘民族としては弱体化していっ
たという風に言われていますそして後に他
の所から来た戦闘民族にええまあその遊牧
民族にですねとってからはれてしまう
らしいんですねそれが原因学的なスキタイ
人よりはなんか豪華に見せびらかしたりし
ないタイプの遊牧民にやられるらしいです
よただそのいう国今は質素すぎてですね
記録もほとんど埋葬品もほとんど残ってい
ないということで
ほとんど存在感がないらしいですね
そして15区民の時代が終わりを告げます
その後に何が来るか農耕民族の時代です
そうですよね農耕民族として一気にその
ウクライナの土地を制圧したのがスラブ
民族なんですねこのすらる民族っているが
そのうちのロシアベールあるしそして
ウクライナの民族のルーツになったという
民族なんですね
なのでこのスラブ系民族がやってきたよと
いうのがこの辺りのポイントですよねー
スラブ民族はですね非常に不思議な民族と
言われたですね様子狩猟民族で戦いあっ
たらですねその殺し合いになるので勢力
争いがその後として残るっている加茂
スラブ民族は歴史後が分からないままに
ですね一気に広がったとそれなぜかつまり
ですね濃厚行ったほうが殺し合うよりも
ヲタが豊かになれるよそういうですね感じ
でふわーっと広がってたスラグ民族と農耕
の広がりってのはあっという間でしかも
不思議だったれっ子でどのように区切りが
あったのかというのが分からないままに
入っ気に広がっていったのだということ
らしいんですね
そのスラブ民族と
北をねスウェーデンとか乗ればね北欧の方
から来たルー氏と呼ばれる民族が作ったの
がキエフルーシ大広告なんですはい行き
ましたここでようやくですね大きい国が
できますキエフルーシ大工谷キエフという
のはそのスラブ系民族の中で有利9社だっ
たきょうだいの長男の名前がキー ef 3
みたいな名前だったのでキエフとその長男
名前からもじってキエフになったとそして
ルーシー映画やってきてですねるー首都
キエフで作られたのでキエフルーシ大広告
となったら本来広告ってなんなんだここ
ですよね広告自体よく分かりませんと報告
は分かると王様の国であると今国というの
はですね王国よりも1個ランクも低いです
ね祖父や貴族が作ったくりっていう風な
定義があるんですよじゃあ今度代行国営
フルし広告の上にある王国があったのかと
いうふうに思いますよねでもそうじゃない
んですよこのキエフルーシー広告はですね
そのこのあたりの土地の言葉で王様って
いう言葉を祖父がたくさん使いすぎたため
にそこから何か御用されて広告に持ちほど
になっていったという歴史の言葉の秒で
ですね広告扱いにあってただけで扱いとし
てあげその裾野なんだろうなステージとし
て王国なんです
なのでだからトップ4なので大広告という
風に言ってるらしいですね k 振るう
次第広告つまりまあ言ったら消えフル市
横木ですねはいこのケーブルし王国ここが
ロシアとウクライナの
中野中互いのですねど真ん中にある国なん
ですなぜかこれは中世ヨーロッパにおいて
最盛期にはヨーロッパで最大の版を誇った
と言うまあ伝統とですね並行の王国なん
ですよ
ポイントなのでロシアもウクライナも
ルーツはキエフルーシ大広告に遡るって
いうわけですまあもちろんそうですよね脱
その前は違う民族だったわけですから違う
遊牧民族だったのでそもそも民族が違うと
でもその後のスラブ系民族のルーツを引く
自分たちその自分たちの国もっとも最初は
期限はキエフルーシ大広告であるここが
ポイントなんですよ聞い f ルルーシュ
のこのキー f それもともとね人物の
名前から取られたんですけどこのキエフと
いうのが首都なんですそして今の
ウクライナの首都では回ります
つまりかつて大広告も1打や栄華を誇った
もうものすごい大きなはレアのそのスラブ
系民族の人たちにとってのもう憧れの国と
いうものの手刀が今のウクライナの首都な
んですよ
わかりますその当時いろんな広告が他にも
あったんですそこに含まれてたのが
モスクワ広告その後にですねそのケーブル
次第広告はだんだんと広告が分別していく
中でできた言ったら
11ですし10%に過ぎなかったわけです
よもうすくはその年よところが後にも
スクラッチっていうのは爆発的に上がって
いって
そっちが中心になっていってしまう
なんでしょうねもしあの不適切だったら
申し訳ないんですけれどもその京都と東京
の関係に近いといったら日本人少し分かり
やすいかも知れませ京都は古都京都ですよ
ねつまりそのもともとのれ日本史のルー
ツってほとんど京都で始まってるんですよ
で完投っていうのはむしろですねもっと端
っこだったわけですよね
ところがまあ江戸時代以降ですね首都が
江戸になるわけですよ鎌倉で一緒になる
わけですもそうじゃなくなってね京都に
なってで戦国時代があってそこから江戸に
なってで東京になってうにょ東京が集約
日本の主役みたいな顔してるよとでしょう
と強度の形でですねいや日本といえば京都
でしょ
でまだその東京の人日本の憧れ前は厳然と
して共闘に憧れみんな持ってると思うん
ですよ
京都は歴史のあるその遥かなる京都なん
ですその系譜を持っているのがウクライナ
後のメインとなるのがもうすくはそういう
関係
だからどっちのもんですかこれ難しいん
ですよ
この京都も東京の日本同じ国ですから
京都の文化も東京の文化も江戸の文化も
京都の文化も日本ですねって言いますよ
ですけれども
京都と東京でば積んで国が別れたとしたら
ですよ
そのルーツはッ
いうのすごく難しいじゃないですか
そして
キエフのルーツ猫のこの系譜はウクライナ
のもんだっていう気持ちをですねロシアの
人はわからないんですロシヤこそ元キエフ
系譜はロシアそういうふうに思ってここ
からすでにずれていくんですよ
ここがすごく難しいところなんですね
で後のスラブ人で濃厚で広がりました濃厚
でものすごい人口が増えてきますよね
要するにその終了採集民族だったところか
そので定期的にご飯が食べれるようになり
ますからどんどん人口が増えるんですよ
人口が増えてキーフル次第広告ね
コントロール難しくなりましたそこでここ
で大きなこのロシアとウクライナの軍で
受け入れる1個それがキリスト教の国境か
なんですよ
キリスト教これは中世ヨーロッパによって
大きな個性がこのキリスト教ですよねです
がこのキリスト教の中でも
宗派が色々分かれているわけですよね
カトリックとかね
つまりその人プロデュースタントとか色々
あるんですけどもここでこのキエフルーシ
大広告がとった
宗派ですね芸者盛況なんですよそれが後に
ロシア逝去なってくるねなのでこのポロは
ですねローマというよりは東ローマ帝国を
ルーツにする眉山セーブつまり1さん
ルールに近いんですよ国会から国会から
いっすたんぶーにまず大都会があって出て
そこからどう通してギリシャに行くという
ルートが基本的には外に行くルートなので
ギリシャもビザンツ帝国このその生協の
文化だったんですねなので後にロシアも
ロシア正教ををぐらいの無数のロシア正教
になっていくわけなんですねですねここで
盛況を採択したというところもですね運命
を書いていくわけですよねつまりローマ
カトリックとかと違うんですよちょっと
生協は文化の流れが
なのでヨーロッパとロシアがなかなか水と
油で混じりませんよね
ロシアはですねその後もそヨーロッパの
一員になりたいわけですよ
ところが西ヨーロッパロシアを同じものと
しては捉えない eu っていう問題が
ありますよあーいいいうふうになぜトルコ
が入れないのかこれよくありますねトルコ
はずーっと西洋化したくてですね中東と
いうよりはヨーロッパの一になりたいと
いうことで eu に入りたり入りたいっ
ていうんですけどなかなか難航している
それはなぜかというと大きな問題が宗教の
も何なんですよ
ちょっとウチらと違うよねとって中途は
イスラム教徒が多いわけですよね
力その
トルコそしてロシェ盛況なんですよ
ギリシャ正教ロシア逝去ねそういうふうな
カルチャーとちょっと水ヨーロッパ違うん
ですカトリックプロテスタント違うですと
いうところがですね ikko 大きな
歴史のは軽めだったんじゃないかなという
ふうにこのように書いてありますね
もちろんも知るところでございますはい
その後ねキエフルーシ大広告も水対応する
わけですよね
それはですね言ったらですねまあその権力
が軽傷ですね王位継承ですねズル兄弟で
継承するのかを呼ぶで継承するのかここの
ルールが曖昧だったたためんですね俺が
軽症者は俺はゲイ章立て後継者争いで
どんどんと公国軍細かく分かれてきまして
系譜の力がどんどん小さくなって他の広告
の力っていうのは大きくなったことで争い
が生まれ弱体化したそこをモンゴル民族が
やっつけだそういうことですよあの
モンゴルですね減の時代でもとんでもない
販路をね各即したあの者ブルに抑えられる
ところがモンゴルですべて文化おこうはさ
れたわけじゃないっていうところポイント
ですねモール人で非常にゴールできでその
基本的お金さえ収めてモンゴルが上だよと
親会社だよということにすれば文化を壊さ
ないということでむしろこのモンゴル統治
下でそのキリスト教カルチャーというのは
完成したらしいんですね
文化も壊さないお金だけくださいでも反抗
したら全員しまってしまうそういうのが
モールのやり方だったんですねその中で
モンゴルの勢いがなくなった後
ここからが
分割の時代に入ります
はいこのなぜキエフルーシ大広告まで
さかのぼるかというとウクライナが遡り
たいかというとその後ずーっと
どこかの
国に分割で支配されているからなんです
ウクライナが丸ごと1個の国家だったって
いう時間は短いんですよこの系振るう次第
広告の時がゆったり一番わかりやすく
ウクライナが一つの国だったんですね
そして取得キエフだっただからもうすぐ
分かりやすいですその後モンゴルに仮
押さえされてさらに次に来たのが
ポーランドとリトアニアなんですね
リトアニアとポーランド領報告なわけです
けども2分割統治されることになるんです

この分割統治っていうのが0正歴史が
わかりづらいところではありますよねでも
今も分割戯れてる国ってたくさんあります
よね
北朝鮮と韓国とかもわかれてるわけですよ
ね同じ民族でね別れてしまうことによって
歴史てる複座になってくるわけなんです
けども
この開かれるんですね言ったら農業がね
成立してたわけですけどその中から豊かに
なる人が出てきて貴族と農民どれ濃度と
いうものに分かれている貧富の差が出て
くるわけですねその貴族と濃度の中で王国
が出てきてポーランドや離島やリトアニア
という豊かな国ですね分割統治されるよう
になるわけですね
aしかも頭ランドはですねカトリック
ヨーロッパよりなんですよ
用ファイルなカルチャーなのでそのねその
ギリシャ正教からいただくとその逝去少し
弾圧されたりですとか2もありますで
ポーランドは文化を押し付けようとしてき
てカトリックになれって言ってるんです
けどリットあーにはそうじゃなかったので
そこでも宗教でもちょっとグラデーション
が出てきますここが非常に難しいところ
さらにここでポイントなのがウクライナと
いう地名それがこのあたりでできて出てき
たらしいんですね
つまりキエフルーシ大広告
ルー氏というものですもう憧れの名前に
なってはるか昔になったわけですそして今
ボーランドとかリトアニア分割等として
そんな中でウクライナという地名が出てき
たんですね
ただこのウクライナという名前これも第二

このロッシュやウクライナの仲違いの
ポイントなんですね
なぜとウクライナというのですね
どういう語源かここで揉めてます
ウクライナというのはですねロシア語のを
調べるとですねロシア語で語源がです辺境
つまり
田舎とかです外れの場所を見てそういう
意味なんですよ
てるうくらいあって辺境美味だよねーって
ロシアの人が言うわけですよ
でウクライナですねそういう受け入れ
がたいようですねウクライナというのは
エリア土地
国っていう意味だ
確かにそういう店複数言葉って意味がある
でしょ
そんな中でも辺境っていうところを意味を
そのとっているのはロシアの人たちで
ウクライナ人じゃいえ勉強っていう言葉の
意味じゃなかったから国だからって言う
意味でも喧嘩します
国の名前のつに行くくらいだというの国の
名前になるわけですけどもこれがですね
非常に難しいのはですねそのウクライナと
いうのがその一般名詞として辺境意味する
時があるのでウクライナ位の人はですね
そのざっとかですね
その漢詩をつけてほしくないですね
大文字から端までウクライナだったら食い
目なんですけど the ukraine
っていうところ編頂点になったんですよ
だからそこらへんも非常に国民感情を
逆なでするのところらしいんですよ
ウクライナという土地の名前の由来を
ロシアの人はハズレと呼んでいて
ウクライナの国というで小難しい道ですね
はーいでこのあたりでですねこう
分割統治されていく中でモスクワという
都市モスクワ号僕だったところがですね
だんだんと台頭してきます力が強くなって
きますはいそしてキーエフ
地位が低下していきます
それでこのあたりです
そして
このあたりがあるですねもう一個です
ウクライナのですねアイデンティティに
なるでキャラクターが出てきますそれじゃ
コサック
コサック聞いたことありますよねこれ
コサックダンス夢ですねコサックダンス
っていうのは行ったらロシアの文化と皆
さん思ってらっしゃいますよねこれググっ
ていただいたらすぐわかるんですけども
コサックとなるねウクライナんですよ
実はこれってロシアの奴だよねっていうの
でほとんどウクライナってことパターン
あるんですよ
これも非常にですねまあ
あのウクライナの国民感情を刺激するわけ
ですよねこれウクライナのだからと
ねぇ
ありますよね
あれは川崎の者なんだけどっていうのが
横浜の間になってたりとか
これ三重県のなんだけどっていうのが
名古屋のものになっているとかね
ありますよねその近くのですね非常に強力
な都市がすべての名誉を持って行って
しまうときところがあるわけですよ似た
ものがあるからねいやその焼酎は9みたい

その日本酒こっちのとかってあるんです
けど上後から出てきて売れちゃったからね
みたいなねあるわけですよそれでですね
そのコサックっていうのは何かというと
これダンスで有名なんすけどこれね違う
武装した集団のことを言う
何で武装しただろうこれポーランドとか
リトアニア
っていうところに虐げられていた
ウクライナの土地の人々が
が武装して自分たちの文化とかを ga し
始めたんですよ
だから後のロシア正教であるとかね
ギリシャ正教の生協とかがカトリックに
脅かされないためにそして自分たちの乳
っていうものを訴えるためにそして
ウクレレ強保護のためこの子さんくって
いうのが武装した集団として表れと言っ
たらですね鎌倉時代の仏師みたいなもん
ですねそしてその分そうした集団小作は
時々ポーランドの戦争とかにですね
駆り立てられたりですね逆にボーランドと
争ったりとかそういうことをしましたはい
それも非常に貴族と武士の関係に近いと
思いますはいこさくって武装集団というの
が最初はボーランドにいいように扱われた
んですよ戦争行ってこいとかですね雇われ
たりで等木製になったりてほしいですね
やってたのですところがこの後サックって
いうのは分くらいなのそう言ったら国民の
アイデンティティーでもあるわけですよ
なんでかというと自分たちはウクライナの
人間だということですねポーランドで
示そうとしたわけですからそこですねだ
からその型フル時代広告の後にウクライナ
の人が大事に思ってるのコサックの文化
なんですよ
ますでこのコサックの不不不不不不不不増
集団の中からですね非常に強い人が出てき
ましたそれが苦めりにつきフメリニツキー
という人がですねリーダーになってなんと
そのコサックの集団とモンゴルの民族1回
セグで社長で残った者ボルケーノ人たちを
たタールって言うんですよただニュースで
タタール系民族とかねタタールの人たちで
は出てくるかもしれないけどあれは1回本
ゴールに系譜ルージュで抑えられた後に
残ってたもんボルケーノ1
このタタールという文言系の人とこの子作
ウクライナ系の人が合体して一緒にその
共同作戦でポーランドと戦ってそれでこの
リーダーがですねポーランドず入って買っ
ちゃうんですね
だからもうその貴族と星の中で星が
戦って勝っちゃう鎌倉時代北条政子見て
ああいうことがあるわけですよね
でそれでですねポーランドと戦って勝った
ぞとで俺達は独立根幹を作るなって言って
コサック特化ってができ始めるんですよで
もそれをポーランドも黙って許してるわけ
じゃないんですよねポーランドも形 r の
ほうさい買収し八重歯って言ってタタール
うぎ裏切らせて戦ってですね今度もう1回
巻き返したりとか色々大変な子になります
でポーランドと物凄いでかいを僕なので
ポーランドの戦いでですねこのままじゃ
ヤバいとこの根拠は守れないって言って
ですね
その時にものすごい勢いを伸ばしていたも
すっうわぁに助けを求めるんですはい高校
がロシアとぐらい飲んだからもう行くの
ポイントなんですよ
でも救わと協定を結んで守ってもらうって
いう協定もせます
これがものすごい言うくらいなんだろうし
あの関係をこじらせましてですウクライナ
からするとコサックっていうのはその
ウクライナのその独立というか民族という
ものを守ろうとした団体なんですけどそこ
ロリーであるこのモスクは協定を結んだ
ことでえモスクワに守られるって言う立場
が始まっちゃったわけなんですよ
でこのですね au フメリニツキーは
非常にウクライナの人から英雄として崇め
られてるんですが
久米り2月のせいでモスクワに
で取り込まれるようになっちゃったって
いう言い方をする人もいるって言うと非常
に複雑な事件ですよねでモスクワに守って
もらおうとやるんですけどモスクワもです
ねポーランドとの戦いで守ってもらおうと
思ってたんですよでもこの時のモスクワの
ライバル何かという
スウェーデンぬ
北欧なんですよ
スウェーデンとの間の中でこれポーランド
と戦ってるっていう場合じゃないなって
ポーランドと闘うためにですねこの
フメリニツキーはですねあのモスクワに頭
を下げたんですけれどもいろんな条約を
結んだねだけどもポーランドともその
モスクワはですね
平和まへー協定を結んでですね北欧と一緒
に立った顔見たらそういうことやっちゃう
おかしいだろうとか言いながらですね覆せ
ないままにフメリニツキーが死亡して
しまうんですね
そしてモスクワですねより強大になって
いくんです小作はどんどんモスクワの管理
下に置かれてくるんですそしてそれが決定
付いたのが
京都る1世が出てきたことですね
京都ルセです
餅にピョートル大帝となります
このピョートル1世というのが圧倒的に
モスクワの地位を上げての死に後にロシア
にするんですね
何を制した過去のピョートル必要ですね
行っ東的に中央集権的にしてモスクワのね
政治コントロールとか軍事のレベル上げて
ですねねんと戦ったこれが滑れないだけだ
このスウェーデンと戦ったこの寝台北方
戦争
第北方戦争
制するんですねここでロシアと北欧の違
その地位が決まるんですね
うーん名というのは2へにこのヨーロッパ
とロシアの狭間にあるということですべて
の日駅生まれている第一世界体制も第二
世界体制もど真ん中そしてこのソ連って
いうものとナチスっていうものをど真ん中
そこに置かれたのがこのウクライナって
言うとしてるわけですよええええええ
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人は何者にでもなれいつからだ
次はあなたの
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て空中大学院防止前後編のストプレイ
バックグラウンド再生も可能
移動中や作業中のインプットに最適です第
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